あかりの日記

おっ あっ 生きてえなあ

中村元、三枝充悳 『バウッダ[佛教]』②

 

 

労働が忙しくて、読んでからだいぶ日が空いてしまい、記憶からかなり抜けてしまった。悲しいなあ。しかしながら、釈尊の述べるニッバーナ、悟りというのは、そもそも、釈尊自身の言い方からして、働いている人間(と家庭のある人間)には到底不可能だ。現代社会において悟りに相対的に最も近いのは、身寄りのない無職である。僕は別に大金持ちになりたいわけではないが(なれる見込みもないが)、今のところ労働それ自体にそれなりのやりがいや満足感を見出している。そういう人間にとって、悟りは、目指す資格すらないのかもしれない。悲しいなあ。

のっけから話が逸れてしまったけど。この前アーガマ阿含経のところまで行ったので、今日は大乗経典と大乗文化について検討する。

 

大乗とは

大乗仏教成立史

前編で述べたとおり、インド仏教史は、①初期仏教(釈尊(紀元前6世紀頃)〜根本分裂(紀元前3世紀頃))、②中期仏教(グプタ朝成立(4世紀頃)まで)、③後期仏教(インド仏教滅亡(13世紀)まで)に分かれる。②のさらに中ほどあたりから話を再開する。

中期には教団(サンガ)は部派に分裂し、その中で有部が最大勢力を誇った。もっとも、マウリヤ朝の滅亡によるインド社会の混乱を背景にして、中期仏教の中ごろ(1世紀初めくらい?)から、部派、特に有部の思想に反発する思想の改革運動として大乗の思想が現れてくる。

大乗の諸経典がどのように成立したかは謎が多い*1ものの、筆者はだいたい以下のような感じだったろうと推測している。おそらく筆者だけの考えではなくて、仏教学者の間の共通認識ということなんだろう。

まず、部派の思想がどのように展開していったかを検討する。釈尊の死後時間が経つにつれて、釈尊の神格化が進んでいく。例えば、「ジャータカ」なんてので語られているように、釈尊は前世からもう無限に近いような時間をかけて修行を積んできて、ようやく今生において悟りに至ったのだと。そこから、修行の重要性が強調されるとともに、現世で修行しても悟りに至れる人とそうじゃない人がいるんだ、という、一種のエリート主義的な色を帯びていくことになる。それからまた、それと不可分だが、部派において論(アビダルマ)の整備が進んでいく。例えば、有部の教義をまとめた『発智論』、その注釈書である『阿毘達磨大毘婆沙論』、そして有部の思想の集大成としてヴァスバンドゥ(世親)の記した『阿毘達磨倶舎論』などは有名である*2。このように、教理の抽象的・体系的な理論化が進んだ。まあ仏教がどんどん一部のエリート出家者のものになっていったというわけだな。

そういう流れに対して、他方において、この時代には、在家の信仰もどんどん高まっていく。在家信者はサンガに喜捨してストゥーパ(仏塔)を建て、その想像力から諸仏・諸菩薩(後述)という新しい信仰を作り出す。このような在家者を原動力とする新たな信仰が、ときには硬直化した部派へのアンチテーゼと結びついて、大乗の諸経典が成立していったのだろうと考えられている。その思想は多岐にわたり、一口には言えないが、重要な概念として「菩薩」があるので以下で詳述する。

 

(以下脱線)なお、仏教、特に南伝仏教においては、出家者はサンガを形成するが、これは在家の信者からの喜捨・托鉢がないと回っていかないので、必然的にその教えは二重構造をとる(これは現在の上座部仏教の国においても全く変わっていない。これらの国の在家信者は、必ずしも出家者と同じとは言い切れない信仰のもと(石井米雄『タイ仏教入門』 - 三浦あかり)、現代に至ってもサンガに金を湯水のように喜捨する(タイに行ってきた話③ - 三浦あかりなど))。大乗が流行らなかった国においてさえ、在家者の信じている仏教は必ずしも釈尊が説いた教えそのものではないような感じがするわけだが、しかしこの「誤解された仏教」なくしては「出家」というシステムは原理的に成り立たないようにもみえるのだ。これは一国・一社会レベルの話だが、これと同様のことが人類レベルで言える気がする。すなわち、もし「大乗」が「誤解された教え」だというならば、「正しい釈尊の教え」が現代に至るまで承継されているのは、まさにその「誤解された教え」が多くの在家者に受け入れられ、その在家者が「正しい教え」を伝える人々を守り続けたからにほかならないのではないか。大乗がなかったら、もしかすると、仏教はインドの外に広まらず、13世紀のヴィクラマシラーの陥落で(あるいはそれより早く)完全に滅亡し、誰の記憶にも残ってなかったかも知らんしな。

