あかりの日記

おっ あっ 生きてえなあ

【民訴メモ】「証拠調べの」必要性がない証拠保全申立ての却下決定に抗告できる?

 証拠保全の申立て(民訴234)のうち、即時抗告が法定されていないものの却下決定には抗告ができる(民訴328Ⅰ)。これは提訴後の申立てにも当てはまる。

 では、提訴後の証拠保全申立てについて、証拠調べの必要性(※「保全の」必要性ではない)がないという理由で却下したときも、抗告できるのか?条文上はできそうである。しかし、文提申立ては、証拠調べの必要性がないことを理由とする却下決定には即時抗告ができない(最一決平成12・3・10・集民197号341頁)。その趣旨は、その当否は本案の判断の不服申立ての中で争えば足りるからだと考えられるが、この理は証拠保全にも当てはまりそうである。実際問題、これに抗告ができるとすると、民事訴訟におけるすべての証拠申出を「証拠保全の申立て」の体裁でやれば、あらゆる証拠の却下に対してその都度個別に不服を申し立てられることにもなりかねず、訴訟経済等の観点から問題があるようにも思われる。そうすると、このような場合には抗告は認められないと解するべきではないか。

 この点は、提訴後の証拠保全自体がそんなに申し立てられるわけではないので、許可抗告により最高裁に行った事例がまだないのではないかと思う。誰か生贄になって戦ってくれ(笑)

 

ちなみに、一応確認しておくと、証拠保全としての検証物提示命令の申立ての却下決定に対しては即時抗告ができる(民訴234、232Ⅰ、223Ⅶ)が、この即時抗告については、上記の判例の趣旨が妥当すると思われる。

 

民事訴訟

 

(文書提出命令等)
第二百二十三条

1〜6(略)

7 文書提出命令の申立てについての決定に対しては、即時抗告をすることができる。

 

(検証の目的の提示等)
第二百三十二条 第二百十九条、第二百二十三条、第二百二十四条、第二百二十六条及び第二百二十七条の規定は、検証の目的の提示又は送付について準用する。

(以下略)

 

(証拠保全
第二百三十四条 裁判所は、あらかじめ証拠調べをしておかなければその証拠を使用することが困難となる事情があると認めるときは、申立てにより、この章の規定に従い、証拠調べをすることができる。

 

(抗告をすることができる裁判)
第三百二十八条 口頭弁論を経ないで訴訟手続に関する申立てを却下した決定又は命令に対しては、抗告をすることができる。

(以下略)

帰宅

 同期の結婚式に行った。僕は他人の結婚式に行くのが初めてだ。白いネクタイをしめて、ご祝儀を入れた封筒を入れた「ご祝儀袋」を入れた「フクサ」を入れた「クラッチバッグ」を抱え、式場に行った。

 結婚式というのはめでたいものだ。めでたい雰囲気でいただくと料理も美味しい。中島義道なんかに言わせれば、新郎新婦の幸せそうな顔はツクリモノだというんだろうが、僕はそうは思わなかった。本心で幸せだったんだろう。やはり金はかかるが誘ってもらえたものはできる限り行くのがよいだろう。末長く幸せになってくれ。

 しかし、あのビデオである。あれの破壊力は凄まじい。やはりあれを見ると、独り身のものは、自分の来し方についてさびしい思いを馳せずにはいられない。別に新郎新婦へのやっかみではない。ただ、あの素晴らしい人生に比べて、おれのものは何なんだ。

 そう、僕は気を確かに保つ必要がある。僕はこうやって生きてくるしかなかった。あるいは、選び得た部分は、(やらなかったことも含めて)自分の選択でそうした。そこには親も環境もまったく影響しなかったわけではないだろう(そういう意味で、僕はもっともラディカルな自己責任論みたいなのには与しない)。しかし最終判断を下したのは自分だ。流されるままに空っぽの人生を生きてきたとしても、そうするということを選んだのは自分だ。そういう意味で、「あのときああしておけばよかった」みたいな後悔はあんまりない。一度もないとは言わないが、あんまりない。僕のようなネガティブな奴がそういうことを言っても信じてもらえないかもしれないが、本当にそう思ってるんだぜ。だから僕は、変な話だが、過去の自分のことをそんなに嫌いじゃない。

