あかりの日記

おっ あっ 生きてえなあ

Nidana

そういえば、タクシンさんが仮釈放された。ガイドのおっさんの言ったとおりだ。

https://akariakaza.hatenablog.com/entry/2023/08/29/212158

きっと今年のソンクラーンにはみんなに金が配られるし、みんなが幸せになるんだろう。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240218/k10014362541000.html

しかして、どうやら金があればひとは許されるらしい。

人はみな、生まれた時から神に背いた罪を負っているらしいが、免罪符は金で買える。資本主義が発展し、絶え間ない生産と消費を繰り返し、金で金を増やし、みんなの罪に見合うだけの金を天の国に持っていけば、神様も気前よく許してくれるに違いない。

だけど、すべてを許されるためには、どれくらいあればいいのかな。たぶん、老後に2000万ぽっちじゃ全然駄目だ。ニーサやイデコを何千年やったって到底貯まらない。うれっこの芸能人や政治家の小銭くらいじゃ、神様どころか世間様すら許しちゃくれない。孫さんもゲイツもマスクも全然足りてない。地球を丸ごと買えるだけの金があってもまだまだ足りないだろう。結局、僕なんかがゆるしを得る方法なんてないのだ。あれ、何の話だったっけ。まあいいか。

帰宅

の電車の中

HP残りわずか

飲んで帰るヨウキャどもの声が体の芯まで響く。なんだってやつらの声はあんなにでかいのだ。こっちは囚われの聴衆なんだぞ。話の内容もじつに腹立たしい。女のひとを馬鹿にしてやがる。そういう男は多い。そういう男。自分は違うっていえるのか?

 

もめごとにかかわることをやっているが、同情できる当事者というのはそれほど多くない。余計なことをしなければ、もめごとなんて起こんないのだ。少なくともある種の類型のものは。何もしなければ。でも、世の中からもめごとがなくなったら、僕は失業してしまうな。失業。まあもうそれでいいか。僕も何もしなければいいか。

もう疲れた

参った参った

立川武蔵『最澄と空海』①

 

草木また空に従ひて成す。まさに是れ衆生なるべし。(p172、『伝教大師全集』p183)

 

 

天台智顗に従って、諸法は実相であり一切の衆生は成仏すると説き、比叡山を開闢して爾後の日本仏教に絶大な影響をもたらした最澄

最先端の思想だった密教を持ち帰り、そこから自分なりの壮大な思想と実践の体系を構築した前近代の日本最大の哲学者、空海

同じ時代に生きた両者の思想は結構似通っているようだ。と、いうことで、この二人の思想を、共通点・相違点にも触れながらみていきたい。

あかりにとっては、お大師様はオヘンロを歩いたときに大変お世話になったし、最澄最澄も「大師」だが)も大変長い伝記を1か月くらいかけて読んだので、両方とも大好きなお坊さんだ。

まずパート①では伝教大師最澄と天台思想をみる。

 

第1 前提事実

1 釈尊最澄の前まで

まず前提として、毎度触れている内容だが、釈尊から最澄までを軽くおさらいする。

インド仏教は、紀元前6世紀くらいに釈尊が初め、教団の分裂を経て部派のアビダルマ仏教の時代に入り、阿含経が整備される。1世紀頃の般若経典から大乗が始まり、大乗経典群が作られるとともに、竜樹の中観弥勒唯識といった哲学学派が発展していった。ヒンドゥーイスラムへの反撃として密教が生まれ、タントラ経典が整備されるが、13世紀頭にイスラム勢力により滅ぼされた。

この間、部派のうちの上座部がセイロンを経て東南アジア方面に伝わり、密教を中心とする仏教がチベット方面に伝わった。そして何より、仏教は紀元前後くらいに、西域を通って中国に伝来した。魏晋南北朝期に鳩摩羅什などが多くの経典を漢訳し、隋唐期にはインド思想の流れを汲む倶舎(アビダルマ)、三論(中観)、法相(唯識)などのほか、天台華厳といった中国独自の学派も成立した。唐代には中国密教が発展した。

日本には仏教は中国から538年に伝来したといわれ、聖徳太子が深く帰依して定着した。奈良時代には南都六宗が成立したが、天皇になろうとした例のあの人をはじめとして政治勢力化が問題視され、時の桓武帝は仏教の改革を希求していた。最澄空海が現れたのは、そんな時代である。

2 最澄の生涯

ということで最澄の生涯に入ろうと思ったのだが、書きたいことが多すぎて収拾がつかなくなってしまった(笑)ので、ここではごく簡単に概略だけ見る。

766年頃近江に生まれた最澄は、20歳で東大寺で受戒してすぐに比叡山に籠り、延暦寺を建てるとともに官僧としても出世し、朝廷の許可を得て入唐。天台智顗の教えとともに密教も学び、帰国後日本天台宗を立宗する。引き続き密教も重視して、空海とは経典の貸借をする仲だったが、ある事件を機に決裂。晩年は法相宗の徳一との論争をしつつ、大乗戒壇(※本稿では詳細は触れない)設立運動を行った。死後7日後に大乗戒壇設立の勅許が降り、悲願を叶えたという。その後も比叡山は日本の仏教学習の中心地となり、後には鎌倉仏教の開祖の殆どを輩出することになる。

第2 天台思想(天台教学)

さて、本題である天台智顗の思想に入る。まず、天台思想はキーワードで把握するのが良いと思う。これは、その方がわかりやすいからというのもあるが、それよりむしろ、天台思想それ自体が、「経典等の文章全体の文脈から意味を考える」というよりも、「経典等の一部分のフレーズを切り出して、それがどういう意味かを研究する」という形で構成されているように見えるからだ。別にそれが悪いとか言いたいわけではない。

今回は、本書で取り上げられた天台思想のキーワードとして、①「三諦」、②「一念三千」、③「諸法実相」を見ていこう。その後、天台思想を最澄がどのように受容したかというところに話を進めていきたい。

