あかりの日記

おっ あっ 生きてえなあ

ノックオン・スクラム・帝京ボール

 

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おれは大学ラグビーのにわかファンである。

一応、明治推しということになっているが、まあ赤勝て白勝てでやっている。

ここのところ毎年早明戦に行っているが、今季の大学ラグビーは、面白かったねー!対抗戦が混戦だったからな。

今季は秩父宮に1回、国立に2回行った。こんだけ金を落としてればファンと言ってよかろう。対抗戦の帝京戦、早稲田戦と、こないだの選手権の決勝。全部勝ったので気持ちがいい。(今期の明治は対抗戦の初戦の筑波以外全部勝ったわけだが。)

矢崎や服部ももちろん素晴らしいスター選手だが、決勝についていえば、おそらく矢崎は悔いが残っただろうし、SO対決も伊藤龍之介に軍配が上がっていたよなあ。プロップの田代くんのトライも実にカロヤカだった。来年も楽しみである。

 

しかしなあ。横に座ってた明治贔屓のおじいさんが、シンビンになった矢崎にしきりにヤジを飛ばしていて非常に不快であった。ノーサイドの精神ってなんなんですかね。

そもそもさあ、大学ラグビーに行くと毎回思うんだが、観客がご年配の方ばっかりなんだよなあ。学生や若者は、いないとは言わないが、明らかに多数派ではない。それで、これはステレオタイプだが、人間歳をとると感情の抑えが効かなくなってくる傾向があるよなあ。(まあそのことはけして他人事ではない。おれもどんどんそうなっていくだろう。やんぬるかな。)

今年の選手権の決勝の観客は大体4万人くらいだったが、スクールウォーズの世代の人々からするとこれは少なく思われるようだ。ラグビー人気は低迷と高齢化に見舞われている。我が国の現状をよく反映している。

 

人口動態などの大きな要因を除いても、ラグビーにいまいち人気がない具体的な理由もいくつか考えられる。

まず、チケットが高すぎる。対抗戦の早明戦の普通の席は6000円である。いうても学生の試合なのにこの値段だ。ライト層の学生がふらっと来れる値段じゃないよね。

リーグワンにいまいち人気がないのも、ラグビー全体の低迷の原因だろう。4年に一度のワールドカップと学生の試合だけがメインってのは、どうしても野球やサッカーと比べると見劣りしちゃうよね。

ジャパンの弱体化という問題もあるようだが、そっちはあまり追ってないからよう知らん。(矢崎や竹之下は今年も代表に選ばれるのかな。おれはそれは別にいいんじゃないかと思うんだが。)

それから、ゲーム自体の難解さもある。おれがニワカなのもあるが、スクラムのペナルティとかよくわかんないんだよね。おれはいつもラグビー経験者と一緒に観に行っているのだが、その彼をしても、スクラムで笛が鳴っても、審判の手が上がるまでどちらの反則か分かっていないことが多い。つーか会場のアナウンスやNHKの解説ですらもたびたび間違えるよね。要は、審判次第なんじゃないかと思ってしまうのだ。それから、ラインアウトのノットストレートとかも、審判によって厳しさがかなりまちまちに見えなくもない(選手権の筑波帝京戦とか、途中から、もうそのくらいよくね、と思ってしまった(笑))。ラグビーは反則からのセットプレーで展開するスポーツであるところ、このように審判の裁量が広く見えることが、ときにややグレーな印象を与えてしまうような気もしないでもない。(にしても2ちゃんとか酷いもんだけどな、なんたら笛だのなんか貰ってるだの。ノーサイド精神ってなんなんすかね(2回目))

 

という具合に、思うところはないではないが、おれはほそぼそとにわかファンを続けていくであろう。現地観戦はすごい一体感を感じられるぞ(カバオくんのAA略)。毎年早明戦に行っていたら、 自分の出身大学の校歌も知らんのに、「白雲なびく」も「都の西北」もうっすら覚えてしまった。青空の下で大きな声を出すスポーツ観戦は、なんとなく健康にも良い気がする。

お前らもなんか観戦することをお勧めする。精神を加速させろ。以上。

 

2026年の抱負

おれはここのところやる気を失っている。なんでかなあ。岬ちゃんが来るとか来ないとか、そういう次元の問題ではない。漫画版nhkにようこその終盤みたいな、最近のおれはそんな感じである。革命爆弾は作ったし、謎の綺麗な花も育てたし、虚空蔵求聞持法を唱えて司法試験にも受かったし、なんなら倒壊寸前のアパートで岬ちゃんと愛を誓い合ったりもしたが、それでもアレするフリは続いている。同じところをグルグル周回している。はっきり言って岬ちゃんなんてものが本当に来るとしたら(来ねーけど)間違いなく来た後の方が辛いぞ。これさえあれば救われるはずだ、という唯一の希望がなくなるわけだからな。正直おれは耐えられなくなりつつある。このループ、いつまで続ければいいんだ?