 だけど、とはいえ、過去の自分はとてもじゃないが人様に見せられるようなものではないと思う。いつの時点でもみぐるしく生きている。僕は僕の生きてきた人生を、僕という人間の本質を、できることなら誰にも知られたくない。恥の塊だ。今日だって(当然こんなところには書かないが)恥を重ねた。恥で固められた過去を思い出したくもないが、そうやって生きてくるしかなかった自分のことはそんなに嫌いじゃないんだ。

 今、天台思想の本を読んでいるが、はっきり言って僕はあの「諸法実相」という概念はあんまり好きじゃない。「ありのままの姿をありのままで受け入れよう」という態度は、まず宗教規範としてどうなのという問題もあるし、世俗の論理としてもそんなに正しくないと思う。「真の自分」というのがもしあるんだとすると、それを曝け出して社会に受け入れてもらえるような人間なら、曝け出していいのかもしれないけど、ある種の人間にとっては、色んなものでがちがちに塗り固めて武装して、それでもぼろぼろと禿げていくわけだが、とにかく最後の最後まで秘匿して守り抜くべきものなんだよ。「実相」が「諸法」だなんてうそっぱちだ。真実は隠されているんだよ。少なくとも僕の、僕自身のあるがままの真実の姿は、世の中のあらゆるものから秘匿して、墓場まで持っていってやる。恥晒しな僕の人生は、決して結婚式のビデオにはならないだろう。あるいは、僕の人生のうち外面に現れたある部分(それだって「諸法」ではあるわけだ)を切り取ったら、なんかいい感じのビデオにすることはまったく不可能というわけではないかもしれないが、それは決して真実の僕、僕の「実相」ではないだろう。真実の僕はもっとずっと醜悪で恥晒しなんだ。そんな真実の自分を、自分だけが知っている。真実は絶対にこの現象の世界には現れない。現れてなるものか。僕は気持ち悪いナルシストで、プライドの塊なんだ。

 多分今日のこの気持ち悪い日記は、まもなく消すだろう。

 

 

【民訴メモ】取下げを擬制「しない」ことはできる?

 当事者双方が弁論期日に不出頭等だった後1ヶ月以内に期日指定の申立てをしないか、2回連続で不出頭等だと、訴えの取下げが擬制される(民訴263)。

 では、この要件を満たしていても、裁判所の裁量で続行期日を指定することはできるのか?

 これはできないとされている(最高裁第三小法廷令和5年9月27日決定・判例集未登載)。まあ条文を普通に読めばそうだわな。

 この判例は事案もちょっと面白いので、解説が出たら検討してみたい。

 

民事訴訟

 

(訴えの取下げの擬制
第二百六十三条 当事者双方が、口頭弁論若しくは弁論準備手続の期日に出頭せず、又は弁論若しくは弁論準備手続における申述をしないで退廷若しくは退席をした場合において、一月以内に期日指定の申立てをしないときは、訴えの取下げがあったものとみなす。当事者双方が、連続して二回、口頭弁論若しくは弁論準備手続の期日に出頭せず、又は弁論若しくは弁論準備手続における申述をしないで退廷若しくは退席をしたときも、同様とする。

【民訴メモ】誰も来なかった期日での請求放棄

 請求放棄は期日でしなければならない(民訴266Ⅰ)が、放棄書を出していれば、擬制陳述できる(同Ⅱ)。このとき、第1回弁論の答弁書などの擬制陳述(民訴158)みたいにどっちかは来てないといけないという説と、どっちも来てなくてもいいという説(民訴法講義案p249)の対立がある。

 条文上は片方の出頭を要するとは読めないし、書面を提出した当事者の意思も踏まえれば、どちらかが来ることは特に求められていないと考えてよいのではないかと思う。

 

