あかりの日記

おっ あっ 生きてえなあ

イギリス古寺巡礼②ダラム大聖堂とニューカッスル

 

ダラム大聖堂

ダラム大聖堂はイングランド北東部の代表的なカテドラル。英国序列第4位の寺院にして、世界遺産。

 

略史

もともとこの地域にはアングロサクソン時代からの宗教共同体があったようだ。聖堂自体は11世紀、ノルマン朝時代の創建。聖カスバートという聖人を祀っている。

ダラム大司教は有力な領主でもあり、近代まで聖俗両面で力をもったようだ。

 

16世紀には、ヘンリ8世の宗教改革により聖カスバートの立派な礼拝堂が破壊され、教会財産が没収された。

イギリス、Norman Conquest以降侵略を受けてないから、11世紀以降でみれば古い建物がまあまあ残ってるけど、ヘンリ8世のdissolution of monasteriesはかなり広範な爪痕を残しているな。

 

1650年、クロムウェルは、チャールズ2世率いるスコットランド兵に大勝。3000の捕虜をダラム大聖堂に収容し、その大半は死亡したとされている。

ここら辺よくわかんないんだよな。ステュアート朝ってスコットランド出身なのに、ピューリタン革命ではスコットランドは議会派についたよね。でも、その後はまた国王側についている。まあ議会もスコットランドも一枚岩ではないのか。

 

その後も現在まで国教会の重要拠点として続いている。

 

建築

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11世紀創建のダラム大聖堂はロマネスク建築である。イギリスにおけるロマネスクはノルマン様式といわれるらしい。こないだ行ったゴシック建築のカンタベリーとは打って変わって、お城のような武骨な外観だ。

 

11、12世紀頃がロマネスク、13、14世紀頃がゴシック。(そのあと、15世紀初頭のフィレンツェのブルネルレスキという人が、建築分野のルネサンスを創始したとされている。)

ロマネスク建築の特徴は、一般に、分厚い壁や太い柱、比較的小さい窓、半円形のアーチ、などといわれる。

Nave

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もともと、聖堂内に広い空間を作るために、室内空間の明るさを犠牲にして、武骨な壁で支えていた。しかし、だんだん建築技法が進化したことで、塔を高くして、窓枠の穴を大きくしても大丈夫になった。…ロマネスクからゴシックへの進化は、ざっくりこんな感じで捉えるとよいだろう。

 

とはいえ、この建物は、天井に交差ヴォールトがみられるし、アーチがところどころとがっている。どうやらこの建物はロマネスクからゴシックへの過渡期の様式のものらしい。

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手前のアーチは丸いけど奥のは尖ってる。興味深いねえ

 

西端のガリラヤ・チャペルは12世紀頃の様式をそのまま残している。壁にも12世紀の壁画が残っている。ヘンリ8世の改革で堂内の壁画は消された例が多いらしく、この壁は貴重なようだ。

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ここには聖カスバートと並ぶ聖人、Venerable Bede*1が埋葬されている。f:id:akariakaza:20260728010657j:image

 

聖カスバートの祭壇。ヘンリ8世の改革後も聖カスバートの遺体はここに残ったようだ。

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多くの教会の東端はアプスApseという半円形の祭壇になっているように思われるが、ダラム聖堂の東端は方形である。9人の聖人の祭壇になっているようだ。

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回廊Cloister。ハリーポッターの中庭シーンの撮影でよく使われたようだ。おれはニワカだが、確かによくここを見た気がする。

たくさんのアジア人が自撮りをしていた。

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イギリスにも御朱印帳があるっぽいので集めてみよう。お土産売り場の人に声をかけたら、快く押してくれた。

日本の御朱印ってちょっと仰々しいし金もかかるけど、このちっちゃいスタンプくらいなら気軽に集められるよね。

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ニューカッスル・アポン・タイン

ニューカッスル大聖堂

こちらは14世紀、垂直ゴシック期の建築らしい。ただ天井に木が張ってある。

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おばちゃんが無料でケーキとお茶を振舞っていて、おれも1つ貰ってしまった。Mothers Union(?なんだかよく分からん)150周年祭り、みたいなのをやってると言ってた。

タッパーを持ってきてがっついているおじさんもいる。欧米欧米してるねえ

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ケーキもらっちゃった手前、少し寄付しておいた。日本の寺もQRコード置けばいいのにな。

 

Laing美術館

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Laingという実業家が始めたらしい。

1階は地元ニューカッスルの画家たち。おれが知っている人はいねえなあ。ラファエル前派pre-raphaeliteなどに有名な画家を出したようだ。

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ラルフヘドリー。庶民の生活をよく描いた。写実主義realismに括られるらしい。クールベとかミレーとかね。

 