しかるに、おれはまだ若く、やらなければいけないことは沢山ある。それに、この先数十年、死ぬまで、おれのやる気は逓減していくだろう。相対的にみれば今が1番やる気があるはずだ。なんとなくだがそう思うのだ。いま以上にやる気が湧いてくるのを待つのは得策とはいえない。

今年もまだもう少し頑張りたい。今はそう思っているよ。少なくとも、今年のうちに確実に処理しておかなければいけないこともある。

いい人生ですから前に進めてください。できない理由を、考えるのではなく…謎の声が聞こえる。まったく誰なんだお前らは。少しは反省したらどうだ。まあいいや、おれは…おれときたら…もうダメかもしれんが…もう少し頑張りたいと思っているよ。今はね。

 

今年の振り返りなど

 

月が 月が落ちてくればいいですよね

 

 

今年はいろいろやったなあ。

⚪︎仏像巡り

・関西3国宝展→関西3国宝展行脚② - あかりの日記

・奈良の仏像→夏の古仏巡礼①興福寺 - あかりの日記

敦煌の仏像→西安・敦煌に行ってきた話② - あかりの日記

西安の仏像→西安博物院・西安碑林博物館の仏像 - あかりの日記

東博運慶展→東博の興福寺北円堂展 - あかりの日記

・古寺巡礼→和辻哲郎『古寺巡礼』 - あかりの日記

 

⚪︎シルクロード研究

敦煌の歴史→長澤和俊『敦煌≪歴史と文化≫』 - あかりの日記

莫高窟久野健『敦煌石窟の旅』 - あかりの日記

三蔵法師慧立、彦ソウ『玄奘三蔵』(長澤和俊訳) - あかりの日記

敦煌に行った→西安・敦煌に行ってきた話② - あかりの日記

 

⚪︎その他アート

円山応挙あかり芸術家列伝・円山応挙 - あかりの日記

・色々行った→この秋に行った展覧会 - あかりの日記

 

などなど

 

しかしさあ、仏像とかアートとか、ジジババの余生の趣味だよな。正直おれはここのところ急速に人生へのやる気をなくしつつある。おれはまだ20代であり、結婚もしてないし、これから何十年と過酷な労働をせねばならず、やる気を失っている場合ではないのだが…なんていうのかなあ、どうもここからさらに前に進める気力が湧いてこないんだよね。いい人生ですから前に進めてください、じゃねンだわ。木っ端役人であるおれは頑張ったって億万長者にはなれん(なりたいわけでもないが。)。自分で言うのもなんだが、無難に働き続ければまあまあ出世はできるのかもしれないが、それとてそんなに魅力を感じない。やりがい…もどうなのかね、労働の負荷に釣り合っているのか。おれはもう色々と疲れた。部屋には読んでない本が山積みだ。生活に足るわずかな金を貯めたら、どこか山にでも篭ってゆっくり過ごしてえなあ。そのうち飽きて、また何かやる気が湧いてきたら、そのとき山を降りて何かに取りかかる…みたいな。そんな感じで生活してえけどなあポチメもなあ。

まったく何言ってんだ。月が落ちてきたらみんな死んじゃうじゃないか。こんなんで今年を締めていいものか。やれやれ、参った参った。

 

最近行った展覧会など

 
静嘉堂文庫の国宝・重文展

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終わりが近かったので行ってみた。

国宝は言わずと知れた曜変天目のほか、馬遠の『風雨山水図』と、元代の書(趙子昂『与中峰明本尺牘』)。 趙子昂は「趙」姓から分かるように南宋の皇族らしい。

その他、未来の国宝候補として、伝周文の『四季山水図屏風』、式部輝忠の『四季山水図屏風』(いずれも重文)。また、本阿弥光悦作と伝わる『秋草蒔絵謡本箪笥』(重要美術品)も鑑賞。やっぱリンパはオシャレね。

こう見ると中国のものが多いが、静嘉堂文庫は岩崎弥太郎の息子、弥之助とその子の小弥太が集めた東洋美術のコレクションなのだ。

なお、「重要美術品」とは、戦前の法制度における重文に当たるものらしい。戦後に文化財保護法が施行されると多くが重文に繰上げされたが、繰上げされなかったものは、附則により今でも旧法の保護を受けているらしい。ふーん。

 

ラムセス大王展

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こちらも会期終了間際につき行ってみた。入場料が高かった。

予習なしで行ったが、解説が充実しており楽しめた。ラムセス2世は新王国時代、前13世紀に、エジプトを70年近く統治した。アクエンアテンの1世紀くらい後の人。『出エジプト記』に出てくるあのガンコなファラオは、一説によるとラムセス大王らしい。