1 三諦

⑴ 三諦の偈

まず「三諦」から。(なお、この項の内容は立川武蔵『空の思想史』⑤ - あかりの日記で検討したことと一部被ってくる。)

天台宗は、「中論」羅什訳の以下のフレーズを「三諦の偈」と呼んで重視している。

因縁所生法 我説即是空 亦為是仮名 亦是中道義

(因縁により生じた法を我は空と説く。またこれを仮名とも中道の義とも説く。)

(p128)

この部分のサンスクリット文は次のようになっている。

縁起なるものそれを空性と呼ぶ。

それ(空性)は仮説であり、中道である。

(p128)

そして、立川武蔵『空の思想史』③ - あかりの日記の復習になるが、竜樹の原文の解釈としては(この著者によれば)、世界は言葉で表せる実体がないという意味で空であり、縁起によって構成されている。このことに悟った仏があえてこの世界を言葉で表したものが仮説であり、このように仏が仮説によって世界を説明することを中道という。というものであった。つまり、仮説≒中道であって、かつ、仮説も仏の言葉という意味で聖なるものという扱いだったわけね。

これに対して、天台教学は、上記の三諦の偈を次のように読む。「空」とは、あらゆるものに恒久不変の実体が存在しないことをいい、「仮」とはそれらのものが仮に存在の姿を見せていることをいう。そして、「中」とは、ものは全て「空」と「仮」の側面を併せ持っているということを意味する。「世界は空であり仮である、すなわち中である。」というような読み方をするわけである。

これを要するに、竜樹は「世俗から空(神聖な世界)に至り、また世俗に帰ってくる」という、世界に神聖な意味を理解するときの時間的プロセスを語りたかったのに対し、天台の解釈は、世界は世俗であるとともに既に神聖なのだ、というこの瞬間における世界のあり方の描写に終始し、時間的なプロセスを捨象している。この著者の言いたいことはそういうことかなと思う。

(中論)では「仮」とは、一度空性にいたった者にはじめて許されるものであって、否定を受けていない「俗なる」ままの現象世界のことではない。その「仮」が、天台の教学においては俗なる現象世界を示す語としてもちいられている。それによって、「仮から空」「空から仮」の語句は、宗教実践の過程、時間の構造を有する変化ではなくなり、静的な心理の表現となってしまった。(p114)

この著者がそのような天台思想にどういう評価を与えているのかはあまり判然としない。あとがきでは天台思想が好きとか言っているのに、本文ではやや天台思想に批判的ではないかという印象も受けなくもないのだが・・・まあそこはおいおい考えるとして、「違いがどういう意味を持っているか」という点はひとまず措き、その手前の、「竜樹と天台にはこういう違いがある」というところまでは押さえておこう。

んで話を進めるが、この「三諦」の話が、有名な天台智顗の教相判釈の分類基準になっているのだ。ざっくりいうと、「『空』だけや『仮』だけを説く教えより、その2つが円融している『中』を説く教えの方がエラい。そしてその中を説くお経こそ法華経だ!」という感じである。ということで、せっかくなので教判の話を少し詳しく見ていこう。

⑵ 五時八教説

天台智顗の教判は「五時八教説」と呼ばれる。その意味は中村元、三枝充悳 『バウッダ[佛教]』① - あかりの日記でも触れたが、阿含経も大乗経典も全て釈尊1人が悟りを開いてから入定するまでの45年間に説いたもの、との解釈のもと、それを説いた時期から「五時」に分け、内容から「八教」に分けるという分類法だ。「八教」というが、実際は説いた方式による「化儀の四教」の分類と内容による「化法の四教」の分類をそれぞれする。(ので、「五時四教四教説」という方が正確な気もする。)

要するに五時八教説では、「このお経は〇〇の時期に△△の方法で説かれた、××という内容のお経だ」というふうに、3つの基準で全てのお経を分類する。例えばこの分類のもとで華厳経は、五時のうち「華厳時」という時期において、「頓教」という方法で説かれた、「別教」という内容を持つお経、と整理される(違っていたらすみません)。今は「三諦」の話の途中だが、これに関わるのは「化法の四教」なのでこれを見ていく。(「華厳時」とか「頓教」とかは何だよと思われるかもしれないが、今回は「五時」と「化儀の四教」の話は割愛させてもらう。)

天台教学は、化法の四教すなわち内容に着目した4分類として、①蔵教、②通教、③別教、④円教の4つに分類する(①→④にかけて進歩していくイメージ)。そしてこのそれぞれが、上記の三諦のそれぞれと結びついた概念なのだ。

① 蔵教は三諦のうち空諦のみを説くが、大乗的な空思想を含まない教えをいう。具体的には阿含経や倶舎論*1などのアビダルマ仏教がこれに当たる。天台は蔵教の現象世界を分析的に考え、因果関係により説明する見方を「析空観」という。蔵教の教えは法華経でいうところの声聞(部派仏教の信徒)・縁覚(独学で悟りを開こうとしている者)が信じる教えと考えられている。

② 通教は、空諦のうちで大乗的な空思想を含むものである。諸法が空であるという考え方をし、「体空観」といわれる。上の二乗に加えて、大乗の菩薩も含めた三乗全てに妥当する教えであるといわれる。

③ 別教は、空諦だけでなく仮諦にも焦点を当てた教えであり、華厳経などがこれに当たる。

④ 円教は空と仮が円融しているという中諦を説く最高の教えであり、まあつまり法華経のことである。

ということで、まああんまり具体的なことを聞かれるとわからないが(笑)、「三諦」のうちどれを説いているかによって教えを4つに分類して、かつ、説く内容として空→仮→中の順にお経のグレードが上がっていく、ということはわかっただろうか。

