あかりの日記

おっ あっ 生きてえなあ

柿崎一郎『物語 タイの歴史 微笑みの国の真実』

 

サワッディーカッ。

 

 

 

今度旅行でタイに行くので読んでみた。

 

中公新書のこの各国史シリーズが結構いいんですわ。おそらく内容は、各国の中学校の教科書をさらに簡潔にした程度のものだと思うが、なんだか手軽に教養を得た気になれるんだよな。国以外にも数学とか哲学とかいろんなのがあったと思う。

 

僕も何かの歴史を語ってみてえけどなあ。中公新書さん、もし今後、『物語 平成のアングラ・インターネットの歴史』とかみたいなのを刊行することがあるのなら、その著者は、僕ほど適任な奴はいないと思うぜ。

 

 

・・・。

おっ、そうだな。

 

 

さて、タイの歴史だった。一回読んだきりでつけやきばだけど、ザッとまとめてみよう。歴史のお勉強っぽく、重要語句は太字で(笑)。

 

前近代のタイ

 

タイ族」という民族は、現在のタイ、ラオスの他、ベトナム等のインドシナ地域や中国の雲南省などに分布している。

タイ族はもともと中国の雲南省の辺りにいて、漢民族の進出に押し出されて南下し、今のタイ等の地域まで移動していったらしい。*1

 

タイ族はその後、チャオプラヤやメコン流域を中心に中小規模の国(ムアン)を作っていく*2が、初めてのでかい国家は13世紀にできたスコータイ朝だった。

前近代の東南アジアの国家構造は、地方の領主を中規模な国家の領主が庇護し、それを中央の国王がさらに庇護する、というような重層的構造になっており、中央から離れたところに行くほど影響力が弱くなっていく形だった。これを「マンダラ型国家」というらしい*3。マンダラ国家の支配の及ぶ範囲について明確に線を引くことはできず、また周辺のマンダラとの間で領域は絶えず変動していた。

タイにはこのスコータイ朝の成立まで文字がなく、歴史を知るには漢籍に頼らねばならない。*4タイ文字は同王朝のラームカムヘーン王が作ったとされ、この王の碑文がスコータイに残っている。この碑文がタイ文字の最古の文献であり、言ってみればタイの歴史の始まりということになっている。捏造説もあるようだが、まあ仁徳陵に眠るナニカと同じで*5あんまり触れない方がいいのだろう()

 

14世紀になると次第にチャオプラヤ下流アユッタヤー朝が優勢になっていき、スコータイに取って代わって大マンダラを形成するようになった。アユッタヤー朝は隣国のタウングー朝ビルマと競い、16世紀末に一時滅ぼされるが、ナレースアン王のもとで独立を回復し、インドシナ全域に版図を広げた。港市アユッタヤーは貿易で富を拡大し、山田長政ギリシャ人のフォールコンなど外国人官吏も積極的に登用して統治を行ったが、18世紀に入り勢力を広げたビルマのコンバウン朝に滅ぼされ、アユッタヤーは破壊された。

 

その後タークシンがバンコクに都してトンブリー朝を起こし、独立を回復した。同王朝は一代で崩壊するが、続いてチャオプラヤ・チャクリー(ラーマ1世)が建てたラタナコーシン朝チャクリー朝バンコクに都して大マンダラを形成し、これが現在まで続いている。

 

近代のタイ

 

