あかりの日記

おっ あっ 生きてえなあ

ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』(下)(新潮文庫)

ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』(上)(新潮文庫) - あかりの日記

ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』(中)(新潮文庫) - あかりの日記

だんだん日が短くなり、ようやく外も涼しくなってきた。

中巻を読んだのは去年の夏。気づけば1年以上経過している。この1年間、俺は、何をしたか?女の子と付き合ってすぐ別れた。ただ働いた。本はあまり読んでない。死にてえなあ。

 

まあそれはいい。下巻は法廷バトルだが、論告と弁論、いくらなんでも長すぎるだろ。裁判員裁判であれやったら、裁判員全員寝るぞ(笑)結審も深夜1時とか書いてあって笑えないぜ。昔の刑事裁判ってああだったのかね。それ以外にも、登場人物の語りが、あまりにも冗長で、ちょっときつかった。罪と罰とかカラマーゾフの上中巻はここまで酷くはなかったような気がする。そうでもないっけ?「大審問官」とか、ゾシマ長老の最後の言葉みたいに、中身がしっかりある話だったら、読んでて面白いんだけど、下巻は、ホフラコワ婦人とかドミートリーとかイワンみたいな、精神病患者の分裂した支離滅裂な語りが延々と続くから、ほんと参っちゃったよ。

 

さて。男と女。俺はその辺りのことがよくわからない。カテリーナが、法廷で突然ドミートリーを裏切ったのも、エピローグでドミートリーと突然いちゃいちゃしだしたのも、俺にはよくわからなかった。女の心がわからんというだけじゃなくて、ドミートリーもイワンもそれぞれの行動の動機がよくわからん。色恋に脳を焼かれた人間の考えることは謎だ。

神と人間。俺はその辺りのこともよくわからない。この作品の人間はみんな信心深い。例外はスメルジャコフくらいか。神とは、なんだろう、それこそ色恋と同じくらい、深刻な悩みの種になりうるトピックだったのか?当時のロシア人はみんなそうだったのか。だとしたら、俺はその状態が結構羨ましい。かれらの神に向き合う姿勢は真摯だ。その真摯さをもって目の前の人間に向き合えよ、といつも言いたくなるんだがw俺はそういう真摯さに憧れる。特にイワンな。彼は、西洋の知識を得ながらも、神がいないということを受け入れることができないのだ。それで、彼は段々おかしくなっていき、大審問官なんていうイタい叙事詩を作ったり、自分の中の悪魔を具現化してしまうのだ。

そう、悪魔な。俺は愛も神もよくわかんないが、悪魔のことは少しはわかる。イワン君と喋ってたようなやつと、俺も、しょっちゅうお喋りしているんだぜ。俺には信心なんてものはないから、悪魔と話すことにも、ナンの抵抗感もないんだぜ。そういう意味では、俺は神も輪廻も信じないが、悪魔は信じているかもな。

そういや、あの悪魔さ、「天体による永遠」みてーな話してたよな?

現在の地球そのものも、ことによると、もう十億回もくりかえされたものかもしれないんだよ。地球が寿命を終えて、凍りつき、ひびわれ、ばらばらに砕けて、構成元素に分解し、また大地の上空を水が充たし、それからふたたび彗星が、ふたたび太陽が現われ、太陽からまたしても地球が生れるーこの過程がひょっとすると、すでに無限にくりかえされてきたのかもしれないじゃないか、それも細かな点にいたるまで、そっくり同じ形でさ。やりきれぬくらい退屈な話さね…(p349)

これ、本当にそのまんまだなw

ブランキ『天体による永遠』 - あかりの日記

「超人」とか「永劫回帰」とかってさ、一番最初に言い出したのがニーチェなのかもよく知らんけど、けっこう、この時代のブームの思想だったりしたんかな。

 

まあとりあえず俺はカラマーゾフの兄弟を最後まで読んだ。それによって、何かを得たとは思わない。

ドストエフスキーの作品はさ、出来事は実はそんなに目まぐるしくはなくて、作中で展開される思想も(現代に至るまでに語り尽くされているからってのもあるが)比較的明確でかつ刺激的なんだが、とにかく登場人物の語りが冗長なせいで、かなり読みにくくなってるよな。話が長すぎる。いやまあ、現実にも、ホフラコワ夫人みたいに、喋り出すと止まらないおばさんとかいるけどさ。あと、俺はイワンタイプだな。弟とかに自分の思想をブワーッてぶちまけちゃう。でも、そういうのをさ、小説の中で、そのまんまやらなくていいんだよwもうちょい要点をかいつまんで書いてくれよ。参った参った。