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チャールズヘミー。ラファエル前派の画家らしい。

 

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地元のランドマーク・タイン橋建設中。イギリス人ってこういう「産業」の絵も好きだよね。ターナーの汽車とか。

 

2階には割と有名どころ。

ゲインズバラ

レノルズ

ゲインズバラ、レノルズ。この辺の、アカデミー立ち上げメンバーは、イギリス絵画史では最重要人物の扱いなのだろう。フランスでいうプッサンみたいな。

そもそも、アカデミズムの本流がちゃんとあるから、それへの対抗馬として変わり種が出てくる余地が生まれる、というのはあるよな。まさにフランスがそうだったように。

 

フランスの変わり種代表、ゴーギャン。

 

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日本代表、広重、北斎。欧米にある浮世絵は状態が良いですねえ。

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エドワード・バーン・ジョーンズ。知らん画家だが、めっちゃラファエル前派感があったので。


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アーツ・アンド・クラフツとして作られたステンドグラス。

 

ニューカッスルカッスル

外観だけ。ヘンリ3世のときに造られた。

もっとも、その時代のここの領主ヘロンは、ヘロンピット(穴)という監獄に囚人を閉じ込めていじめるなど、好き放題やっていたらしい。

ヘンリ3世。既にマグナカルタがあり、シモンドモンフォールの反乱もあった。この頃のイングランド王は、諸侯をうまいことなだめるので精一杯であり、田舎の領主の統治に気を配っている余裕など到底なかったのだろう。

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町のシンボルのタイン橋。改修中だった。

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世界遺産もいいけど、そこらへんの町をちょろちょろ歩き回るのもまたをかし。教会と美術館なら金もかからない。

 

*1:Venerableは「尊者」的な意味らしい。ほなら阿難尊者はVenerable Anandaか。

イギリス古寺巡礼①カンタベリー大聖堂

イギリス最大の巡礼地、カンタベリー。島の南東部。ロンドンから電車で1時間ちょいの小さな町。

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西門から市内に入る。

街並み

詩の女神(?)

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カンタベリー出身のマーロウの像。台座の下は彼の作品から、フォースタス博士やエドワード2世など。エドワード2世は議会とモメて廃位された無能王*1

 

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『カンタベリー物語』を描いたチョーサーの像。

 

カンタベリー大聖堂Canterbury Cathedral

カンタベリー大聖堂。イギリスで最も権威ある教会だ。その長カンタベリー大主教は国教会のトップであり、王室を除いた宮中席次ナンバーワンである*2

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大聖堂の入口の門。真ん中にPrince of Walesの紋章があるな。この門はヘンリ7世の時代に、当時のウェールズ大公アーサーが作ったらしい。だからかな。

この右にあるビジターセンターでチケットを買う。18.5ポンド(2026夏現在)。たけえ…でも、一度も確認されなかったな?買わなくても入れちゃうんじゃね?

 

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身廊Nave

カンタベリー大聖堂はイギリスを代表するゴシック建築の1つである。

 

 

ここでちょっと、ゴシック建築についてお勉強してみよう。

ゴシック建築とは、12世紀くらいからルネサンスの前までのヨーロッパの建築様式。前時代のロマネスク様式が分厚い壁、小さい窓なのに対し、ゴシックの特徴は、天井や塔が高く、窓が大きいとされる。

このような特徴を実現するために、一般的に、ゴシック建築は、加重を分散させる合理的な構造をもっているとされる。よく挙げられるのが、①尖塔アーチ、②リブヴォールト、③フライングバットレスである。

①尖塔アーチとは、窓とか柱とかにみられる、上がとんがってるアーチ状の形である。

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②リブヴォールトとは、天井にみられる、柱がいくつも交差している構造である。

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③フライングバットレスとは、建物を支える柱のアーチを屋根より上に出しちゃう構造のこと。このマルつけたとこ。

この①~③はテストに出るから覚えよう(何のテストだ())

 

イギリスのゴシック建築は、さらに、

⑴初期イングランドearly English gothic

⑵13世紀末からの装飾ゴシックdecorated gothic

⑶14世紀半ばからの垂直ゴシックprependicular gothic

に分けられるようだ。⑵はその名の通り窓の飾りとかの装飾を派手にしており、⑶は垂直線を意識した造りになっているようだ。

カンタベリー大聖堂の身廊Naveは垂直ゴシック期の作風のようだ。

 

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ステンドグラスが所狭しとはめ込まれている。

 

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アプス部分のエドワード黒太子の棺。本物は地下のCryptにあるらしい。

エドワード黒太子Black Princeは百年戦争時、エドワード3世の息子。黒甲冑で戦場に出たからこう呼ばれる。長弓兵を指揮してフランス軍に連戦連勝したが、赤痢で戦没。

 