⑶ 「円融」って何なんですかね

天台の「空」と「仮」というのをこの著者が言うように「存在がないという宗教的真理」と「存在があると言う世俗的現実」というような対立概念として捉えるとすると、それが「円融」しているというのはどういうことなのか。「空のままが仮であり中であり、仮のままが空であり中である」という説明をしたりするが、まあはっきり言ってあまり釈然とはしない。

この著者は、次のように説明する*2。竜樹は「世俗から修行を経て世界の神聖さに気づき、それを経てまた世俗に戻ってくる」という時間的プロセスを描写した。これに対して、天台の円教はある一時点における世界のあり方を描写したにすぎないが、しかし実は、その時間的プロセスを踏むということは天台の体系の中に内包されているのである。すなわち、「最初仮だと思ってたけど、修行をして空と観ずる」というのは、最高の教えである円教ではないものの、最高の教えの一個下の別教の教えではあると言われている。仏道修行を積んで、世界の神聖性に気づく、というプロセスは、円教の一個下として天台思想の中に内包されている。では、天台の円教は、その思想をもって何が主張したいのか?

ある1時点で世界を切り取ったときに空と仮が円融している、という教えは論理性を超越したものだ。論理による説明をした教えは、その下の通教や別教の教えである。天台思想は、その超論理性をして、その思想が絶対の真理であることを強調しているのである。

まあつまり、(あかりの乏しい理解だが)「空と仮が円融している」という言説は、突き詰めると、アタマでの理解としては、「存在のあり方について論理を超えた絶対の真理がある」というくらいのことを言っているととるしかない、ということか?

 

ここからはあかりの私見であり、またヘンなことを言うかもしれないがご勘弁いただきたい。法華経が(少なくとも一面では)「声聞・縁覚でも悟れますよ」という平等主義的な一条思想を唱えるにもかかわらず、天台は、おそらく他の宗派と比べても、円教たる法華経の、他の教え・お経と比べた優位性を強調する。著者がいうようにその優位性を思想の超論理性によって裏づけようとしているのかは措いておいても、天台思想が教えの間のランキングを重視する思想であること自体はおそらく間違いないだろう。僕は法華経の抄訳というものを読んだことがあるが、そのマインドの大部分はおそらく、法華経それ自体に由来するものだ。そしてまた、そのマインドは、法華経、天台智者大師、聖徳太子から最澄を経由し、日蓮に至ってさらに強調され、日蓮宗から派生した各派にも色濃く伝わり、現代まで生きている、ように思う。別に僕はこのマインドを否定するつもりは一切ない。むしろ、この法華経系の思想の、「教えの正しさそれ自体の強調」という側面が、これらの思想をして(仏教思想の中では珍しく)現代でも生きた思想とさせているのではないか、と思うのだ。現代日本では阿弥陀信仰も禅も密教も信仰という意味では正直言ってほとんど死んでいると思うが、法華経信仰はまだ生きている感じがする。(まあ、その結果として現代に存続している各種の思想や教団が世俗社会と良好な関係を築けているかという点は、時としては厳しく、不断に、顧みられなければならないであろうが。)

2 一念三千

⑴ 「一念三千」とは

続いて「一念三千」を見る。ちなみに、この記事で挙げたようなキーワードをググってみると、前述した現代に息づく各種の教団それぞれの解釈が出てきてなかなか興味深いぞ。

それで、1でみてきたように、天台における絶対の真理である円教は、時間的なプロセスを捨象して、世界は「この瞬間において」空と仮が円融していると説く。このように、天台思想は一念(一瞬の我々の心象)に世界の全てを見ようとする。というより、一念が世界であり、世界は一念に他ならないという。この思想を一念三千という。

とりあえず、この世界を3000とカウントするということらしい*3んだが、この3000ってのは何の数字なんですかね?まず最初に計算式を示す。

十界×十界×十如是×三種世間=三千

それぞれの意味がよくわからんので、少し見ていこう。

⑵ 「十界」とは

十界とは、いわゆる六道(地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天)に、修行者である声聞、縁覚、菩薩、そして仏の4つを加えたものである。なお、この六道は仏教を通底する基本概念だが、この辺りの基本的世界観はアビダルマ仏教の「倶舎論」(アビダルマ・コーシャ・バーシャ)に記載されているらしい。六道は知っている人が多いと思うが、僕はこの話を聞くといつも、「畜生とか人とかは『どのような生き物として生まれるか』という話なのに、地獄とか阿修羅とかは『(空間的に)どこに生まれるか』という話であって、異なる基準の区別がごっちゃになっちゃってるんじゃないの?例えば地獄には人も犬猫みたいなやつもいるんじゃね?」とか思っちゃうのだが、その辺りの疑問は倶舎論を検討するときに解明していきたい。

「一念三千」との関係で重要なのは、それぞれの界が他の9つの界を含んでいる、と解されていることだ(これを「十界互具」という。)。人間界の中にも天国みたいな生活をしている奴もいれば、犬猫と変わらん暮らしをしてる奴や地獄の苦しみを味わってる奴もいる・・・というような意味ですかね?あんまりピンとこないがこれ以上深掘りはしない。とにかく、まずこの視点から、10×10=100個の世界が想定できるわけだ。

⑶ 「十如是」とは

んで次に、この百界それぞれに「十如是」という存在様式がある、という説明がされる。十如是ってなんぞ?