民事訴訟

(訴状等の陳述の擬制
第百五十八条 原告又は被告が最初にすべき口頭弁論の期日に出頭せず、又は出頭したが本案の弁論をしないときは、裁判所は、その者が提出した訴状又は答弁書その他の準備書面に記載した事項を陳述したものとみなし、出頭した相手方に弁論をさせることができる。

 

(請求の放棄又は認諾)
第二百六十六条 請求の放棄又は認諾は、口頭弁論等の期日においてする。
2 請求の放棄又は認諾をする旨の書面を提出した当事者が口頭弁論等の期日に出頭しないときは、裁判所又は受命裁判官若しくは受託裁判官は、その旨の陳述をしたものとみなすことができる。

【民訴メモ】中間判決に対して控訴できるか

中間判決には独立して控訴できない(民訴281Ⅰ)。終局判決に対する控訴の中で中間判決に対する不服も争える(民訴283)。

 

民事訴訟

(控訴をすることができる判決等)
第二百八十一条 控訴は、地方裁判所が第一審としてした終局判決又は簡易裁判所の終局判決に対してすることができる。(略)

 

(控訴裁判所の判断を受ける裁判)
第二百八十三条 終局判決前の裁判は、控訴裁判所の判断を受ける。(略)

【判例】最高裁令和4年(受)第1176号同5年3月2日第一小法廷判決・民集77巻3号389頁

www.courts.go.jp

 

【判示事項】

 いわゆる弁済受領文書の提出による強制執行の停止の期間中にされた執行処分の効力

 

【事案の概要】

 本件は、Xが、Xを債務者とする動産執行事件において動産(以下「本件動産」という。)を買い受けたYに対し、本件動産の売却は無効であるなどと主張して、所有権に基づき、本件動産の引渡し等を求めた事案である。

 原審がXの請求を一部認容したところ、Yが上告受理の申立てをした。

 

 前記動産執行事件は、YがXに対する確定判決を債務名義として申し立てたものである。

 執行官が前記申立てについて、X所有の本件動産を差し押さえ、競り売り期日を定めたところ、Yは請求債権額についての誤った前提に基づいて、執行官に対し、当該請求債権の額が変更になることを知らせるため、請求債権のうち一部についてXから入金があり、請求債権の額が変更になる旨が記載された上申書(以下「本件上申書」という。)を提出した。

 執行官は、本件上申書の提出から8日後に本件動産の競り売り期日を開き、本件動産をYに売却した(以下「本件売却」という。)。

 原審は、本件上申書は民執法39条1項8号の「債権者が、債務名義の成立後に、弁済を受け…た旨を記載した文書」(以下「弁済受領文書」という。)に当たるため、本件上申書の提出があった日から4週間、執行手続を停止しなければならなかったにもかかわらず、この間に本件売却を実施したのであり、本件売却には瑕疵があること、この瑕疵は重大かつ明白なものであることから、本件売却が当然に無効となるとして、Xの請求を一部認容した。

 

【裁判要旨】

 破棄自判(控訴棄却)。

 「執行処分が弁済受領文書の提出による強制執行の停止の期間中にされたものであったとしても、そのことにより当該執行処分が当然に無効となるものではないというべきである。」

 

☆検討

1 何をしなければならなかったか

 本判決は、弁済受領文書が提出されたことを看過して行われた執行手続が当然無効にはならない、ということを示した法理判例である。傍論として、本件上申書は弁済受領文書に当たらないという判断もしているのだが、とりあえずそこは措いて、まずは、ほんとは何をしなければならなかったかから考える。(ものすごく初歩的な話だと思うが、理解のために恥を忍んで書いておく)

 具体的には、弁済受領文書を提出した際、①執行処分を恒久的に止めたい場合と、②既に執行処分がされた場合にその効力を争いたい場合に、それぞれ本来的に何をすることが予定されているか考える。①のときは、まずとにかく請求異議の訴え(民執法35条1項)を提起するとともに、執行停止の申立て(民執法36条1項)をすべきだ。弁済受領文書を出すと4週間手続が止まる(民執法39条1項8号、2項)という規定は、この執行停止の申立てをするまでの時間的猶予を確保する趣旨のものだ。②のときは、執行抗告(民執法10条)ないし執行異議(民執法11条)によるべきである。民執法で効力を争う手続が法定されているので、まずはそれを使って下さいということだ。その趣旨は執行の実効性や執行手続の安定性を図ることにある。