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ヘンリ4世とその妻ジョアンの棺。

ヘンリ4世。寵臣に誑かされて悪性を敷いたプランタジネット朝最後の王・リチャード2世を廃して王位に就き、ランカスター朝を開いた。

上述したマーロウが戯曲にしたらしい。

 

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エドワード証聖王のチャペル。

エドワード証聖王Confessor。デーン朝断絶後にウェセックス朝を復活。信仰心が強く、ウェストミンスター聖堂を建設し、死後そこに葬られた。

その後フランスから来たノルマンディ公ギヨームは、ウェストミンスターで即位式を行い、「証聖王の祖法」の遵守を誓うことで、諸侯にイングランド王と認められた。以降、これが王位継承の伝統になるのだ。

 

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カンタベリー大司教、トマス・ベケットが殺された場所。

ベケット。プランタジネット朝初代のヘンリ2世の腹心としてカンタベリー大司教になるも、就任後、教会裁判権などを巡り王と対立。王に近い司教を破門。これに怒った王の意を汲んだ騎士らに、この場所で暗殺された。

この報をきいたときの教皇は、すぐさまベケットを聖人に列した。以降、ここで数々の奇跡が起きたとの噂が広がり、カンタベリー大聖堂は超人気の巡礼地となった。

 

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ベケット殺害現場の横のステンドグラス。真ん中から1つ左がエドワード4世、真ん中から1つ右がその妃。王の左の2人は2人の息子、どっちかがエドワード5世。王妃の右は娘たち。

もとヨーク公のエドワード4世は、ランカスター朝のヘンリ6世に対して挙兵して王権を奪い、ヨーク朝を開く。だが、ヘンリ6世が一時復権するなど火種はくすぶり、両家の血みどろの争いはこののち30年続くこととなる(バラ戦争)。

エドワード4世の急逝により、その子エドワード5世が12歳で即位。しかし、叔父リチャードの姦計で弟と共にロンドン塔に幽閉され、その後行方不明に(Prince in the Tower)。叔父がリチャード3世として王位に就く。

ヨーク朝の内部がごたごたしている間に、大陸に逃げていたランカスター系統のヘンリがイングランドに上陸し、リチャード3世を討つ。彼がヘンリ7世として即位してテューダー朝を開き、エドワード4世の娘(ステンドグラスの右の誰か)と結婚して、バラ戦争は終結する。

ここらへんの話が、シェイクスピアの戯曲になっとるようだ。いつか劇場にでも行ってみようかね。

 

 

地下のCryptにはユグノーのチャペルがあった。フランスの対岸ドーヴァーに近いカンタベリーには、16世紀頃、弾圧されたユグノーが多く亡命していたらしい。地下に作るあたりが面白い。

 

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回廊。うーんゴシックゴシックしてるねえ

 

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診療所の跡地。

 

聖アウグスティヌス修道院跡St. Augustine's Abbey

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カンタベリー大聖堂は世界遺産になってるわけだが、この世界遺産を構成する建物はほかにもある。その1つが、聖アウグスティヌス修道院跡である。

入場料は11ポンド。高いと思いきや、無料の音声ガイド付き。しかもなんと日本語あり!英語で聞かないのかよ軟弱者、と思われるかもしれないが、こういうのはね、利用する日本人がいなくなったら廃止されちゃうかもしれないから、使っていった方がいいのだよ。

 

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そもそもイングランドにはローマ時代からキリスト教が伝わってはいた。その頃からカンタベリーにも何か宗教施設はあったようである。

しかし、カトリックの本格的な布教が始まるのは6世紀末、教皇により聖アウグスティヌスが派遣されてからである。彼はケント王の許しを得て、カンタベリー大聖堂と修道院を建て、初代カンタベリー大司教になった。

 

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その後、修道院はノルマン人の手により、今のカンタベリー大聖堂と同じくらい立派なロマネスク建築になったらしい。

 

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しかし、ヘンリ8世の宗教改革の際、大法官Lord Chancellorトマス・クロムウェルの修道院解体により、修道院の財産は散逸した。その後の地震により建物は崩壊してしまう。19世紀に有志の保護を受け、何とか今の姿をとどめているようだ。

ちなみに、Archbishopの訳につき、カトリック時代の人は「大司教」、国教会になってからは「大主教」というそうだ(なんで英語だと同じなのに日本語だと区別するんですかね?)。アウグスティヌスやトマス・ベケットは「大司教」だけど、今の人は「大主教」。まあシとシュの違いだし間違えてもばれへんか

 

聖マーティン教会St.Martin Church

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もう1つの世界遺産構成要素がここ。ここは入場無料。

なんとここにも日本語の説明文がある。日本人よく来るのかな。

ここはローマ時代から教会?が建っていたようだ。この建物を、上陸した聖アウグスティヌスが最初に布教の拠点とした。以降現在まで教会として使われている。つまりここは、広い英語圏の中で最も古い教会なのだ。