大王は長い治世に多くの神殿を建築し、建築王とも呼ばれた。その代表例がヌビア(今のスーダンとの国境のあたり)のアブ・シンベル神殿である。いつか行ってみてえけど治安とか大丈夫なんですかね。

大王の有名な事績は、伸張してきたヒッタイト軍をカデシュの戦いで破り、世界初の講和条約を結んだことであるといわれる。大王は国内の至る所にこの輝かしい勝利を書き残した。

そのほか本邦初公開のネコのミイラなども展示あり。1月4日までやってるのでお前らも行け。

 

美術検定2級とってみた

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とりました。試験前の2か月くらいでテキストを読んで問題集をひとさらいした。まあ世界史や仏像はそれなりに予備知識あったからな。

一部の美術館がちょっとだけ安くなるらしい。もっともこの特典は2級である必要はないが。

 

辻惟雄『奇想の系譜』

 

イカれたメンバーを紹介するぜ。

謀反人・荒木村重の隠し子 又兵衛!

晩年は塀の中で過ごした 山雪!

鶏好きのおじさん 若冲

自称大明帝国皇帝の子孫 蕭白

恨まれすぎて毒殺された 蘆雪!

幕末のおたずね者 国芳

以上だ!

 

岩佐又兵衛

荒木村重を知ってるか。知らなければたけしの『首』を観ろ。まあ観たってよく分かんねーけど。

村重。信長の有力家臣で、結構な風流人だったが、謀反を起こして失敗(有岡城の戦い)。村重本人は逃げおおせたが、一族郎党は皆殺しとなった(映画で女子供のグロい処刑シーンがあったよね。)。…はずだったが、妾の子が1人、乳母に担がれて有岡城を脱出していた。その子こそ又兵衛である。

本願寺に匿われた又兵衛は武門の再興を諦めたが、画業に頭角を現し、織田信雄の御伽衆になったり、秀吉の茶会に出たりと、京都周辺で画家として活動。大坂夏の陣で豊臣家が滅ぶと、京を離れて越前に移り、結城秀康の子・松平忠直の庇護のもと、寛永13(1636)年に亡くなるまで制作を続けた。生まれが天正6(1578)年だから、桃山から江戸前期、戦乱の時代の雰囲気が色濃いころを生きた画家といえる。出てくる名前がいちいちビッグネームなんだよなw

 

著者の辻先生の博論のテーマがこの又兵衛らしく、又兵衛の章はかなり気合が入っている。本書では、伝又兵衛作の3つの絵巻、山中常盤、堀江物語、浄瑠璃がフィーチャーされている。

www.moaart.or.jp

この3つの作品は、古い御伽草子等がもとになっており、その話自体が割と悪趣味なわけだが(いずれも、母や愛する人がむごい死に方をして、仇討ちをする、みたいな話だ。)、それを非常に生々しいグロさで描いているのだ。「山中常盤」では、牛若のカーチャンの常盤が悪党に惨殺されるシーンをめっちゃ執拗に何度も反復して描いたり、その後牛若が悪党をやっつけるシーンでは、牛若が切った人間の断面(著者は「切り身」と呼ぶ。)が奇妙に描かれたりしている。

 

これらの作品、学界では「又兵衛作じゃない説」も有力だったようだが、著者はこれらを又兵衛に帰属させた上で、又兵衛作品に以下の独自性をみる。

表現主義的な性格。耕作図屛風(出光美術館)なども、風景を描きながら、そこに一種の気うとさを表現している。

②卑俗で当世風の描写。上記3絵巻もその性格がみられ、ほかにも、官女観菊図(重文、山種)などの古典主題の作品や、洛中洛外図屏風(国宝、東博)、豊国祭礼図屏風(重文、徳川美術館)などでも、同時代の風俗を描いている。

こういう風俗画を描く作風から、彼は同時代の人から「浮世又兵衛」と呼ばれていたようで、ここから、彼は浮世絵の元祖とされている。

www.yamatane-museum.jp

www.tnm.jp

www.tokugawa-art-museum.jp

③独特の人物描写。ここまでに挙げた絵をみれば分かるが、人の顔の頬がしもぶくれ、顎が長い。

 

そんで、著者は、「山中常盤」は、カブキ大名・松平忠直に頼まれて描かれたものだと推測している。忠直の親父の結城秀康は秀忠の異母兄であり、2代将軍たり得る血筋だったが、豊臣の養子だったことが災いし、越前に封じられて不遇をかこつ。それもあって越前家はもともと幕府に目をつけられていた。その上息子の忠直は反幕的かつ目に余る悪政を働いた(ということにされている)ため、最終的に幕府は彼を豊後に改易する。ま、そういう不遇なカブキ者だった忠直が、うっぷんを晴らすため、いっちょエグい奴を描いてくれやと又兵衛に依頼したんじゃないかと、こういう推測をしているわけだ。