19世紀に入りモンクット(ラーマ4世)の時代になると、西洋列強の東南アジア進出が顕著になり、タイも対応を迫られた。

まずインドからビルマに勢力を伸ばしてきたイギリスとの間で不平等条約を結んで王室独占貿易の廃止などを約し、タイはイギリスの市場に組み込まれた。ついでナポレオン3世時代のフランスがインドシナの植民地化を進めると、タイにも圧力をかけ、タイ領だったカンボジアラオスを相次いで割譲させ、さらにメコン川右岸(地図上だと左側)まで食指を伸ばした。英仏はタイを挟んで睨み合う格好になったため、両国はチャオプラヤ川流域を緩衝地帯にすることを宣言して、タイは首の皮一枚繋がった。タイはマンダラ型国家から、絶対王政の近代国家に変質して独立を保ち、巻き返しを図っていく。次のチュラロンコーン(ラーマ5世)の時代には国王主導の近代化(チャクリー改革)が進められ、行政機構の整備、教育拡大、外国人官吏の登用やインフラ開発等により勢力増強に努めた。ここまでで出てきたラームカムヘーン、ナレースアン、チュラロンコーンの3人がタイの歴史上の3大国王として崇敬されているらしい。ワチラーウット(ラーマ6世)は力をつけてきていた華僑に対抗して「タイ人」のナショナリズムの形成につとめた。第一次大戦の戦況を見計らって参戦し、勝ち馬に乗って戦勝国になり、不平等条約の改正を進めた。

 

戦間期プラチャーティポック(ラーマ7世)の時代には、ピブーンプリーディー*6らをはじめとする絶対王政に批判的な留学生らが中心となって人民党を結成して立憲君主制を目指す活動を進め、ついに軍と協力してクーデターを起こし、政権を握った(立憲革命)。急進的だったプリーディーを軍側が国外に追放するなど人民党政府内部でも混乱があったが、最終的にはプラチャーティーポック王が退位して人民党が勝利した。その後政権を握ったピブーンはナショナリズムの高揚に努め、権威主義的政治を行った。

 

第二次大戦が始まると、タイはインドシナに進駐した日本に占領されないため表向きは同盟したが、一定の距離を保ち続け*7、プリーディーがひそかに抗日運動を支持したこととも相まって、「タイは巻き込まれただけ」というイメージを国際社会にアピールしようとした。このこともあり、タイは戦後敗戦国とされたものの、アメリカの協力を得て敗戦国の中ではいち早く国連加盟を果たし、国際社会に復帰した。

 

戦後のタイ

 

戦後プリーディー内閣が成立するが、国王怪死事件により退陣し、プミポンラーマ9世が即位すると、クーデター等を経てピブーンが再度首相となった。冷戦構造の下で欧米からの支持を受けて権威主義体制を復活させ、華僑を廃して国営企業による民族資本形成を図ったが上手くいかなかった。

軍出身のサリットがクーデターにより政権を得ると、権威主義体制は維持されたものの、民間主導での経済開発を奨励し、次のタノームの時代も併せ、50年代後半から70年代前半にかけてタイの経済発展は軌道に乗った。言ってみれば人民党メンバーの時代が終わり、開発独裁の時代に入った。

 

タイは経済発展を遂げたが、独裁体制に対する批判が高まり、学生運動と政府が激しく対立した。国王の鶴の一声でタノームが辞任し、軍の影響を排した民主的政府が組織されたが、国内の政情が不安定であったことと、ベトナムラオスカンボジアが相次いで共産化し、左派の脅威が強まったことから、わずか3年でクーデターが生じ、民主化の時代は終わった。その後70年代終わりまで軍の支援を得た政権が続いた。

次のプレームも軍出身ではあったものの、左派などさまざまなアクターと調整しながら政権を運営し、政情は安定した。安い通貨や人件費を背景に海外から産業を誘致し、インドシナ東部に経済的に進出するなど、タイは飛躍的な経済発展を遂げた。

その後、80年代末に再度民主化の機運が高まりプレームが退陣するが、次のチャーチャーイ政権は汚職等で不人気であり、またもやクーデターで転覆する。その後軍の影響の元でスチンダーが就任したが、民主化を求める市民の大規模なデモが起こり(五月の暴虐)、国王の介入もあり、スチンダーは辞任した。その後の政府のもとで民主的な憲法が準備されるが、アジア通貨危機による混乱もあり政局は安定しなかった。

 

21世紀に入ると実業家のタクシンが選挙で大勝して長期政権を築いた。政治面では反対派を弾圧する強権的姿勢をとったが、経済面では経済成長と都市部と農村部の格差縮小のデュアル・トラックの政策を進めた(開発独裁の再来)。タイは東南アジアでは最も豊かな国の一つとなり、ラオス等に経済援助を行った一方、周辺国からの反感も買うようになった。経済的成功を収めたタクシンだったが、権威主義的態度に次第に国民の不満が高まり、野党が選挙のボイコットをするなど混乱が大きくなり、結局いつもの軍部のクーデターによって政権は崩壊した。