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教会の奥の部分にはローマ時代の壁が残っている。アウグスティヌスが来たアングロサクソン時代に、手前のお堂を増築したようだ。いずれにしろ非常に古い建物だ。

レンガの部分がローマ時代の壁

赤いところは後世の付け足しらしい
カンタベリー美術館Canterbury Beaney

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イギリスの町には美術館がよくある。無料のところが多く、写真も撮り放題。びっくりだ。

ここはカンタベリーにちなんだ作品が並ぶ。

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↑ゲインズバラ。

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↑ヴァンダイク。

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↑ウィリアム・ブレイクのカンタベリー巡礼。こんなちっちゃい町の美術館なのに、有名どころもしっかりカバーしてる。

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18世紀末、「ベケットの暗殺」。画題のチョイスが新古典主義新古典主義している。興味深いねえ

 

 

 

イギリス。美術館がタダなど、文化資本は素晴らしいが、とにかく食い物が高すぎる。いうまでもないが、イギリスは飯を食いに来るところではない。よほど食に興味がある人以外は、適当にサンドイッチとか持参することだな。幸い、公園はいっぱいあるから、食べるところには困らない。

 

*1:ほかに議会が廃位した王様は、プランタジネット朝最後のリチャード2世、リチャード3世にハメられたエドワード5世、「王冠を賭けた恋」のエドワード8世。セットで暗記しよう(笑)

*2:2位が大法官、3位がヨーク大主教、4位が首相。首相が意外と低い。

鎌倉グッドバイ

 

どうやらおれはしばらく日本を離れることになるようだ。その前に、鎌倉に行っておきたかった。仏像の見納めだ。

 

長谷寺

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鎌倉長谷寺。736年、藤原房前の発願で、大和長谷寺から招聘された徳道という坊主が建てたらしい。現在は真言宗。

房前は藤原四兄弟の北家。いうまでもなく藤原摂関政治の主役だが、天平期は南家の後塵を拝した。

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本尊は十一面観音。像高9メートルと大和長谷寺に劣らない巨像だ。ゆんでに水瓶、めてに錫杖のいわゆる長谷寺式である。室町ごろの作とされ、文化財指定はなし。

伝説によれば、大和初瀬にて楠の巨木から2体の巨大観音像が造られ、うち1つは大和長谷寺の本尊に。だが、もう1つは難波から海に流され、相模湾に流れ着いた。それがこの鎌倉の本尊だそうだ。

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善光寺如来しかり、仏像が海を渡る、という話は多い。けだし、おれたち倭人にとって、ホトケってのは海の向こうから来迎するものなのだ。

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花開いて世界起こる。

 

併設の観音ミュージアムにて、重要文化財の懸仏。14世紀、鎌倉末くらい。直径1メートルくらい?の円形の飾り×6。寺の装飾画らしい。当時の堂宇がかなり巨大だったことを想起させる。

 

鎌倉大仏

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高徳院の大仏。国宝。13世紀半ばころ、執権北条氏の発願で制作された。

かなり激しく波打つ衣文や厳かな表情は確かに慶派だろう。だが、運慶の子供の代の時代だ。極端な猫背などに進んだ宋風がみられるようだ。

建立当初は金メッキで覆われていたのか。一部(右のモミアゲの辺りとか)に痕跡が残っている。

しかして、この露座というのはなかなか乙なものだ。山をバックに堂々と鎮座する大仏。お堂の中で大切に保管されている仏像とは比べ物にならない力強さを感じるぜ。

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背中、パカッ。

さて…最後に鎌倉大仏を観たのは7、8年も前だろうか。おれはその間、なにか積み重ねてきただろうか。あでも仏像には詳しくなったか(笑)

 

浄光明院

浄光明院という寺に重文の仏像があると聞き、扇谷(おうぎがやつ)に行ってみた。鎌倉駅の割と近く。

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扇谷といったら扇谷上杉家。河越夜戦で北条氏康にやられたズッコケ三人組の1人。

ちなみに、「山内」は北鎌倉の辺り。「犬懸」は東のほうにあるらしい。古河公方の「古河」は茨城だ。

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『十六夜日記』の冷泉為相の墓は浄光明院にあるようだ。

で、肝心の浄光明院だが…なんと、「雨天閉館」で空いてなかった!どういうこっちゃw

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こういったことはよくあるのでもう特段驚かないが、寺社仏閣の拝観情報というのはかなり分かりにくくないだろうか。見やすくまとまっているサイトとかあったら便利なんだけどなあ。

 

