あかりの日記

おっ あっ 生きてえなあ

立川武蔵『空の思想史』④

 

 

もうとっくに年も明けてしまった。本当はお正月にやろうと思ったんだけど、気づいたらもう1月も半分近く終わってる。ままええわ。

さて、前回は7章の、自性(スヴァバーヴァ)の話まで行った。ぶっちゃけどんな話だったかは忘れちゃったのだけど、今日は8章以下、竜樹以降のインド・チベットの「空」について検討する。前回までに引き続き生煮えな理解だがメモしておく。

 

中観派自立論証派による空の論証

竜樹の空の思想を研究する仏教の学派は中観派と呼ばれ、後に成立する唯識派と並ぶインド仏教哲学の2大潮流になる。そして中観派は、背理法的な論証を行う帰謬論証派と、インド型の論証式を用いて論証を行う自立論証派に分かれていくが、自立論証派が次第に優勢になっていく。ここまでが前回までのおさらい。

ということで、自立論証派の思考を少し詳しく検討してみる。代表選手として、6世紀頃に活動した清弁の論証を検討してみる。

 

論証式

その前提として、まず、インド型の論証式というのを検討する。これを発明したのはディグナーガという唯識派のお坊さんである。ひとまずは、ディグナーガの論証式の例として挙げられているものを書き写してみる。

 

【主張】 あの山に火がある。

【理由】 (あの山には)煙がある。

【肯定的必然関係と同類例】 煙のあるところには火がある。台所におけるように。

【否定的必然関係と異類例】 火のないところには煙はない。湖水の表面におけるように。

 

・・・ぶっちゃけこの本の説明を読んでも、何が言いたいのかよくわからなかったのだが、自分なりに考えてみるに、この論証式というのはつまり、「【理由】に当たる事実があるとき、【肯定的必然関係】と【否定的必然関係】がともに正しいなら、【主張】は成り立つ。」ということが言いたいのだろう。(同類例、異類例というのは、肯定的必然関係とか否定的必然関係を成り立たせるための間接事実みたいなものであって、まああんまり本質的に重要なものじゃないのだろう、多分。)上の例にてらしていうと、「「あの山に煙がある」という事実から、「あの山に火がある」という事実を推認するためには、「煙のあるところには火がある」という法則と、「火のないところには煙はない」という法則が成り立つ必要がある。で、これらは両方成り立つので、この推認は許される。」ということが言いたいのだろう。

 

ところで、これとは別に、我々が慣れ親しんだ西洋式の論証式というものがある。

【大前提】 煙があるところには火がある。

【中前提】 あの山には煙がある。

【結論】  あの山には火がある。

これは、大前提が正しいとき、中前提たる事実から結論たる事実を推論することができる、という議論である。そんで、この西洋の論証式とインドの論証式は、一見似ているように見える(主張=結論、理由=中前提、2つの必然関係=大前提?)が、これらは微妙に違うらしい。

どこが違うのか。これもよくわからないのだが、一応自分なりの理解を書いてみる。西洋の議論というのは、煙があるから火がある、というためには、「煙があるところに火がある」と言う必要はあるけど、「煙がないところに火がない」と言う必要まではない(逆が真である必要はない)よね、みたいな、あくまで命題間の関係に注目した考察なのである。これに対して、インド論証式の分析は、基体(ダルミン)と属性(ダルマ)の関係に着目した議論なのである。インド論証式の形式を一般化すると、

【主張】 場(ダルミン)には証明されるもの(ダルマ)がある。

【原因】 場に目印(ダルマ)があるから。

【肯定的必然関係と同類例】 目印があるところに証明されるものがある。同類例のように。

【否定的必然関係と異類例】 証明されるものがないところに目印はない。異類例のように。

 

これを言い換えると、論証式において適切な目印が設定されていることの条件は次のように整理される。

⑴ 目印は、場に存在しなければならない。

⑵ 目印は、証明されるものが存すると言う意味で場と類似しているが、場以外のもの(類似場)の全てあるいはいくつかに存しなければならない。

⑶ 目印は、証明されるものが存しないという意味で場とは類似していないもの(非類似場)に存してはならない。

⑴は【原因】たる事実が正しいこと、⑵は肯定的必然関係が成り立つこと、⑶は否定的必然関係が成り立つことにそれぞれ対応していると思われる。

 

このように(?)インドの論証式は、ある場(ダルミン)にある属性(ダルマ)があるかどうかを、その場にある別の目印たる属性(ダルマ)の存在から推認する、という考え方をしている。

「あの山には煙があるから火がある」と言える理由の説明として、古代ギリシャ人は「煙のあるところには火があるという命題が成り立つから」と言うのにたいし、古代インド人は「煙というダルマが存するダルミンには火というダルミンも存するから」と言う、という感じだろうか?