これは法華経に書いてある。方便品第二、鳩摩羅什訳。おそらく法華経で一番よく知られている部分だ。ちょっと長いが引用してみよう。

止 舍利弗 不須復説 所以者何 仏所成就 第一希有 難解之法 唯仏与仏 乃能究尽 諸法実相 所謂諸法 如是相 如是性 如是体 如是力 如是作 如是因 如是縁 如是果 如是報 如是本末究竟等

(止みなん。舎利弗よ。また説くべからず。所以は何ん。仏の成就せる所は、第一の希有なる難解の法にして、唯、仏と仏のみ、すなわち能く諸法の実相を究め尽くせばなり。
所う謂は、諸法の是の如き相と、是の如き性と、是の如き体と、是の如き力と、是の如き作と、是の如き因と、是の如き縁と、是の如き果と、是の如き報と、是の如き本末究竟等となり。)(p139)

ということで、如是なんとかが10回出てきたな。そしてその前には、有名な「諸法実相」というフレーズも出てきた。この「諸法実相」の意味については次の項で検討するとして、ここでは如是なんとかの方を見る。天台の法華経解釈によれば、この十如是は、それぞれ諸法すなわち世界の実相としてのあり方(存在様式)であると説いている、とされている。上で見た百界が、それぞれこの10の表れ方をとって表れる、という感じかな?まあ抽象的であってふんわりとしか理解できていないが、多分(これを言ったら怒られるかもしれないが)そんなに具体的に経験的知識に照らして考えられるほどカッチリした概念構成なのかも少しギモンなので、とりあえずこれ以上深入りしないでおこう。

(脱線)仏教はひたすら空中戦だ。誤解を恐れずに言えば、経験に基づく知識を信用せず軽視している。だから仏教は「科学」を生み得なかったのではないか。よく「中世のキリスト教が科学を停滞させた」なんて話を聞くが、仏教徒はそれこそ近代に至るまで、世界はどでかい円柱の上の須弥山を中心とする円盤だというアビダルマの学説を信じ、それ以上には経験的世界の姿形に関心を持たなかった。それは別に、西洋思想に比べて思慮が浅かった、ということでは全くなく、特に竜樹以降は、正面から意識的にそういう態度をとってきた、ということなのではないだろうか。脱線すいません。

三種世間、については(はっきり言ってよくわからなかったので)はしょるが、この世界を衆生(生きもの)、器(山とか川とか)、五蘊(構成要素。なおこの3つ目は異説があるらしい)の3つに分ける分類法らしい。色々突っ込みたいところがあるが(笑)、脚注に回す*4ことにしてこれ以上は立ち入らない。

こういうふうに世界に3000のあり方があると考えるわけね。

⑷ 三千が「一念」であるとは

それで天台思想は、この三千すなわち現象世界全体が「一念」だ、と言うわけだ。その趣旨は、三千世界は人間の妄心(迷いの心)の一瞬一瞬に存する、ということらしい。お坊さんの法話なんかだと、「要するに世界のあり方は心の持ちよう次第ということです」なんてことを言いそうであり、世俗を生きる我々の自己啓発としてはその理解で十分かもしれない。しかし、もう少し踏み込んで考えてみる。本書でよく使われる「聖」と「俗」の概念を用いて検討すると、一念三千という思想は、一念すなわち我々の一瞬の心の働きの中に、世俗としての世界のあり方だけでなく、聖なる世界(空性の世界)というあり方も含まれている、という話をしているのかもしれない。

しかしそうはいっても、実際には俗の世界にしか見えないわけであって、著者の言うとおり、聖性をもつには修行の階梯を経る必要があるだろう。この点についてあかりがちょっと思ったのは、天台の一念三千というのは、世界にはその聖性が発露しうる可能性が秘められている、というような、可能性の話をしてるんじゃないか、っていうことだ。このように考えるのが、天台やその後の日蓮系の実践を強く勧める思想の趣旨と合っているような気がするし、このように考えれば、「聖俗が円融している世界」と「聖にまだ至っていない俗の世界」という二つの概念がそれほど軋轢なく両立するような気がするのだ。

さて、今僕が解釈したような一念三千とリンクする話として、さっき挙げた方便品の中の「諸法実相」という概念がある。3番目のキーワードとしてこれを見ていきたい。

3 諸法実相

⑴ 訓読

最初に概略をいうが、天台智顗が方便品の「諸法実相」の箇所を「諸法は実相である」と読んだ上で、これを天台の重要概念と位置付けた。「諸法は実相である」という命題の解釈は後で述べる。まずは形式的に、法華経のこの箇所は「諸法は実相である」という読み方でいいの?、というところから考えたい。

上記の羅什訳方便品をもう一度見てほしい。「仏…のみ、すなわち能く諸法の実相を究め尽く」す。すなわち、ブッダだけが諸法の実相を隅々まで知りうる、というようなことを言っている。そう、羅什訳に忠実に読んだとしても、「諸法が実相である」じゃなくて「諸法の実相」なんだよね。天台大師は結構文法を崩した読み方をしがちな気がする。ここだけでなく、「十如是」も、同じ箇所を何通りにも別の読み方をしているらしい。構文を比較的自由に読める中国語ならではの読み方なのかもしれない(しかし中国語ってそんなに何通りにも読めるものなの?素人なのでわからないが…)が、この自由な発想こそが、仏教をただのインド思想のコピーだけで終わらせず、中国人の思想として昇華させた原動力だったのではないか

しかるに、諸法実相を「諸法の実相」と読むと、「諸法の実相でない部分」も必然的にあることになるように思われ、「諸法が実相である」という解釈はこの時点で既に、お経の原文の趣意とは若干ズレているような気がしないでもない。まあいいか。

この問題にはさらに続きがある。それは、そもそも前提となる羅什の訳がサンスクリット原文とちょっと違うんじゃないか、ということだ。

重ねて強調しておくが、僕は天台思想が嘘の教えだとか経典を誤読したとか言いたい訳では一切ない。逆に天台の解釈が絶対の真理だというつもりもない。信仰のない僕に「正統な教え」が何かを探ることは何の意味もないことだ。そうではなく、天台思想のオリジナリティがどこにあったのかを探る作業をしている。そこは分かってほしい。

⑵ サンスクリット原文だと?