その真偽のほどは分からんが、著者はこの、表現主義的で大衆にウケるヘンな絵を描いた又兵衛を、以下に述べていく近世の奇想の画家の出発点とみたのである。

 

狩野山雪

ここから先は有名な戦国武将とか絡んでこないからペースアップしていくぞ。

狩野山雪狩野山楽の弟子筆頭として、山楽死後のいわゆる京狩野を率いた。

 

ペースアップといったが「京狩野」は説明する必要があろう。漢画系統の狩野派は室町~桃山頃、元信、永徳という巨匠を輩出し日本画壇のトップに上り詰めたが、関ケ原後の過渡期になると、生き残りを図り「多面作戦」に出る。すなわち、永徳の実子筋を徳川や宮廷に出仕させる一方、養子の山楽を京に置き豊臣に仕えさせたのだ。この作戦は成功し、探幽ら江戸狩野は御用絵師として繁栄したが、豊臣の滅亡により、京に残った山楽は狩野派の外様扱いとなってしまった。この山楽一派を京狩野というわけよ。

 

山楽は養父永徳の画風をきわめて忠実に再現し、桃山の巨匠の1人に数えられた。山雪はその筆頭の弟子として頭角を現し、山楽死後には京狩野のリーダーに。清水寺東福寺などの重要案件を歴任し、1647年、58歳で画家の名誉称号である法橋*1を授かり、4年後に亡くなるまで制作を続けた。彼はまた美術史の研究にも熱心であり、彼の残した草稿は、子の永納によって「本朝画史」として出版される。

という感じで、優等生的な画家が想像されるのだが・・・

驚いたことに、法橋に叙された後の晩年の山雪が、永納に宛てて、獄中から出した手紙、というのが残っておるのだ。投獄されてから毎日神を拝んでいたら神託を受け、正直さが通じてたのもしく思う云々。だいぶ参ってしまっている。何が起きたのか、濡れ衣なのか、今となっては分からないが、山雪はこのまま獄死した可能性すらあるのだ。永納によると、山雪は付き合いがよくなく、引きこもり体質だったらしい。栄光から急転直下の没落、それは彼の気難しい性格に起因するものなのか?

 

まあこの話はこれ以上深めようがないので、山雪の作品をみていく。結論から言うと、彼は師の山楽とは違い、永徳風とは一線を画す、かなりヘンな絵を描いたのである。

天球院の「梅に山鳥図」、「竹に虎図」。天祥院の「老梅図」。真正極楽寺寒山拾得図」。

global.canon

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bunka.nii.ac.jp

彼の樹木などの描写は、桃山のダイナミックさとは異なり、生命力あふれる木をグニャグニャ曲げて無理やり襖の中に押し込めてしまっている。その押し込め方がかなり幾何学模様チックなのである。言われないと気付かなかったんだが、竹に虎図襖の北側部分の、上のサイトだと右から3~5枚目の正方形に注目すると、2つの対角線を引いたときの下の二等辺三角形の中に、岩がすっぽり収まっているのだ(これはぜひ喋りたいウンチクだなw)。寒山拾得図の人物描写も極めてグロテスクである。なんとなく、投獄とか気難しい人というイメージに結びついちゃうよね。

 

著者によると、老梅図襖の「グロテスクな巨樹の痙攣」が、1世紀後の、若冲蕭白、芦雪ら「京都奇想派」の先駆としての意義ももつらしい。

ということで次行くぞ。

 

伊藤若冲

若冲は、享保元(1716)年に京の青物問屋の子に生まれた。が、全然商売にやる気を出さず、仏門に深く帰依。家業を早々に弟に放り投げ、若くしてアトリエに隠棲し、大量の鶏を放し飼いにして写生し続けた。まあようは、ボンボンだったので周りを気にせず死ぬまで好きな絵を描き続けたってことだ。羨ましい限りだ、おれも隠居したいぜ。

彼の代表作・もと相国寺動植綵絵を観よう。

shozokan.nich.go.jp

分類としては花鳥画なのだが、下等生物や昆虫、貝類をいっぱい書き込むなど、まず画題が伝統から離れている。

また、若冲は応挙と同様、写生にこだわった画家らしいが、若冲の写生について、著者は極めて重要な指摘をしている。

ニワトリやシャモを、若冲は自宅の庭に勝って執拗に観察し、写生したわけだが、鶏の専門学者にいわせると、各部分のプロポーションや器官のかたち、位置などが、応挙のそれにくらべてはるかに不正確であり、写生画としてはあまりよい点がつけられないそうだ。だが、そのような外形の正確な再現が若冲の〈物〉に即することだっただろうか?(略)「群鶏図」では、抽象模様に置き換えられた羽根のパターンの幻想的な交響と、その間にちりばめられたトサカの、赤い妖星を思わせるフォルムの反復とが、制作意図のありかを示している。(略)彼のいう〈物〉に即しての観察写生とは、結局のところ、そうした固有の内的ヴィジョンを触発させるための手段にすぎなかったのではなかろうか。(p105)