 

感想

 

立憲革命以降のタイは、政治的には、民主化が進んだと思ったら腐敗してクーデターが起こり、軍の息のかかった政権が少し長くなってくるとデモが起きて崩壊し、・・・をひたすら繰り返しているようにみえる。クーデターやら流血を伴う反政府デモやらが異常事態ではなく、通常の政権交代のあり方といえるまでに定着してしまっているような感があるなあ。クーデターも民意を背景に起きているようなので、それはそれで「タイ式民主主義」といえるのかもしれないけど、やはりそういうカロリーを無駄に消費する出来事なくして政権を交代するために選挙をやっているわけだから、選挙以外での政権交代が頻繁に起こるのは健全な政治のあり方とはいえないだろう*8

また、プミポン王の時代には調停者としての国王の影響力が大きく、中立的な立場から舵取りをしていたので国際社会も概ね肯定的に評価していたようだけど、国王は亡くなれば交代する(現にした)からね。こちらについても、民主主義や選挙というのは国王の能力という属人的な要素によらずに安定した政治を長く継続するための仕組みでもあると思うので、ずっと王の調停に頼りっきりなのはやはり望ましくないのだろう。

まあ民主主義は根付くのに時間がかかるものだし、時間が解決するのかなあ。

 

他方で、国内政治はずっと混乱しているけれども、経済と外交のセクションについては一貫して上手くやっている印象を受けた。一般的には政治がダメだと経済や外交もダメっぽい印象があったので、これは結構意外だった。

 

一読しただけなのでもう一回読もうかな。でもこれ書くときに軽く読み返したからもういいか(笑)

 

(おまけ)タクシン退陣以降のタイ

 

この本は2007年のものなので、タクシン時代までで終わっているが、その後のタイについてかるーくみておく。(出典はウィキペディア(笑))

タクシン退陣後、農村部を中心とする親タクシン派と都市の富裕層を中心とする反タクシン派が対立し、政情は大きく混乱した。両派が交互に政権を握るが、タクシンの実妹インラック政権が経済政策の失敗などで支持を失うと、反政府デモを背景に2014年にクーデターが起こり、それ以降現在までプラユットが政権を握っていた。そして、ちょうど今年の5月に総選挙があり、プラユットが負けて久し振りに政権交代が起きそうなようだ。プラユットは退陣を表明しているが、連立与党側が首相の選出に手間取っており、そろそろ選挙から3ヶ月経つがまだ新政権が発足していない。この間国王もワチラーロンコーン(ラーマ10世)に交代しているところ、王政改革を求めるデモが起きるなど人気はイマイチのようで、先代のような指導力を発揮できるかは不透明だ。

なんというか、これまでの歴史を踏まえると、もう間もなくにでも一悶着ありそうだぜ。この時期にタイに行くんじゃなかったかな(笑)

 

 

 

*1:そういえば、三国志孟獲なんかはタイ族説があるよな。南蛮軍といえば戦象部隊だし。

*2:今のチェンマイを中心とするラーンナーとか、ラオスにあったラーンサーンとか

*3:正直言うとマンダラのくだりは若干説明が薄かったので深く理解できてはいない。

*4:ローマとか中国とか古代から文明があった地域を除けば、古代とか中世の歴史を詳細に知るのは結構大変だよな。そう考えると日本史って結構古い時代から割としっかり記録されてるような気がするぞ。

*5:というかタイの方がより強いタブーがあるのだろうが

*6:日本で言うと明治維新期の偉人あたりの位置付け?なのかね

*7:尤も領土拡大の色気は出していた

*8:「選挙が政治責任の追及制度として機能していない度合い」で言ったら、選挙をやっても政権交代がほとんど起こらない日本とあんまり変わらないかもしれないけどw  とはいえ日本の選挙はシステム上は完全に民主的だし、不正が横行しているわけでもないんだがなあ。