それらのもの(ダルマ)は何であり、どのようなものであり、何に似ており、どのような性質(ラクシャナ)を有し、どのような本性(スヴァバーヴァ)を有するものか。これらのものを如来のみが眼に知り直接に知っている。(p140)

これが上記の箇所のサンスクリット文の訳である。鳩摩羅什訳とかなり違うことがわかるだろう。まず、原文にはダルマという語がある。これは、「もの」(現象)という訳(立川武蔵『空の思想史』② - あかりの日記参照)と、「教え」という訳の2つがあり、どちらで訳すべきかの問題がある。原文でラクシャナ、スヴァバーヴァといった「もの」とセットで使う語があることから、おそらく「もの」と訳すのが正しい、らしい。しかし羅什は「法」を使い、「教え」を含意させた。

それから、十如是の部分だが、これも原文を見ると5つしかない。また、それぞれに羅什があのような訳を当てた理由も必ずしもよくはわからない。この部分は羅什が、大事だと思ったので増強しておいた、ということなのだろう。

そして、ここが最も重要だが、「諸法実相」との関係では、単に「これらのものを」となっており「実相」に対応する語がそもそも存在しない。「実相」は訳というより羅什が、勝手に足したとまでは言わないが、そこが大事だと思ってよりわかりやすいように強調したのだろう。なお、羅什訳には別にもう一箇所、「諸法実相」が出てくる。そこでは「スヴァバーヴァ」(自性、本質。立川武蔵『空の思想史』③ - あかりの日記参照)の語を「実相」と訳している。サンスクリットのこの語は、「存在の背後にある本質」というような意味であり、「相」すなわち「すがたかたち」という意味はない。なぜ羅什は、スヴァバーヴァをすがたと訳したのか?

立川武蔵『空の思想史』② - あかりの日記でも割と詳しく検討したが、インド思想には、ダルマ(属性、現象)とダルミン(基体、本質)を区別して現象の奥にある本質の存在を認める(実在論)か、認めない(唯名論)か、という大きな対立軸があった。仏教は唯名論だが、アビダルマが実在論に寄っていったのを竜樹が批判して空の思想を説いた。立川武蔵『空の思想史』③ - あかりの日記に書いたように、竜樹以下の中観派は「スヴァバーヴァが空である」すなわちものの本質などないと述べ、それを前提として、最高真理においてはダルマも空である、すなわち、何もない、と述べたのだった。(これに対して、ダルマだけがある、というタイプの唯名論を唱えたのがヒンドゥー哲学の主流であるヴェーダーンタである。)このような唯名論実在論の対立軸の中では、「本質」を指す「スヴァバーヴァ」を「現象」に近い「相(すがた)」と訳したらまるで意味がわからなくなってしまうだろう。

これに対して、中国人(そして日本人もそうだが)は、えてしてこの世界に常住不変の基体の存在を認めない。この点において中国思想は基本的に全て唯名論的であり、実在論との間の対立はないのだ。「本質」という概念を現象として現れた「すがた」と区別する必要がなかった。そのような中国人の思惟があったから、羅什はスヴァバーヴァを「実相」と訳したのだろう。

さらに、インド中観派が「ダルマ(現象)もない。この世界にはなんにもないんだぜ」と言ったのに対して、中国人(そして日本人)は、この目の前にある世界のあり方を疑わない。だから、彼ら(そして僕ら)は、「空性」を「ないこと」ではなく「空というあり方であること」と解釈するのだ。羅什は「実相」という言葉を用いたことによって、まさにそのように、「世界はある」という方向性を大きく打ち出したといえるのではないか。このように考えると、羅什や天台の思想は存在論に関しては、仏教の中観派よりもむしろ、ヒンドゥーヴェーダーンタ派に近かった、ということができるかもしれない。

おそらく法華経サンスクリット原文は、「如来たちはすべてのものについてはっきり知っている」ということを言いたかったのであり、「諸法が実相である」ことを述べようとしていたわけではないのだろう。しかし、羅什はおそらく意識的に、そのようにも読めるように訳した。そしてある意味では、その羅什の訳が、その後の中国や日本の仏教思想を方向付けた。…というのは言い過ぎだろうか?まあ仏教全体に風呂敷を広げるのはやりすぎかもしれないが、少なくとも、現象世界に対して否定的な仏教・空思想を現世肯定的に把握するという天台思想の解釈の指針は、鳩摩羅什の訳し方の中にすでに現れていたといえるだろう。

⑶ 諸法が「実相」であるとは

で、ぐちゃぐちゃ見てきたが、とにかく天台思想は「諸法は実相である」と説くのである。これは鳩摩羅什が訳し、天台智者大師が解釈したものであるが、この部分を重要な教義として前面に押し出したのは、我らが最澄である。諸法実相とは「もろもろのものはそのまま真実のすがたを示している」という意味である。移り変わり元には戻らない世界を、「だからないのだ」と言うのではなく、「そういうあり方であるのだ」と捉えるのは、古代より移ろいに美を感じる思考を続けてきた日本人にふさわしい思想かもしれない。この「諸法実相」の概念は中国天台宗でもあったが、最澄が強調し、日本で花開いた。日本人ウケのよい概念であったと言えるだろう。

というわけで、ここにきて(ようやく)最澄が出てきたので、これまでに述べてきた天台智顗の思想を最澄がどのように発展させて説いたかを見ていこう。

第3 最澄の思想

1 三一権実諍論

最澄自身の理解を知るためには、最澄法相宗の徳一と行った論争、通称「三一権実諍論」をみるのがわかりやすいようだ。そのごく一部をかいつまんで検討しよう。

⑴ 法相宗とは

まず前提として、法相宗について簡単に見る。といっても僕もあまり知らないので付け焼き刃の知識だが。

法相宗とは、要は中国に輸入された唯識派(ヨーガチャーラ)である。世親とか無著とかを研究してるわけね。法相宗の僧侶といえば何と言っても玄奘三蔵が有名。日本に輸入されると南都六宗の最大勢力となり*5、玄昉や道鏡といった政治史に出てくるお坊さんをガンガン輩出した。しかし、桓武帝による遷都以降は勢力に翳りが出始め、最澄天台宗を立てて受戒の枠をもぎ取ったり、大乗戒壇設立を提唱し出したりすると、南都側は激しく抵抗するようになる。その抵抗の急先鋒となったのが、東国で活躍していた徳一なのだ。

