あかりの日記

おっ あっ 生きてえなあ

石井米雄『タイ仏教入門』

 

マイペンライ

 

 

 

 

短くて少し古い本だが、かなり興味深い内容だった。

 

仏教とは

 

初期の仏教の概要についてはこっちの本参照(僕の感想は書きかけだが)。

 

akariakaza.hatenablog.com

 

生とは、老、病、死という「苦」を本質にするものである。この「苦」は、世の中は「無常」なのにそれに気づかず形あるものに執着するから生じる。正しい知恵をえて正しい実践(「八正道」)に努めることによって、苦しみからの解放(ニッバーナ、悟り)に到達できる。これがブッダの教え。

そして、ブッダ死後には出家者(ビク)の集団が次第に共同生活を行うようになっていき(サンガ、僧)、仏教はブッダブッダの教え、サンガすなわち「仏法僧」を信仰する宗教として確立した。

もっとも、この教えは厳しい実践に耐えうる強い人間しか救済しないものであり、大多数の民衆の支持を得られるかが問題になった。そこでこの初期の仏教は、かつは滅亡し、かつは大乗仏教へと変質していった。

しかしながら、東南アジアやスリランカでは、上座部仏教は2500年前の形をほぼそのまま保って存続している。これはどういうわけなのか。

 

出家者の仏教

 

初期仏教そして上座部仏教は専ら出家者のための教えである。

出家とは「家を出る」ことで、社会生活を捨てて修行に専念する道を選ぶことである。仏教は厳しい修行に耐えうる「エリートが」「専ら自らの救いのみを目的に」実践する宗教なのである。

シャカの時代から、仏教教団の出家者は、キリスト教修道院のように自活するのではなく、托鉢すなわち俗世の人に物乞いをして生きる道を選んだ。東南アジアで出家集団が長く存続したのは、東南アジアの豊かな土壌があったからかもしれない。

出家集団はシャカの頃は遊行者の集まりだったが、次第に大規模化していくにつれて定住していく。この傾向はシャカの時代に既に「雨安居」としてあった*1

定住化した出家者集団には内部規律の必要が生じ、律(ヴィヤナ)を作った。もっとも基本的な律はパーティモッカというものであり、これがいわゆる具足戒というものである*2。出家集団に入るには、サーマネーンという見習いを経て、具足戒を授かる(得度)ことが必要になる。

タイのサンガは、これを抜けることのマイナスイメージがあまりないこともあり、流動世の高い集団になっている。

サンガには、ビクの生活を保障し修行に専念させるほか、ブッダの説いた法をそのままの形で保存し続けるという役割がある。サンガの基本的あり方は仏滅後2500年以上ほぼそのままである。この保守性の高さが故に、サンガそれ自体がブッダやその教えと並んで信仰の対象になっているのだ。

 

在家者の仏教

 

上記のようにサンガは社会に寄生して存続するものであり、社会の支持がなければ滅亡ないし変質する。この教えは、上述したように、ごく限られた人しか救われないし、別に偉いお坊さん(アラカン)でも民衆のために何かしてくれるわけでもない。そんなわけで、仏教は現にインドでは滅んだし、東アジア等には大乗仏教に変質して広まった。ではタイではなぜサンガが存続しているのか*3。それはタイ在家者の信仰にある。

上記した出家者とは大きく異なり、在家者は「苦しみからの解放」ではなく「現世の価値観でもっと幸せになること」を目指している。そして、タイ人の民間には、ブン(善徳)を積んでバープ(悪徳)を減らすことが、輪廻思想により来世の生まれ変わりに影響するだけでなく、現世でのいいことにもつながっている、という価値観が広がっている。そのためタイ人は徳を積む(タンブン*4ことによって利益を得たいと思っている。サンガを敬い保護することはタンブンとされている。そういうわけでタイ人は、来世そして現世の利益のための善徳を積む目的で、寺(ワット)の建設をしたり、喜捨・托鉢をしたり、そしてある人は出家したりするのだ。

タイ人にとってサンガを保護するのがタンブンになるのは、サンガが世俗から離れてすごい修行をしているからに他ならないので、サンガが世俗化してありがたみがなくなるのは在家者にとっても困るわけだ。ここにおいて、修行に専念したい出家者とタンブンを得たい在家者の利害が一致し、タイ社会における両者の共生関係が形成されてきた。

タイ以外の上座部仏教国は知らないが、おそらくどこの国にもこれと同じような構造があると思う。修行に専念しているお坊さんたちというのは、こちらをダイレクトに救ってくれなくても「ありがたい」存在なのだ。

 

仏教の変革運動

 

タイの歴史についてはこっちの本参照。

 

akariakaza.hatenablog.com

 

タイの歴史上サンガは形を変えずに存続し、民衆も政治権力も手厚く支持してきたが、19世紀に入るとキリスト教の脅威に直面した。モンクット(ラーマ4世)は極めて教養に富んだビクであり、ブッダの説いた仏教は近代科学とも調和するような合理的な教えであり、当時のタイ仏教には民間信仰などの夾雑物が混じっているだけだとして、ブッダの教えへの回帰と合理化を説いた(タマユット運動)。この運動に賛同した人々はタマユット派を形成し、多数派のマハーニカイ派に数では劣るものの、それと並ぶ影響力を持っている。

原始仏教上座部仏教キリスト教などと比べて「近代科学にも堪えうる合理的な信仰」だ、という、このテの謳い文句は現在でもかなりよく見かけるものだが、もしかしたら歴史上でそれを最初に言い出したのはモンクット王なのかもしれない。いやこの人は見るからに天才だぞ。それにしても、こういう地域の近代の歴史を学ぶにつけ、この時代の西洋(そして日本も!)の侵略的態度というのは非常に腹立たしく思えてくるものだなあ。

その後のサンガには、チュラロンコーン時代のサンガ統治法やサリットの介入など、国民国家への編入という新たな試練が訪れたものの、なんとか人々からの支持を失わず生き残ってきた。ビクらの中では、従前までのように自らが悟りに至るために修行をするだけでなく、民衆を救うための貧困地域の開発に協力するなどして、サンガの影響力維持に努めようとしている者も多い。近代化・都市化に伴ってサンガのあり方も何らかの変質は免れないが、それでもタイ社会の中でサンガは一定の地位を保っているのだろう。

 

 

とりあえず、タイに行ったら早起きして托鉢の場面を見てみよう、と思ったぜ。

 

 

 

 

*1:文中でも引用されていたが、マハーパリニッバーナスッタンタでも描写があったな

*2:日本では、最澄天台宗がこれを捨てて(ユルユルの)大乗戒を打ち立てたんだよな。その後のことはあんまよく知らないが、鎌倉仏教の開祖もみんな比叡山で学んだので、具足戒は日本仏教からはほぼ完全に消滅したということかな。

*3:東南アジア全域にこの問いは当てはまりそうだが、あえて問題をタイに絞る。

*4:僕は四国遍路をぐるっと歩いたことがあるのだが、そこでは地元の人々に「お接待」として色んなものを恵んでもらったり、寝床を貸してもらったりした。「タンブン」は「お接待」と非常によく似た概念だと思う。日本に出家仏教的な実践の端くれのようなものが僅かにでもあるとすれば、それはお遍路文化ではないか。僕は本当にそれは素晴らしいと思うのだ。