若冲の写生は応挙のように正確ではない。だが、観たものを写すことを通して、自分の内的世界を発露している。若冲がうけたポイントは、まさにそのような表現主義的性格なのだ。

若冲についてはまた詳しく触れる機会もあろうから、このくらいにしておこう。

 

曾我蕭白

蕭白という人間の経歴はあまり明らかになっていない。京都の商家の生まれのようで、1730年代から80年代くらいまでを生きたらしい。曾我派という漢画の一派で学んだ。彼の奇矯な作風の基礎はここにあるらしい。

 

彼の作風の特徴の一つは、人を食ったような態度である。この絵を観てほしい。蕭白の鷹の絵の方ね。

intojapanwaraku.com

ここの款記に、「明太祖皇帝十四世玄孫蛇足軒 曽我左近次郎暉雄 入道蕭白画」とある。さらに、箱の蓋の裏には、「漢の蕭何の子孫の蕭照という画家が、宋の徽宗(画家として有名)にこの鷹を教えた。さらにその子孫の蕭瀾が明の太祖の皇子に絵を教え、この皇子の子が日本に渡来し、その子孫が自分である。」的なことが書いてある。

うーん、明の太祖洪武帝といえば、頗る狂暴な性格で有名だから、蕭白もその血を引いているのかな・・・?ってそんなわけあるかい。これはおそらく、本気で経歴詐称をしているのではなく、「家柄や肩書万能の御時世に対する彼一流の逆説的皮肉」(p144)なのだそうだ。まあしかし、こういうホラを平気で吹いちゃう人なわけよ。

 

彼は20代の終わりくらいのころ、伊勢の各地を遊行し、数々の奇行伝説を残した。地元の人々が色々と語り継いでいる。1つ面白い話を紹介する。

ある家に居候していた蕭白は、家老に金屏風を描くよう命じられるが、酒を飲むばかりで一向に取り掛からない。家老が耐えかねて催促をすると、紺青群青金泥など高い画材をいっぱい用意させては、シュロ箒ですり鉢の墨とぐちゃぐちゃと混ぜた。家老が横で見ていると、金屏風一掃を並べさせ、そこにシュロ箒を握って湾曲した線を1本書き、その余勢で家老の顔を塗って、そのまま飄然と去った。家老は激怒したが既に去った後で仕方がない。屏風を見ると、墨が乾いたところに、七色燦然たる虹が現れた。

なんじゃその話は、という感じだが、蕭白の型破りな制作態度がこのような伝説を生んだのだろう。

 

群仙図屏風(重文、東博

bunka.nii.ac.jp

一度見たら忘れられないあくの強い描写である。

 

唐獅子図屏風(重文、朝田寺)

www.kyotobenrido.com

虎図(ボストン美術館

images.dnpartcom.jp

このような動物のデフォルメの仕方は結構漫画的だと思う。

 

雲龍図(ボストン美術館

global.canon

著者は彼の作風を「乾いた金属質のグロテスク」と表現する。しかしながら、このような重要作品が国外に流出してしまっているのは大変惜しいですな。

 

ところで、著者は先述の群仙図屏風の波の表現が、北斎の神奈川沖浪裏を先取りしているのではないか、という指摘をしている。考えてみれば、北斎だって、その作風も人となりも、奇想の画家に位置付けてよいものであろう。

 

長沢蘆雪

おれがこの本を読んで一番驚いたのは芦雪の人生である。

1754年、下級武士の家に生まれた芦雪は画才を示し、応挙に弟子入りして高弟となる。1786年、南紀のお坊さんが、応挙に襖絵の依頼をしたが、応挙は多忙で行けなかったため、代わりに芦雪を派遣した。芦雪はこの南紀行きで、師匠の引き写しを抜け出し、独自のスタイルを確立していくことになる。その後も、応挙工房の大乗寺の襖絵等の重要制作に携わるが、1799年に46歳で大坂で客死した。

と、これだけだとふーんって感じだが、彼の人生はかなり破天荒である。まず、応挙に一時破門されていたという話がある。応挙に描いてもらった手本をそのまま持参して直しを請うたら、よくないと言われて少し直され、その後直していったらOKが出た。それが後でばれて破門されたとのことだ。いや、シンプルに、なんでそんなことすんのという話である。これは破門もやむなし。