前回も書いたけど、僕は仏教について、教えの中身もさることながら、「ブッダ*3のファン達が2500年以上にわたって教えを伝え続けてきた」という事実にすごく魅力を感じるんだよな。だからまあ、何が正しい教えかとか正統な教えかとかは僕的には割とどうでもよくて、それぞれの地域のそれぞれの時代の人々が、「仏教」というカテゴリーでどんなことを考え、語り、実践してきたのか、ということに、すごく関心がある。それらは、どんな建物や財宝より尊い、人類の遺産だと思うのだ。まあそこまで行ったら、もはや仏教に限定する必要がないかもしれないが。

 

諸仏・諸菩薩

菩薩とはサンスクリットの「ボーディ・サットヴァ」の音写「菩提薩埵」の略。

まず、アーガマにおいては、「菩薩」とは過去世の釈尊を意味していた。さっきも挙げたジャータカなどにおける、釈尊が前世で前のブッダから「君は後の世できっとブッダになるよ」と預言(授記)されたというエピソード(燃燈仏授記)において、釈尊が「菩薩」と表記されている。菩薩=悟りを開くことを約束された人=過去世の釈尊、という意味だった、ということだね。

 

それが、後世に釈尊以外のブッダ諸仏)が考え出されていくとともに、菩薩もいっぱいいるんじゃね(諸菩薩)、という考え方になっていき、大乗の菩薩の概念が生み出されていく。

「諸仏」から説明する。(仏教を始めたあの人をなんと呼ぶべきか問題 - 三浦あかり)で述べたとおり、釈尊の時代には「ブッダ」は普通名*4だったが、釈尊が出てきてからはほとんど釈尊を指す言葉となった。しかし、後世になると、「釈尊みたいな素晴らしい人は他にもいるんじゃないか」と、釈尊の概念を演繹する形で複数の「ブッダ」が考え出される。例えばジャータカ等においては(先ほどの釈尊に授記したブッダのように)釈尊の前にブッダが6人いたとされる(釈尊を合わせて過去七仏という)し、釈尊の死後56億7千年後*5の未来には弥勒仏(マイトレーヤという新たなブッダが現れるという信仰も生じた。そこからさらに、パラレルワールドにおいては今この時代にもブッダがいるんじゃないかということで、例えば西方の極楽浄土の阿弥陀仏、東方の浄瑠璃世界の薬師仏、華厳世界の毘盧遮那仏大日如来などなど、他の世界のブッダも生み出された。さらに、ただ数が増えたというだけでなく、それに伴って、「ブッダ」は修行において到達すべき目標地点というより、「自分を救済してくれる存在」(救済仏)という位置付けに変わっていくわけだ。それと同時に、この多仏の考え方は、一切の衆生ブッダになる可能性を有している、という如来蔵(仏性)の思想(我が国の諸宗の始祖たちがことごとく強調し、我が国の仏教の支柱になっている超重要思想だ。)へと発展していく。

それを踏まえての「諸菩薩」である。たくさんの仏がいるなら、たくさんの菩薩もいるだろう、ということだ。上に挙げた諸仏の前身としての菩薩というと、弥勒さんは今はまだ菩薩だろう、ということで弥勒菩薩と呼ばれることがあるし、阿弥陀仏の前身の法蔵菩薩(有名な「本願」をかけてブッダになったとされる)などが有名である。

それから何より、この諸菩薩の考え方の重要なポイントは、「悟りに入れるのにあえて入らないで、衆生を救うためにこの世界で活動してくれている人がいる」と考える、ということだ。このような意味でまだ仏になっていない菩薩として、例えば文殊菩薩観音菩薩虚空蔵菩薩地蔵菩薩などが有名である*6。こういう菩薩はそれぞれ民間信仰に深く取り入れられているが、それはこれらのキャラクターが「救済」のイメージとと強く結びついているからであろう。

さらに進んで、偉いお坊さんのことを菩薩と言ったりする。例えばここまでに度々出てきたナーガールジュナ(龍樹)とかヴァスバンドゥ(世親)とかは菩薩と呼ばれるし、我が国でも大師遍照金剛「菩薩」とか、日蓮大菩薩とか言ったりするよね。それからさらにこの考え方を広げて、凡夫のおれらでも良い行いを重ねれば菩薩になれる、という考え方をしたりもする。

このように、諸仏・諸菩薩の考え方は、「ブッダ」の意味を「厳しい修行によって完成された人」から「なにやらすごい力で救済してくれる主体」へと転換するとともに、他方においては、「ぼくらもブッダや菩薩になれる」という思想へと繋がる契機にもなったのだ。