鶴岡八幡宮

実はおれは八幡宮に来るのは初めてである。

鶴岡八幡宮。11世紀後半に、河内源氏2代目源頼義が、石清水から八幡神を迎えて創建。3代目・八幡太郎義家が修復。1180年に鎌倉に入った頼朝により、現在の場所に移された。まさに源氏ゆかりの神社だ。

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有名な階段と大銀杏。

3代将軍実朝は、雪の降る日、八幡宮への参拝を終えた際、大銀杏に隠れていた弟の公暁に暗殺され、首を取られる。公暁は執権義時も狙っていたが、義時は夢のお告げで参列せず、難を逃れた。さて、実朝暗殺の黒幕は誰なのか!?…『鎌倉殿の13人』は面白かったなあ。

大銀杏は少し前に台風で折れてしまったらしく、現在は新しいものを植えたようだ。

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本殿は19世紀(江戸時代)の再建だが重要文化財。

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社殿のふもとには源平池という池が。頼朝が、社殿を現在の場所に移したとき、平家打倒を祈願して造らせたらしい。石橋山での惨敗のあと、再起を誓っていた頃だ。序盤のだんだん仲間が集まってくる感じ、いいよな。なお

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鎌倉国宝館なる建物が併設されている。重文の仏像がずらりと並ぶ…らしいが、休館中。参った参った。

 

大塔宮

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「大塔宮」とは護良*1親王のこと。ここは護良親王を祀る神社であり、本殿後方(上の写真の左奥)には、護良親王が幽閉された土牢跡があるのだ!

護良親王。後醍醐天皇の皇子で武闘派。尊氏らと共闘して討幕したが、その後尊氏と関係悪化。中先代の乱の混乱に乗じ、直義に捕まって↑の土牢にぶち込まれ、そのまま暗殺された。無念。

大河『太平記』、古いけど面白いよ。というか、そろそろ新しい太平記大河つくってくれんかね。三谷監督。

 

覚園寺

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大塔宮の近くに、北条義時ゆかりの覚園寺。

すなわち、1218年、義時が、夢に現れた十二神将の戊神をまつって建てた大倉薬師堂が始まりとされる。

この夢で、戊神は義時に、「翌年の八幡宮参拝には行くな」と予言した。義時がそのとおりにすると、果たして上記の実朝暗殺事件が起き、本来義時がいるはずの立ち位置で参列した源仲章が代わりに殺された。戊神のお告げが義時の命を救ったのだ!

…確か、このイヌも『鎌倉殿』に出演してたな。

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現在の本堂は14世紀の再建。本堂の木造薬師三尊像、十二神将像は重要文化財だ。

三尊。玉眼をはめ、衣が蓮台からはみ出ている辺りが鎌倉後期の作風らしい。朝祐という仏師の作との銘記あり。光背の迦陵頻伽はバロック風にも見えるが、これも14世紀当時のものらしい。

十二神将も玉眼。干支ついてるタイプ。全てお堂の異なる箇所を見ている(これって全ての十二神将の特徴なのか?)。これらも朝祐の作と考えられているらしい。

というのが一般的な説明だが、お寺の解説の方は、薬師三尊と戌神将の4尊だけは義時の創建時、つまり13世紀前半まで遡る可能性もある、とおっしゃっていた。もしそうなのであれば、これらの仏像は、場合によっては運慶などの制作かもしれない。この辺りは学術的にあり得る説なのかはよくわからない。

本堂天井には足利尊氏の直筆の銘文や、江戸時代、狩野派の雲竜図の天井画が。北条氏の後も時々の権力者がこの寺を守ってきたことが分かる。

堂の奥に伽藍神の像が置かれる。伽藍神というのはもともと道教の文化らしく、宋代くらいに輸入され、禅寺に多いようだ。興味深い。

 

そのほか、地蔵堂の木造地蔵菩薩立像も重文。(やや暗くてあまりよく見えなかったがしょうがない。)

お寺の方が大変丁寧に解説をしてくださり、とても満足度の高い鑑賞であった。

 

 

鎌倉。歴史のまち。仏像については見られないものが多く残念だ。いつかリベンジしよう。お寺ごとの寺宝の公開期間のまとめサイトとかあったら便利なんだけどなあ。

それとやはり…関東で聖地巡礼するなら、仏像より軍記物なんだよな。吾妻鑑、太平記、戦国の諸々、日本外史!おれは大河と信長の野望をうっすらなぞっただけのニワカだが、いつかもうちょっと本格的に掘り下げてえなあ。そんなヒマは当分ないが(笑)

 

*1:もりよし/もりなが

半蔵門の運慶仏

 