それから、余興でコマ回しをしていて投げたコマを取り損ね、それが目に刺さり、めちゃくちゃ出血しているのに平然と続けようとしたとか(このせいで芦雪は実は独眼竜だったという説もある。)、応挙の七十七日の忌会に、同じく円山派の高弟の呉春が自分より上席に座ったのにキレて面罵したとか。

そして極めつけは、彼は若くして大坂で客死したわけだが、彼の死因について、毒殺説というのが噂されているようだ。淀藩主に目をかけられて我儘な振舞いをしていたので藩士に毒殺されたとか、他の画工に嫉妬されて大坂におびき出され、弁当に毒を盛られたとか。

まあこういうのは噂だけど、こんな噂が立つ時点であまり素行がよくない人だったことがうかがえる。かわいい犬の人、くらいのイメージしかなかったから、結構意外だったなw

 

南紀時代の虎図(重文、無量寺

muryoji.jp

芦雪の代表作。迫力ある虎は、円山派の専売特許である付立てを駆使して描かれている。しかし、応挙の虎と比べるとだいぶかわいいよな。このようにデフォルメされた動物が芦雪の特徴である。例のイヌもしかり。

 

群猿図屏風

www.hakubutu.wakayama-c.ed.jp

 

捕鯨図(個人蔵、画像見当たらず)

 

このような構図の面白さが芦雪の特徴だ。猿の絵と言いながら猿をちょこんと書いてみたり、画面下を真っ黒に塗って鯨に見立てたり。

 

山姥図(重文、厳島神社

https://www.tobunken.go.jp/materials/gahou/215775.html

老いというものの醜悪さをここまで正面から表現した作品は珍しいらしい。

 

著者は、芦雪の作風を、オリジナリティでは蕭白若冲に劣るとしながら、その特徴を次のように述べる。

蘆雪の面目は、何といっても、南紀での諸作に最もよく表現されたような、大画面を縦横自在に馳せめぐる線描の達人としての水際立った腕前にあり、この点、「鳥獣戯画」や「将軍塚絵巻」以来の、線の芸術としての日本絵画の伝統を、十八世紀上方の庶民的な世界に再現した画家として評価されるべきかもしれない。(p207)

だそうです。

そして、これら18世紀京都奇想派の画風が、幕末の江戸に受け継がれることになるのである。

 

歌川国芳

この本が出版された半世紀前には、近世美術史学界では、歌麿写楽らの18世紀末が浮世絵の黄金時代であり、それ以降の浮世絵は、北斎と広重の風景画を除いて衰退期に当たる、という見方をしていたらしい。今となっては信じられないが、そのような見方に一石を投じたのがまさに本書ということなのであろう。

ということで、国芳である。1797年生まれの彼は早くから画才を発揮し、歌川豊国に師事。当初は兄弟子の国貞の方が人気があったが、国芳はますます画業に打ち込んだ。

国芳水滸伝の絵シリーズで大ブレイクし、武者絵の人として一躍有名になる。次いで、当時ブームだった北斎の後を追って「東都名所」シリーズを発売。ここに奇想の画家としての国芳の画風が現れ始める。

museumcollection.tokyo

いやこれ何の絵なんだよと突っ込みたくなるが、首尾の松というのは当時有名だった隅田川ほとりの松。それをタイトルにしながら、手前のフナ虫とかヘンな岩とかを主役にして描き、独特の幻想的な空間が生まれている。そして何より、雲が、当時既に浸透しつつあった洋画の表現なのである。幻想性と洋風表現のミックス。これが国芳の特徴である。

鬼若丸の鯉退治(1845年頃)歌川国芳(拡大画像) | フランシスコ・デ・ゴヤ, 歌川国芳, 絵

この絵なんかも、悪魔的表現をしつつ、鯉の描写は多分オランダの生物図鑑に倣っているのである。

www.soumei.biz

これの右の顔も、この部分だけ近代の創作版画のような立体感である。

彼は洋画のコピーを多数コレクションしていたようである。多分彼はアルチンボルドも持っていた。

www.fujibi.or.jp

このての有名な作品があるが、これもアルチンボルドの江戸っ子風の翻案なんだよな、多分。

 

それから、国芳の特徴として、政治風刺をやった、というところがある。浮世絵師は結構そこには触れないようにしてたんだが、幕末になってくると民衆の不満もいよいよ募り、国芳はその代弁者を買って出たのだ。

archive.library.metro.tokyo.lg.jp

これ自体は昔からあるおとぎ話を描いたものなのだが、寝込んでる頼光が当時の将軍、寝ずの番をしている頼光四天王の1人が水野忠邦、妖怪が取り締まりに苦しむ江戸の町人、という含意があるんじゃないかということで、当時大変人気になった。時あたかも天保の改革の最中である。国芳は捕えられて詰問されたが、しらを切りとおし、無罪放免となった。