で、この諸仏・諸菩薩を核として、次の章に述べるような大乗経典が説かれるに至ったわけである。

 

「大乗非仏説」論

というわけで各経典を概観したいが、その前に、この筆者の三枝先生が再三話題に出している「大乗非仏説」論について触れておきたいと思う。

ここまでで概説したように、大乗経典は釈尊の教えそのものではなく、釈尊よりかなり後の時代になって作られたものである。他方で、前編で触れたように、仏教がシルクロードを通って中国に伝播するときには、アーガマと大乗経典は区別なく伝達され、それが天台大師などによる教判に基づいて解釈されたことによって、アーガマは大乗経典より劣るものとして理解されてしまった。その理解に基づく仏教が我が国にも輸入され、明治維新前までそのような理解を疑う者はほとんどいなかった。「ほとんど」ね。

そんで、その理解がどうも間違っているらしいということは、近代西洋に端を発する原始仏典の文献学によってだんだん明らかになっていくわけだが、我が国ではもっとかなり前から、そのことを指摘していた人がいた。その人こそ、江戸時代の18世紀前半に「大乗非仏説」論を説いた博学、富永仲基である。彼は大要、大乗仏教釈尊の死後数百年ののちに付け足された加上の新説であり、法句経(ダンマパダ)などが釈尊本来の教え(彼はこれを「金口の説法」という)であると説いたのである。彼の説は現代から見れば多くの誤りを含むものの、上の「加上」の説については驚くほど正確である*7。彼の大乗非仏説論はその当時においては、それを理解できる人がいなかったためかほとんど無視されたものの、明治維新の時代になって、廃仏論と結びついて盛んに引用されるようになる。

大乗非仏説論はその核において、「これまで我が国でほぼ無視されてきたアーガマをちゃんと読もう」という極めて重要な示唆を含んでいる。とはいえそれが大乗ひいては日本仏教全体への排斥につながる論理に結びついてしまえば元も子もない。この点について著者は、次のように説明する。

すなわち、大乗非仏説論は半分合っていて半分間違っている。大乗は釈尊の教えではない。それは揺るがない。しかし、大乗の教えだって、上述した諸仏のうちの誰かの教えではあるわけである。大乗は釈尊ではない仏の教え、すなわち「大乗非釈迦仏説」というべきである。大乗非仏説論はこれを言う限度では正しいのだ。

 

以下あかりのコメントだが、筆者のいうような歴史理解を前提としても、大乗経典は結局いつ誰が説いたのかわからないのであるから、これらが「どこかの仏が説いたもの」であることは自明ではなく、そのように説明するためには、それを「どこかの仏が説いたものだと信じる」必要がある。すなわち、(もっともラディカルな意味における)大乗非仏説か大乗非釈迦仏説か、というのは、要するに大乗経典を全くの偽経として切り捨てるか、それともそれらに何らかの聖典としての価値を認めるか、という価値判断の問題なのだと思う。これは個々人の、それこそ宗教的信条そのものに関わる問題でもあり、どちらが客観的に正しいとも言い難いところがある。しかしあかり個人の価値観としては、上述したとおり、「それぞれの時代にそれぞれの地域の人々が「仏教」として信じていたものが尊いのだ」という考え方であるところ、現に大乗経典が日本を含む各地で長い間聖典として信仰されてきた以上、その価値や意義を否定する理由はあかり個人としてはどこにもない。そこで、大乗経典に聖典としての価値を認める「大乗非釈迦仏説」を支持したいと思う。

 

かなり長くなったので、ここまでで切って、個別の大乗経典についてはパートを分けようと思う。

 

*1:このことは、個人的には、前編で述べたように、仏教のテキスト研究の関心がもっぱら初期経典に向いていて、大乗経典はあんまり研究が進んでないからなんじゃないかという気もするが、そうではなくて、調べてもガチで出どころ不明なだけなのかもしれない。

*2:それぞれ何が書いてあるのかは全く知らないんだが(笑)

*3:ここはあえて釈尊ではなく「ブッダ」と言う

*4:例えば初期にはマハーヴィーラとか舎利子とかも「ブッダ」と呼ばれていた

*5:流石に長すぎるだろwということで異説もあるらしい。ちなみに僕はなんとなく「コロナ」だなと思って覚えてる。覚える必要はないと思うが。

*6:それぞれの菩薩について掘り下げたいけどまた今度にしておく

*7:よくわからないのだが、18世紀前半の日本の文献だけ読んでいて、仲基はどうやってそのことに気付いたんだろうか?