⑵ 争点:止観のあり方

徳一と最澄の論争があったことは、最澄側の文献で知ることができる。最澄筆まめな人物で、相手の主張を全部書き写してから反論してたから、大体どんな感じの論争だったかわかるわけだ*6

その争点は多岐にわたるので、今回は代表して、止観(座禅)のあり方についての論争を見てみる。

止観とは伝統的な坐禅法であり、「止」と「観」はそれぞれ修行のプロセスを意味する(詳細は省くが、「止」が対象を心に固定させること、「観」がそれを心の中で観察することらしい)。というのが伝統的な解釈だ。天台大師は、有名な「摩訶止観」という修行法の本を書き、これとは異なる見解を示す。究極的真理では、止と観には区別がなく、止観はプロセスという意味だけでなく、その結果として得られる究極的な知恵をも示している、というのだ。徳一は、天台思想が「止観」の語をこのように解することを批判する。伝統的な唯識の書籍に従えば、「止観」とは修行の手段のことであり、それ自体が結果を示すものではないのだ。

辺主(智顗)が止観の名を釈して云く、「法性の寂然なるを止と名づけ、寂常に照らすを観と名づく。初後と言ふと雖も二なく別なし。これを円頓止観と名づく。漸と不定とは置きて論ぜず」と。(p163)

なお「辺主」とは智顗をけなしてつけたあだ名である。

⑶ 最澄が勝った…のか?

それでなんだが。一般にこの論争は、最澄側が新時代の思想を提唱して勝った、と見られることが多いと思うのだが、徳一の批判はある意味でもっともなところがあるのだ。従前の唯識関係の書物の記載に従えば、「止観」の解釈は徳一の方が正しい。天台大師の思想は、彼以前のテキストの中には、それがよるべき典拠をもたないのだ。まあその限りでは論争は徳一が勝っているように見える。これに対しての最澄の再反論は、「徳一は一部の経典しか読まずに反論していて見識が狭い」というものであり、あんまり反論になっていないような気がする。

ここまでに繰り返し見てきたように、天台思想は中国で発明された思想であり、その意味で、インド思想に根拠を求めることができない箇所がある。天台がインド思想から遠く離れてしまっている、という徳一の反論はその限度では当たっている。しかし、天台思想には、それがもつ新規性や、結論の説得力などの強みがあるところ、徳一は肝心のそっちの方はあんまり攻撃できなかったのだろう。その結果、この論争自体の帰趨はさておいても、その後の日本仏教において法相宗天台宗が果たす役割には天と地ほどの差がついてしまった。

⑷ 徳一が批判した相手

このように論争は続いていくのだが、ここで若干視点を変えてみる。改めて⑵⑶を見てみると、徳一が直接批判した相手は、最澄というより天台智顗なのである。っていうか、今回をとおして見てきた天台思想のほとんどが智顗以下中国天台宗の教えであって、最澄が取り立てて付け足した箇所というのはあんまり出てこなかった。実は、最澄は、空海や、鎌倉以降の開祖と比べると、思想の中で自分で考えた部分というのは割合的にそんなに大きくない。日本天台宗の思想の大部分が中国のものをそのまま入れたものだ(密教関係についてはかなり独自色があると思うが、そのあたりの教義が整備されるには円仁や円珍の時代を待たねばならない。)。その理由の一つには、最澄が晩年、少し腰を落ち着けて自分の思想を深めるべき時を、政治的理由により、徳一との論争や大乗戒壇設立の陳情に当ててしまったから、というのが、もしかしたらあるのかもしれない。しかし、ともあれ、最澄や日本天台宗が独自に発展させた思想というのもある。それを確認し、この日記をシメようではないか。

2 最澄のオリジナリティ?

まずは何と言っても、密教を重視したことである。中国密教は唐代に流行するが、天台大師は隋代の人なので、当然その体系の中に密教はなかった。五時八教説の中にも当然、金剛頂経理趣経をいつ説いたか、なんて話は全くない。しかし、最澄の入唐時にはすでに密教は無視できないほど流行していた。彼は密教を重視し、天台の体系の中にも積極的に取り入れようとした。帰国後も、自分が密教の学習が不十分であることをわかっており、年下の空海に頭を下げまくって経典を借りまくり、密教を天台思想に吸収することに尽力した。そのプロジェクトは、空海との決裂や、泰範などの人材を高野山に取られたこともあってか、最澄存命中には完成しなかった。円仁や円珍といった優秀な弟子が入唐し、その後天台座主となってプロジェクトを継続し続けたことで、最澄の死後数十年ののちにようやく、高野山と並ぶ密教の体系(いわゆる台密)を整備するに至ったのである。

それから、著者が注目する最澄独自の思想として、草木成仏がある。冒頭に挙げた発言のとおり、最澄は草木を、成仏の主体である衆生であると考えている。しかしこのような思想は中国の天台思想には、少なくとも明示的にはない。いわんやインドをや。これは、このありのままの世界に聖なる意味を付与するという諸法実相をさらに押し進めた見方といえるだろうか。著者は最澄がこのような考えを持つに至った理由を、日本特有のアニミズムにあるのではないかと検討する。最澄がこのような思想をもったことは、仏教を日本の思想として定着させたことの証左になるだろう(ただ、草木成仏が鎌倉仏教とか後につながる重要概念になったかというと、それはそうでもないような気もするが。)。