千鳥ヶ淵、英国大使館、最高裁。サラリーマンとランナーしか訪れないこのエリアに、実は、タダで見られる運慶仏がある。

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半蔵門ミュージアム。2018年開館。真如苑という宗教団体が所蔵する美術品を公開する施設である。館長は日本仏像研究界の大家、山本勉先生。かつては水野敬一郎先生が館長だったこともあるようだ。

清潔な雰囲気、充実した展示内容、そして何よりも入場が無料である!さすが宗教団体パワーといったところだ*1。東京には有り余るほどの文化施設があるが、はっきり言ってここはかなりおすすめである。なんせタダだからね。

 

大日如来坐像(重文、鎌倉時代、木造)

館長、山本先生の『運慶講義』で詳しく取り上げられている。

↓この日記で以前検討した。

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足利義兼の発願でもと足利市の樺山寺というところにあった像らしい。高い髻やぴしっとした姿勢は円成寺像と近いが、顔立ちは異なる。釣り目で浄楽寺阿弥陀とかに近いかな?運慶は途中から如来像に玉眼をはめなくなったらしいが、本像は玉眼がきらめいている。その意図は運慶のみ知るところである。宝冠の付け根の部分だけが残っている。

内部は上げ底式内繰りで、像内に五輪塔と心月輪。内部は前面に金箔が張られている。X線検査に加えて、耳の穴から胃カメラみたいなやつを入れて内部を撮影したというから面白い。

本像、かつて個人蔵だったのを山本先生が調査して運慶作品と推定。その後、ニューヨークでオークションにかけられ、運慶仏の国外流出の可能性が騒がれたらしい。そこを救ったのが真如苑とのことだ。まことに文化財の保護というのは難しい。

↑の記事でも取り上げたように、足利市にはもう1つ運慶像がある。これはいつか足利にも行かねばなるまいな。

 

・ガンダーラの片岩仏(2~3c、ガンダーラ)

燃燈仏授記、誕生、出城、降魔成道、梵天勧請、初転法輪、涅槃。

特集展示には、帝釈天への説法や四門出遊のシーンなども。

ちゃんと仏伝の順番に並べてある(当たり前だが。)。

仏伝はこれまでも断片的に取り上げてきただが、いつか詳しく取り上げたい。特にジャータカは、敦煌の記事でやるって言ったきりだからね。

ガンダーラ美術には執金剛神がよく描かれている。

顔立ちや服装はもちろん、絵の中の柱もコリント式、エンタシスであり、ギリシャ文化の影響をうかがわせる。

 

・両界曼荼羅(令和6年)

醍醐寺の 両界曼荼羅のレプリカとして令和6年に作成されたもの。往時の鮮やかな着色がよく残る。

 

・如意輪観音坐像(10c、木造)

いわゆる半跏思惟像のポーズ。チャイニーズな風格だが表情のやさしさには和様の萌芽。

 

・不動明王坐像、二童子像(12c、木造)

藤原仏の時代からか迫力抑え目。

 

・仏足跡(17c、ミャンマー)

縦170cm×横90cmの巨像。「三十二相八十種好」が忠実に再現される。

ミャンマー。12世紀にスリランカから上座部・マハーヴィハーラ派の仏教が伝来。以降敬虔な仏教国である。おーい水島。一緒に日本に帰ろう。

 

・仏涅槃図(18c、絹本着色)

象や獅子などの獣の描き方。最近見た長沢蘆雪を思い出させる。当時の画家は、見たことのない動物は、仏画を写していたというから、似ているのは当たり前だ。

もと長野県上田市の寺のものだったことが明らかになったらしい。

 

★3階のシアタールームで、仏教関係のショートムービーが観られる。現在は、ガンダーラ、運慶、マンダラの3本立てだ。

 

以上。

 

*1:新宗教と世俗社会、というテーマについては、おれはかなり言いたいことがあるのだが、ネットに不用意に上げておくべき話題ではないため触れないでおく。

なお、おれは、真如苑を含めていかなる宗教の信者でもないし、特段のかかわりもない。実家の墓は真宗だが、極楽往生を信じているわけでもない。念のため。

仏像の春2026⑧長谷寺

 

おれたちあずまえびすにとっちゃ、「長谷寺」といったら鎌倉だ。だが、しょせん鎌倉の長谷寺は支店にすぎない。でかい観音、アジサイ、いずれも大和長谷寺が元ネタだ。全国にあまたある「長谷寺」の総本山、初瀬の山の大観音を拝みに行こう。

仁王門(重文)
★略史

伝説によると、686年に道明という坊さんが、天武帝の病気平癒を祈って、銅板法華説相図(国宝、後述)を作って初瀬の山に納めたのが開基らしい。その後8世紀、聖武天皇の時代に、十一面観音像が置かれ、ここから観音の霊場となったらしい。この辺は伝説だ。