 

これを書く前よりは理解に近づいたと思うのだが、この辺りの議論は正直謎に包まれている。ネットに転がっているものも参考にしたりしたが、やっぱりよくわからない。

 

清弁の論証

では、この論証式を用いて清弁が空をどう論証したか見てみよう。具体的に清弁が論証したことは、例の中論の「歩く人は歩かない」である(本文では「行く者は行かない」になっているが、「歩く人」でもおんなじ議論になると思うので、「歩く人」で検討する。)*1。好きだねえこれww 中観派というのは、ある意味では、「歩く人は歩かない」ことをどうにか論証しようと心血を注いだクレイジー人たちだったと言えるのではないかと思う。

ひとまず、清弁の論証式を見てみる。

【主張】 最高真理においては、歩く人は歩かない。(「歩く人」には、「歩かないこと」がある。)

【理由】 歩く人は、動作と結びつくから。

【肯定的必然関係】 動作と結びつく人は歩かない。止まる人のように。

【否定的必然関係】 歩く人は動作と結びつかない。

うん、まったく意味がわからない。まずこの、「最高真理においては」というところが気になるが、これは一旦無視する。で、じゃあこの「歩く人は動作と結びつくから歩かない」という論理式が、「あの山には煙があるから火がある」と同じように成り立つのか、上記⑴から⑶に照らして検討してみるか。

まず⑴すなわち【理由】に挙げた事実が正しいかだが、「動作と結びつく」と言うのがどういう意味なのかよくわからないけど、まあ字義通り捉えるなら一応正しいってことにしとくか。では⑵と⑶についてはどうか。

上の論証式を整理すると、

場(ダルミン)=歩く人

目印(ダルマ)=動作との結びつき

証明されるもの(ダルマ)=歩かないこと

となる。そして、⑵について、目印たる「動作との結びつき」は、「止まる人」という、類似場(歩かない人)のうちの少なくとも一つには存しているので、⑵はOK。

また、⑶について、この命題における非類似場は、証明されるものである「歩かないこと」がない場、すなわち「歩く人」であるはずだが、他方で、場である「歩く人」以外のものである必要がある。そうすると、この命題には非類似場が存在しない。非類似場がないということは、非類似場に目印があることもないので、⑶はOK。

 

・・・清弁の論証はこんな感じである。どうですかね。いかにも詭弁だよねwww

では、この議論のどのあたりが詭弁なのか。⑶の部分について、この議論は、あらかじめ、場を「証明されるダルマがないダルミン」となるように設定しているので非類似場が存在しないことになってしまっているのだが、非類似場が想定し得ないものについてディグナーガの論証式というのは適用される余地があるのだろうか?「証明されるダルマがあるか、ないか」自体を場の定義に用いることはディグナーガの論証式では想定されていない、というか、一応言葉として成り立たせることはできるかもしれないけど、何の意味もない論証になるのではないか。例えば、「煙のあるところには煙がない、属性があるから」という命題だって成り立ってしまう気がする。この辺りはまた考えてみたい。

 

清弁は他にも、「歩かない人は歩かない」という命題も論証式で論証しているが、こちらにも問題があるらしい(疲れたのでこちらは割愛する。)。しかし、清弁は重要なポイントとして、この命題に「最高真理では」という留保をつけている。この文句で、論理の綻びや批判をかわしたのかもしれないが、ここで重要なのは、竜樹にあっては「歩く人は歩かない」というのが唯一絶対の正解であって「世俗の世界では歩く人は歩くんだけどね」みたいな例外の考え方は無かったのであるが、時代が下るごとに、中観思想家は、空の最高真理と世間的真理の間には超え難い隔たりがあることを段々と認めざるを得なくなっていった、ということである。僕の頭ではこのくらいの理解が限界だった。