 

2 執行処分が当然無効になる場合

 以上を前提にして、執行処分が当然無効になる場合を考えるが、上記②のとおりの趣旨により民執法には執行処分への不服申立て制度があることから、執行処分に瑕疵があっても、原則として、民執法上の不服申立手続で取り消されるまでは有効であり、当然無効となるのは例外的な場合にとどまると解するのが通説である。一般論としては、学説では、瑕疵が重大かつ明白である場合に限り当然無効とする、などの説があるが、重要なのは各論である。

 判例の考え方をみる。不動産について執行処分が当然無効とされるのは、執行力のある債務名義の正本を欠く場合や、「動産」でないものを差し押さえた場合、債務名義が騙取されたものである場合などのかなり限定的な場合である。他方、不動産競売の手続に瑕疵があったとしても、これによって執行処分が当然に無効となるものではなく、売却許可決定が確定し、買受人が代金を完納した以上、前記瑕疵の存在をもって買受人の所有権取得の効果を争うことはできない(最判昭和57年9月10日民集36巻8号1620頁等。民執法79条参照)とされている。

 動産執行についても、通説では手続違反は原則有効とされており、例えば、差押禁止動産(民執法131条)*1の差押えですら当然無効とはならないと考えられている。

 

3 弁済受領文書の提出を看過して行われた失効処分は?

 本件では、弁済受領文書提出による強制執行の停止の規定に違反してなされた執行処分の効力が問題となっている。民執法39条1項8号、同条2項の趣旨は上記1①のとおり債務者の便宜のためであるのであるから、執行処分が上記規定に違反してなされても、その瑕疵が重大かつ明白とまではいえず、当然無効とはいえないであろう。本判決はこのような理論的前提の下に上記のとおり判示したものと考えられる。

 

4 弁済受領文書なのか

 ところで、本判決は傍論として、本件上申書の提出をもって弁済受領文書の提出があったとはいえないとしている。弁済受領文書提出による執行の一時停止の趣旨が上記1①のような債務者の便宜を図ることにあることを踏まえ、本件上申書はYの誤った前提のもとで弁済を認めた文書であること、執行停止の意思を有していないY側から出された文書であること、本件上申書の提出がXに通知されていなかったため、4週間待ったところでXが請求異議や執行停止を申し立てる可能性は想定できなかったこと等を考慮して、本判決のような判断がされたのではないかと思われる。

 

☆おまけ

 例えばあなたが、どこかのマチベンとか、それに類するナニカだったとしよう、個人差はあるが、日常の中で執行、破産、保全などを扱うかもしれない。やっていると、やったところの手続の知識はついていくだろう。もしあなたが大都会人なら、当地の保全部や破産部のローカルルールなんかもバッチリかもしれない。だけど、法律の体系的な理解みたいなものは、どうだろうか?これは、手なりで日々の仕事をしているだけだと、なかなか身につかないんじゃないかなあ。僕は恥ずかしながら、ないんだよね、体系的理解。その場その場で来た球を打ち返すだけになっちゃってる。執行とかに限らないけど。たまには、学生の頃に買った教科書を読んで、今自分が考えていることが全体の体系の中のどの辺の話なのかとか、落ち着いて考えてみたりすると、すごく力がつくんだろうなあ。と、思いつつ、めんどくさくてやってないが。参った参った。

 

 

 

*1:実務上金銭(3号)は66万円とされている。

Mahayana

戒律とかサンガ制度について。バウッダを読んだ頃には、僕はどうも、サンガや戒律は大乗が崩したというようなイメージをもっていたのだが、それはかなり不正確だったようだ。多くの国では大乗経典の成立後も出家仏教はその形を維持していた。主として日本の受容の仕方が原因のようだ。最澄は大きな影響を与えていそうだ(最澄が日本仏教を堕落させたとか言いたいわけでは、断じてない)。