9世紀には官寺となった。伊勢神宮及び道真信仰と結びつきが強まったらしい。

お堂は何度も焼けたがその度復興。現在の本尊・十一面観音(重文、後述)は1538年に作られたものだ。

1588年、秀吉は、新義真言宗の総本山・根来寺を焼討ち。住職の専誉僧正は、大和大納言・秀長の取り計らいで、長谷寺のトップに異動になった。たぶん、根来寺の力をそぎつつ、専誉側の顔も立てたということなのだろう。流石は中間管理職の鏡・秀長。

まともかく、いきなり根来寺のトップが左遷されてきた長谷寺は、勢い、このときから新義真言宗の寺院となる。新義真言宗とはいうまでもなく13世紀に興教大師覚鑁が始めた宗派である。

観音信仰+新義真言宗の寺としての長谷寺が確立した。この過程で、多くの人の信仰を集め、このスタイルの寺院が全国に広がっていくのである。

 

★建物など

・登廊(重文、明治時代)

これぞ長谷寺。花の寺よろしく、春には桜、梅雨にはアジサイが咲くらしい。

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5月はボタンの時期であった。

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・宗宝蔵

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・蔵王堂

吉野が近いからか、長谷寺にも蔵王権現像が祀られている。

蔵王権現についてはパート④参照

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・紀貫之が詠んだ桜

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・本堂(国宝、江戸時代)

うまく撮れんかった

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★仏像など

〇本堂の像

・本尊十一面観音菩薩立像(重文、室町時代)

おんまかきゃろにきゃそわか。

毎年3/15から7/6まで特別拝観が可能である。

像高10mの巨像。上の写真のように至近距離で拝観、どころか、足に触れて祈りをささげることができる。狭いお堂の中で、仏像を真下から見上げ、足元をぐるっと1周まわる。他ではなかなかできない圧巻の仏像鑑賞体験である。前近代の人を考えれば、この体験をして信心を起こさない方が珍しいだろう(笑)

前記のとおり1538年の作。木造漆箔で、表面の金メッキがよく残っている。堂々たる威容。装飾もまことに荘厳。ゆんでに花、めてに錫杖。正方形の台座の上に立つ。このスタイルは長谷寺式観音像と呼ばれ、鎌倉をはじめとする全国の長谷寺で同様の像が置かれるのだ。

一般に、鎌倉後期以降は仏像衰退の時代とみられるが、もっと再評価されるべき仏像が全国にあるのではないだろうか。

 

ところで、堂内で読経を聞くことができた。

おれはお遍路をしたことがあるので、一応真言系の読経の順番には慣れている。お遍路では

開経偈→般若心経→光明真言→本尊の真言→南無大師遍照金剛

の順で上げる。

しかして、長谷寺の読経は、「南無大師」の後に

南無興教大師→南無専誉僧正

を唱えていたのが面白かった。新義真言宗の寺ならではといったところであろう。

 

・雨宝童子像、難陀竜王像(重文、室町時代)

長谷寺式観音はこの2体を脇侍としている。雨宝童子は初瀬山の守護神、難陀竜王は須弥山の守護神。色がよく残っている。

 

〇宗宝蔵の宝

 

銅板法華説相図(国宝、白鳳時代)

前記のとおり686年作といわれる。文字の部分には「飛鳥浄御原にて天の下しろしめす」天皇にささげるとあり、天武帝の時代の作品と分かる。

法華経の見宝塔品の、宝塔が地涌して釈迦と多宝如来が並んで座るシーンを描く。いわゆる二仏坐像というやつだ。千仏の細かい作り込みが映える。右下の方が欠けているのが惜しいですな。

 

・丸紋散蒔絵経箱(国宝、室町時代)

「〇」を散らした経箱。デザイン性に優れ、琳派とかのセンスを先取りしているといってよいだろう。

 

・装飾経(国宝、鎌倉時代)

法華経など。聖武天皇と光明皇后の宸筆と伝わる。

 

・不動明王坐像(重文、平安)

東寺像と同じ図像

 

・地蔵菩薩立像(重文、平安)

やや和様入っている感じか。

 

★旅行全体の感想

ヤマトタケルの辞世の句。

倭は 国のまほろば たたなづく 青垣山隠る 倭しうるはし

いやほんと、大和はまほろばと呼ぶにふさわしい。ゆったりと流れる時間、青々とした風景、回り切れないほどの名刹。

何よりも、仏像である。多くの仏像は期間限定で公開される。地元に住んでいなければ回りきることは困難であろう。

おれはもうここに住むべきではないか?もう旅行でいそいそと回るのは疲れたよ。いつの日か、このまほろばに……

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終わり。

 

仏像の春2026⑦法隆寺・救世観音

 

 

これまで、期間限定公開に対する文句をひたすら言ってきたが、今回の遠征は、法隆寺の期間限定公開に合わせて来たのだ。

それこそが、ほかならぬ国宝・夢殿救世観音*1である!