 

シャーンタラクシタ

8世紀のナーランダー僧院のお坊さんシャーンタラクシタは、中観派(自立論証派)でありながら唯識の思想との統合を図り、瑜伽行中観派を成立させたとされる。彼はチベットに精力的に布教し、事実上のチベット仏教の開祖といわれる。彼の弟子カマラシーラはチベットにおいて中国の禅僧との論争(サムイェー寺の宗論)に勝利し、その後のチベット仏教をインド仏教に準拠したものとする礎を築いた。禅は直ちに悟れると説く(頓悟仏教)のに対し、シャーンタラクシタらのインド仏教は厳しい修行の階梯を踏んだ先に悟りがあると説く(漸悟仏教)。チベットが中観思想を中心とする漸悟仏教を受け入れたことは、その後のチベット密教化とも深く関わり、極めて重要である。

 

インド密教チベット仏教と空

竜樹以来の空の思想は、言語による世界の表現・認識の否定にあったということは間違いなさそうであり、仏教の(というかあらゆる宗教においてそうかもしれないが)基本的な考え方である、「最高の真理は言語を超えたものである」ということを理論的に基礎づけるものであったとは言えると思う。少なくとも一面ではそういう側面があったとは思う。そして竜樹はその言葉を超えた世界のあり方を「縁起の理法」とか言いつつ、そこはあんまり語らなかったわけだが、仏教や空思想の関心は時代が下るにつれて次第に、「ではその言葉を超えた世界ってのはどんな感じなのか」という方に比重が移っていく。

そういった空思想の関心と結びついたのが密教である。密教の具体的内容については絶賛勉強中なので後で別途まとめようと思うが、日本でも広く親しまれている胎蔵マンダラを説いた大日経や、チベットゲルク派等の根本経典である秘密集会タントラなどにおいても、世界の本質は空性であることが語られている。

ツォンカパが14世紀頃に創始したゲルク派と空との関わりだけ、軽くみておく。まず、小空経(立川武蔵『空の思想史』② - 三浦あかり)や般若心経(立川武蔵『空の思想史』③ - 三浦あかり)で触れたが、サンスクリット語の「空」は、「yはxを欠いている」(用法1)というのと、「xはない」(用法2)という2つの使い方がある。そんで、般若心経の読み方のところで触れたように、インドでは用法1で使うことが多かったわけね。しかしツォンカパは「五蘊がスヴァバーヴァシューニャである」を、「五蘊は自性として成立していることを欠いている」というような感じで、用法2っぽく読んだ。自性としての五蘊はない。つまり、自性でない五蘊はある、というふうに読んだのである。自性でないものというのは、竜樹のいう縁起の世界であって、その意味でツォンカパの理解は竜樹と大きく変わるものではない。しかし、竜樹やインド中観派は、自性でないもの、は突き詰めると非常に狭く解してきたのに対して、ツォンカパが自性であるとして否定したのは、「縁起によらず、独立不変の実体として存在しているもの」というくらいであり、「自性でないもの」の範囲を広く解している。ツォンカパはインド中観派と比べてかなりこの現実の世界のあり方を肯定的に捉えているのだという。それは、ツォンカパは仏教を国家存立のイデオロギーにしなければならず、一般的世間的な思惟を伴った思想にしなければならなかったから、らしい。この辺りの、チベット仏教の事情については、チベットの歴史も踏まえて別のところでまとめたいと思う。

 

さて、今回は竜樹以降の中観思想の変質をみた。竜樹はこの現象世界を厳しく徹底的に否定したが、その後のインド・チベット仏教では、竜樹と基本的に同じ立場に立ちつつも、最高真理と世俗の真理を分けたり、「自性」を限定的に解したりと色々工夫して、この眼前に広がる現実世界を肯定する考え方を模索してきた。

これに対して、東アジアに伝来した空思想はまるきり姿を変え、空は世界を否定する論理から、今ここにある世界の在り方をそのまま肯定する論理へと換骨奪胎されていくのである。次はそれをみることにして、いい加減次でこの本の話は終わりにしよう(笑)