それ以降、国芳はずっと当局の要注意人物としてマークされており、幕府のスパイに素性を調べられたりもしたようなのだが、結局何も出てこず、お咎めを受けることはなかった。そういうとこちゃんとしてるのはポイントが高いな。彼は猫が大層好きだったようだが、猫の気ままな振舞いに学ぶところがあったのかもしれない。

 

最後に、著者のあとがきの言葉を紹介しておく。

〈奇想〉という言葉は、・・・因襲の殻を打ち破る、自由で斬新な発想のすべてを包括できる・・・〈奇想の系譜〉を室町時代以降の絵画史の中にたどるならば、雪村の水墨画の奇態なデフォルマションが、先触れとしての意味を持つし、『本朝画史』に”怪怪奇奇”と評された永徳の「檜図屏風」のような巨樹表現がこれにつづき、宗達の「養源院杉戸絵」や「風神雷神図」、光琳の「紅白梅図」などもこの仲間であり、・・・むしろ、近世絵画史における主流といってさしつかえないほどである。そしてまた、それら〈主流〉を背後から動かし、推し進めている大きな力が、民衆の貪婪な美的食欲にほかならないことも指摘されてよいだろう。

ここにあげた六人の画家は、そうした〈主流〉の中での前衛として理解されるべきである。異端の少数派としてその特異性のみを強調することは決して私の本意ではない。(p242)

だそうです。日本の主要な画家はみんな奇想の画家なんだ!うおおおお

 

感想

もちろん大変面白い本だった。以下は、その上で、という話。

まあね、こう言っちゃなんだけど、2025年現在ではさ、ここに挙がってた人たちってみんな、既に有名で人気じゃん。日本美術の教科書の近世の頁を開いたら、狩野派土佐派光琳とかと並んで、必ず太字で名前挙げられてるぞ。その辺のおばちゃんでも若冲のニワトリくらい知ってるぞ?であるからして、おれ的には、あまり「新発見」という感覚はなかった。

だが、この文章が世に出た半世紀以上前の人々にとっては、それはもう大いに「新発見」だったんだろう(それはこの本の記述自体からもうかがえる。)。というか、これらの画家の今日の地位を確立させたのがまさにこの本だったというべきなのであろう。古典としての価値がある。昭和44年夏に書かれたあとがきには「今からでも遅くはない」とある。これはヤスダ砦に籠る全共闘に対する東大総長の言葉で、当時のバズワードだ。文革やパリの革命があって、東大入試がなくなって、三島由紀夫まだ生きてる、そういう時代の本だ、おれのようなキッズにとっちゃもう古典だよこれは。

 

まあそれはいいんだけどさ。やっぱ、まだまだいるんじゃないか、忘れられてるけど実はすごい画家、というのは。というか、芸術についていうと、忘れられた価値を「思い出す」っていうよりは、プロの評論によって価値が「創られる」側面があるんじゃないかという気もする。われわれ大衆は、池の鯉みたいに与えられたものをパクパク摂取するしかないが、研究者や評論家は、その筆によって、無視されている芸術の価値をいま一度創り出すことができる。今でも、イーガーな研究者や学芸員の方々などが日夜発掘や評価に勤しんでいるのだろう。皆様頑張ってください、なんか展覧会とかやってたら観に行きますんで。

 

*1:この僧綱のランクについては運慶のところで話した。山本勉『運慶講義』 - あかりの日記

この秋に行った展覧会

 

まとめて供養。

 

ルノワールセザンヌ@三菱一号館

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有名な作品:ルノワールのピアノの前の少女、セザンヌ静物画等

まだあまり興味のないころに行ったのでふんわりとしか観なかった。ルノワールは筆触分割で人を描き、のちにアカデミズムに回帰していった。あとロリコンセザンヌは輪郭をはっきり描いたり、対象を幾何学的な形に還元したり、多視点で描いたりした。

この美術館はコンドル設計の建築もみどころ。

 

神仏と人物@静嘉堂文庫
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有名な作品:春日野宮曼荼羅聖徳太子絵伝など

こちらもあまり興味のないころに行ったので印象薄し。引目鉤鼻、垂迹画、頂相など、日本美術の重要概念を勉強できる場だった。ちょうどこれに行った少し後くらいから、西洋や日本の美術全般を調べ始めたのだ。今思うと、もう少しちゃんとみとけばよかったぜ。

静嘉堂文庫は三菱創業家の美術館で、有名な国宝・曜変天目を所蔵している。いつか見に行きたいぜ。

 

蔦重@太田記念美術館
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有名な作品:写楽の「市川鰕蔵の竹村定之進」、歌麿の「冨本豊ひな」、北斎のみ神奈川沖浪裏」、広重の「庄野白雨」など

大河みてないので版元ネタについてはなんともだが、版画の歴史として、菱川師宣の頃の手で塗った絵から、奥村政信の頃の紅摺絵→春信の頃の錦絵、という技術の進歩を学べて面白かった。