 

法隆寺は昨年も訪れ、仏像はまあまあ詳しく述べている。

akariakaza.hatenablog.com

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西院伽藍、大宝蔵院、夢殿の救世観音以外のもの、中宮寺などは、当然今回も鑑賞したが、省略する。

 

夢殿の前に、前回見られなかった西円堂(国宝、鎌倉時代)に触れておこう。

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伝説上は奈良初期に橘夫人の発願で建立とのことだが、現在のお堂は鎌倉期のもの。

内部には薬師如来坐像(国宝、奈良時代)が配置される。脱活乾漆造。薬壺をもち、静謐な表情の天平仏だ。後ろの千仏と七仏の光背は後補。

 

さて夢殿(国宝、奈良時代)に移動。

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もともと太子が住んでいたところに、行信という奈良時代のお坊さんが建てたお堂。頂部の宝珠が光る。

お堂の中央の厨子に、秘仏・救世観音(国宝、飛鳥時代)がいる。飛鳥仏、日本最古の木彫像だが、高い完成度を誇る。止利仏師作ともいわれる。これも金堂の本尊と同じく、太子の等身大ともいわれる。宝珠を持つ姿が美しいが、珍しいと思われる。まだ法律も税制もなかった時代の人が、美術に関してはこんなに高度なものを作っていたとは不思議なものだ。

前の記事で述べたが、長年布でぐるぐる巻きの秘仏だったのを、フェノロサと岡倉天心がご開帳したところ、素晴らしい像が出てきてびっくりした、との逸話は有名だ。そのおかげで金メッキがよく残っている。

 

夢殿は開扉期間がそれほど長くない。4月から1か月、10月から1か月ほど。貴重な機会なので、今般見ることができてよかった。

 

ちなみに、東院伽藍エリアで、夢殿のとなりの絵殿(重文、鎌倉)には、もともと、太子の伝記を描いた聖徳太子絵伝(国宝、平安)が飾られていたようだ。

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これは献納宝物の1つとして皇室に献上され、現在は東博の所蔵である。東博法隆寺宝物館では、半年ごとに、金堂壁画デジタルビューアと太子絵伝デジタルビューアを交互に公開している。実は絵伝の方は見たことがないので、いつか行ってみるとしよう。

 

続く

 

*1:「ぐぜかんのん」と読む人と「くぜかんのん」と読む人がいるように思われる。

仏像の春2026⑥薬師寺

 

 

おれは閉門ギリギリで薬師寺に到着したため、焦って見る羽目になった。ま、こういうあたりも、和辻哲郎リスペクトってわけよ(笑)

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日暮れ近くについた薬師寺には、東洋美術の最高峰が控えている。
もう時間過ぎで見物ができないはずのところを、Y氏の熱心な斡旋で、われわれの前に大きい鍵をさげた小僧が立ってくれた。(和辻哲郎『古寺巡礼』)

…あれ?日暮れ間近に急いで行ったって話だったよな、と思って読み返したら、そうじゃなくて、ゴリ押しで閉門後に開けてもらっただけだったわ。なんだいそりゃ(笑)

 

とはいえ、薬師寺は去年も来たのだ。

akariakaza.hatenablog.com

 

今回もとうぜん、東洋美術の至宝である薬師三尊・聖観音を拝んだ。和辻は涙を流したというが、心が枯れているおれは涙は出なかった。しかし薬師三尊がこの国でもっとも美しい仏像であることに変わりはない。

 

 

去年観なかった玄奘三蔵院伽藍も訪れた。

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大遍覚とは、帰国した玄奘に高宗が与えた称号だ。

西安大慈恩寺にも「大遍覚堂」があった。akariakaza.hatenablog.com


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「不東」。ゴビで水をひっくり返した玄奘。引き返すか迷った玄奘は、仏法を学ぶまでは東に戻らない(不東)の誓いを立てて進む。ついにぶっ倒れたところで深沙大将が現れ、助けてくれた。

そのあたりの話↓

akariakaza.hatenablog.com


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唯識学寮。ここで学べる唯識は、おそらくダルマパーラ『成唯識論』に従ったものだ。スティラマティ、パラマールタなどの系統の思想は、法相宗が主として研究するところではない。

そのあたりの話↓

akariakaza.hatenablog.com

 

お堂の中には、我らが平山郁夫先生の障壁画があるらしいが、公開期間でなく、見られなかった。

 

まったく、「公開期間でなく、見られなかった」ものばっかりである。おれはいつの日か奈良に住んで、限定公開を回りつくしてやろう。そのように固く誓ったのであった。やれやれ、参った参った。

 

続く