最後に、これは思想ではないが、最澄の思想史上の功績*7として、現代にまで続く仏教の総合大学を設立したことは語らねばならない。天台思想は仏教と名のつくものを全て取り込む懐の広さを持っている(もちろんテッペンに位置するのは法華経だが)。最澄はそのような天台教学を思想的支柱として、比叡山を、あらゆる仏教の知識が集まる研究センターにしたのだ。高野山も同じような僧院ではあった。しかし、比叡山がその後、高野山をはるかに凌ぐ発展をした。それは、都からの近さとかもあるだろう。しかし一番の理由は、失礼な発言かもしれないが、最澄の思想が未完成だったからではないか、という気がするのだ。密教にしろ大乗戒壇設立にしろ、最澄は道半ばでこの世を去った。その遺志を継ごうという宗教的熱意が、比叡山に人材や知識を貪欲に集めていくことにつながったのではないだろうか。そのことが、比叡山から鎌倉仏教が次々と生まれる契機となったのだと思う。次回に見ていくが、空海の思想は彼一代であまりにも完成され過ぎていた。そのため、彼の入定後には、もうあんまり付け足しの余地がなくなってしまったのではないだろうか。

 

今までで最長の日記になってしまった(最澄だけに)。おそらくは多くの誤りを含んでいるので、これを読んで気になった方がおられれば遠慮なく指摘してほしい。そんな人はいないと思うが。

僕は最澄や天台に興味を持っている。だが、同じくらい空海も好きだ。次は空海密教の話をしよう。余裕があれば、タントラ教典やチベット仏教の話にも入りたいが、そこまでは無理かなw

 

 

*1:五時のお経の分類ということでなんで論が入るんだよと思われるかもしれないが、伝統的に日本の天台宗は論もこの分類で考えてきたらしい。

*2:はっきり言ってこの辺りの教学の理解は、「空」とか「仮」の解釈自体も含めて、この著者の理解が界隈の共通理解なのかがよくわからない。というより、これは僕のひどい偏見だが、仏教界に「共通理解」なんてものを形成しうるほどの学問的環境があるのかすらもよくわからない。正直なところ、僕はズブの素人なりに仏教の思想には興味をもっているが、仏教界(日本のね。よその国のことは知らん)にはあんまりいいイメージをもっていない。

*3:なお、三千大千世界、というのとはちょっと違うらしい。

*4:◯まずこの三つを並べるのに違和感がある。五蘊というのは衆生や器をもっと詳しく見たものであって、同じカテゴリーで並べるのはおかしくないか?

これに限らず、仏教はインド人も中国人も日本人もとにかく列挙が好きだが、はっきり言って「なぜそれをグループにするのか」の意識が希薄であって、列挙しないよりもかえって趣旨不明瞭になっているものが多いと思う。やたら小難しい概念をいっぱい使う割には概念間の整理があんまり得意じゃないように感じる。フォルダみたいな階層構造の意識が欠如していて脳がバグる。

例えば、ブッダの「四諦」とかも苦と集滅と道はそれぞれ別カテゴリーだし、天台の「三諦」も、中は空と仮の関係の話なので空仮より一段上の概念のはずであり、この三つを横並びかのようにまとめるのはおかしいのではないか。このあたり僕は結構引っかかっているので(笑)、「仏教の諸概念のグルーピングの仕方への違和感」についてはいずれまた語りたい。

さらに根本的な話をすると、仏教のうちのある種の思想は、今何についての話をしているのかが非常に分かりにくい。というより、唱えている側も問題の所在あまり意識してないように感じるものがある。申し訳ないが天台はその傾向が強いと思う(法華経自体にそういうところがあった)。他には、中観や唯識もその側面がありそうだ。あと、あまり詳しくないが、道元の著作なんかもそういう感じなのではないかと思っている。僕の理解が不十分なためにそう感じる箇所もあるだろうから、いずれ検討したい。

◯それからあと、この「三種世間」それぞれに「十如是」があるのは分かるんだが、「十界」の方はどうなんだ?三種世間と十界は微妙に重なってないか?たとえば「器世間(山や川)」を考えてみると、「畜生の(固有の)器」というのはあるのか?こいつらは地上にも天にも地獄にもいるはずだから、独立した器はないんじゃね?というか、世界は一応全部繋がってるはずだから、究極的には器はそれぞれあるってわけじゃないよね。あるいは、この三種世間というのは、そういう客観的な話じゃなくて、なんかもっと「ある生き物にとってのそいつが見た山や川」みたいな主観的な話をしているのか?ここはよくわからない。そもそも何か通説的見解があるのかや、現代人が理解できるような明晰な言葉による説明をしうるものなのかも分からない。

*5:倶舎も三論も日本ではあまり元気がなかったようだ。律宗も鑑真は頑張ったけど後に続く者がおらず、せっかく作った戒壇院や戒律それ自体も比叡山にお株を奪われてしまった。まあ律宗は鎌倉期にちょっと復活するけどな。

*6:現代の裁判の準備書面の認否のスタイルじゃなくてよかったね(笑)

*7:政治史に絡めればもっと色々語ることができるが、それはまたの機会に。

お経の分類について

キリスト教とかイスラム教とかと違って、仏教は教えの核となる聖典(お経)そのものがいっぱいある。古今東西に色んな学派や宗派があるけど、その違いを生む大きな要因の一つとして、いかなる経典に依るかというところがある。

 