太田記念美術館は太田なんとかさんという個人のコレクションを中心に多くの浮世絵を所蔵する美術館である。

 

日本絵画聖地巡礼@山種美術館
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有名な作品:速水御舟「名樹散椿」等、東山魁夷「緑潤う」等、山口晃「東京圖1・0・4輪之段」等

 『画題となった土地や、画家と縁の深い場所を「聖地」とし、その土地が描かれた作品と、現地の写真をあわせて展示する』展覧会だった。おれは信濃モノなもんで、魁夷の「聖地」は長野かと期待していたが、残念ながら長野の作品はなかった。だが、東山ブルー(というらしい)を堪能できたので満足。

御舟の椿はかなり琳派感があった。屏風を折って展示していてよかったな。

山種は速水御舟川合玉堂のほか、竹内栖鳳などの日本画のコレクションをもつ美術館である。

 

ゴッホ@東京都美術館
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有名な作品:画家としての自画像、ヨハンナの家計簿など

オランダ・ファンゴッホ美術館の、ファミリーコレクションに焦点を当てた展示らしい。結構予習していったけど、正直そんなに有名な作品はなかった。ゴッホは年がら年中何かしらやってるから、しゃあないわな。

 

オルセー印象派展@国立西洋美術館
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有名な作品:ドガ「家族の肖像」、ルノワール「ピアノを弾く少女たち」、モネ「睡蓮」(西美所蔵のやつ)など

室内がテーマの印象派展というのは珍しいらしい。モネ、ドガルノワールなどのほか、セザンヌ、マネなど有名どころが揃っており、画風を比較できてよかった。上記のドガの絵は本邦初公開らしく、観られてよかった。ただね、とにかく激混みでした。

 

このほかに応挙や運慶にも行ったわけだから(運慶は2回行った)、今年は結構芸術の秋したな。以上。

東博東洋館・中国/インドの仏像

この秋、おれは2回東洋館に行った。そのうちの一度は、職場の同僚や上司と行った。飲み会でいつも仏教や仏像の話をしていたら(おれは酔うと一人で延々と喋り続けるタイプのコミュ障だ。)、じゃあ連れてってくれやという話になってしまったのだ。参った参った。

まあそれはいい。東洋館の仏像についてだ。なかなか詳述する時間がとれなかったが、日記の形にしておいた方があとあと役に立つだろうから、とりあえず写真だけでもあげておく。2025年の9月頃に撮影した写真だ(あまり展示替えもないだろうが、念のため。)。

 

宝慶寺石仏

宝慶寺石仏については奈良博と西安の日記で触れたので、そちらを参照してほしい。

akariakaza.hatenablog.com

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この石仏群を世界で最も多く所蔵しているのは、ほかならぬ東博なのだ。

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仏菩薩の姿だけでなく、台座のヤクシャや飛天なんかも、薬師寺三尊や敦煌の壁画そっくりだろ?

akariakaza.hatenablog.com

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敦煌長安ー大和盆地。それぞれ数千キロも離れ、砂漠や海で隔てられた土地に、おんなじモチーフが見られる。これこそがシルクロードのロマンなのだ!!!

 

そのほか中国の仏像

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石仏の後ろに千仏が描かれたり、結縁者の名前が銘記されたりするのは、西安の博物館で見た仏像と共通している。また、顔つきも飛鳥〜天平の仏像との対応関係を確認できるだろう。

akariakaza.hatenablog.com

 

インドの仏像

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ガンダーラ様式の仏像を確認できた。これが仏像の歴史の出発点だ。

 

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マトゥラーの仏像は顔立ちがインド化している。初転法輪、涅槃などの有名なシーンの描写もある。

 

仏像以外は時間の関係でじっくり観られなかったが、後漢時代の画像石などもあった。西安碑林でも似たようなものを観たが、一つだけ紹介。

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上の段は西安碑林にもよくいた西王母。面白いのは中段だ。一番右が周公旦、その横が成王らしい。幼い王を周公旦がよく輔弼していることが端的に表現されている。周公旦といえば、孔子が聖人として絶賛した人物だ。郁郁乎として文なるかな。この絵が彫られた後漢時代にはすでに、儒教的な歴史観が広く浸透していたことがよくうかがわれるな。

akariakaza.hatenablog.com

 

それからそれから、東洋館には、大谷探検隊のコーナーなんてのもあってな。大谷探検隊の話は、ここで少ししたけど。

akariakaza.hatenablog.com

そんなところにいると、美術品の略奪なんかについても、よしなしごとがそこはかとなく心に浮かんでくるわけだが。しかし残念ながら、それを語る気力も時間もないので、またの機会にする。

 

じゃあそのへんで。