でまあ、それぞれの学派・宗派がどの経典に依拠しているかというのは、そのそれぞれの話をするときに見るとして、今日問題にしたいのは、それぞれの学派が「それ以外の経典」をどう位置付けているか、ということである。一つのアプローチとして、もう無視する、というのもありうるのだろう(浄土系なんかはそれに近いのかな?)が、多くの学派はそうではなく、「他の経典よりも自分の依拠する経典がエラいんだ」という議論をする。古来より仏教を語る人でこの手の話がキライな人はいないだろう(たぶん)。いわゆる教相判釈、お経のランク付けである。大乗非仏説とか近代に西洋人が始めた文献学的手法による聖典研究も、見ようによっては教判と言えるかもな。これについて、今の僕の乏しい知識で分かっていることをふんわりとまとめてみる。

 

まず、東南アジアやスリランカなどの上座部系の仏教においては、アーガマだけが聖典とされている。タイでは釈尊以外の仏像は(中国人向けの観光施設以外では)皆無だった。これらの仏教において大乗経典がどう扱われているのかは要調査である。偽経として積極的に糾弾されているというよりは、無視されているのかもな。

教判の生みの親の天台宗(中国、日本)では、天台智者大師の五時八教説によって法華経がトップとされている。この内容はいずれ少し詳しめに見ていきたい。

華厳宗でも、賢首大師法蔵による五教十宗という教判がされ、こちらは華厳経がトップとされている。

我らが日本が誇る空海は「十住心論」を記し、各宗派をランク付した上で、密教を頂点におく。ここでいう「密教」とは当然だが、空海が持ち帰った大日経金剛頂経に依拠する両部密教だ。

この十住心論は顕密の序列づけだが、密教経典の間での序列については、現在の日本密教界では、上記の両部を「純密」として上位に置いた上で、それ以前を「雑密」、それ以降の後期密教の経典を「左道密」と呼び、それぞれ若干下に見ているらしい。

これに対し、チベット仏教では、密教経典を所作タントラ、行タントラ、瑜伽タントラ、無上瑜伽タントラの4つに分け、最上位の無上瑜伽タントラに後期密教経典(秘密集会タントラ、呼金剛タントラ、時輪タントラなど多数。これを「タントラ経典」ということがある。この辺りはしかるべきところで詳述したい。)を位置付けている。ちなみに大日経は行タントラ、金剛頂経は瑜伽タントラであって、無上瑜伽タントラよりは下という扱いだ。

 

それから前述のとおり、大乗非仏説とか、近代仏教学における成立年代の特定なんかも、ともすると教判のような議論に結びつきやすい気もする。真にブッダの説でないものはダメだ、みたいなね。

 

こういった各宗派の教判のうち、序列づけをしている部分は現代人の僕にとってはまあ無意味だが、仏教と呼ばれるものの全体像を知る上では、経典を列挙して分類するという作業が行われたこと自体は知っておく意味はあるのかなと思う。あと、単純に、こういう話はいかにもオタクっぽくて面白いよな。「この作品のキャラの中で最強は誰か?」みたいなのと一緒じゃないか。僕は漫画などにはあまり詳しくないが、そういう話自体は好きだ。

 

Ākāśagarbha

 

空海の大好きなホトケ、虚空蔵菩薩虚空蔵菩薩真言というと、よく知られたものが二つある。

 

①おん、ばざら、あらたんのう、おん、たらく、そわか。

②のうぼう、あきゃしゃきゃらばや、おん、あり、きゃまり、ぼり、そわか。

 

②は虚空蔵求聞持法という密教の修行などで唱えるものだ。オヘンロを歩いた際に利用した仏前勤行次第には、こちらが書いてあった。

僕は四国を歩いていたとき、空海の真似をして(?)100万回唱えようとした(その1%も唱えられなかったが)のだが、そのことを後で立ち寄った高野山のお坊さんに伝えたら、「ちゃんとした行法を守って行わないと本当に危険だから、やめなさい」と厳しいお叱りを受けた。

「ノウボウ」は「南無」と同じ、「アキャシャキャラバヤ」というのは「アーカーシャガルバ」すなわち虚空蔵菩薩のこと。「虚空蔵菩薩に帰依します」というくらいの意味。その後の部分は、特に意味はなく、なんか行者が修行するときにひとりでに発する音から発展したとおぼしきものらしい(ホントか?w)。

 

①が一般的に唱えられる真言らしい。「たらく」とは虚空蔵菩薩の種字である「タラーク」のことだ。

ところで、少し前にやっていた「鎌倉殿の13人」というドラマで、頼朝の娘の大姫が①を唱えていたな。おんたらくーそわかー。あのドラマは他にもいくつかマントラが出てきたことを覚えている(全成という坊さんがいろいろ唱えていたな)。やはり平安末期くらいのブルジョワ階級にとって仏教といえば密教なのだ。時代考証がしっかりしていた。僕はあまり大河を見ないが、鎌倉殿は大好きだった。暇に任せて50余話をnhkオンデマンドで2、3周したな(笑)。あんなに暇な日々はもう2度と戻ってこないだろう。参った参った。

 

【民訴メモ】不適法な訴えと訴額の合算逓減

 民事訴訟を提起する際の一番大きな金銭的負担は提訴手数料、いわゆる印紙代である。

 印紙代は「訴訟の目的の価額」(以下「訴額」という。)に対応して決まる(民訴費3Ⅰ、別表第一の1項)。

 訴額は「訴えで主張する利益」で決まる(民訴8Ⅰ)。そして、一の訴えで数個の請求をする場合(以下このような請求を「併合請求」という。)には、その訴額を合算したものが訴額となる(民訴9Ⅰ)。そして、これ(https://www.courts.go.jp/vc-files/courts/file3/315004.pdf)を見てもらえれば分かるが、複数の請求をするとき、併合できるなら、べつべつに訴えるよりも併合して訴えた方が印紙代が安くなるわけだ。このように複数の訴えを併合して訴額を合算し、印紙代を安くすることを合算逓減と言ったりする。(そんなによく知られた言葉だとも思わないが)

 

 もう少し詳しいところから始めればよかったと後悔しているが(笑)とりあえずこれはこれで残して、仕切り直す。明日に続く。