あかりの日記

おっ あっ 生きてえなあ

E.H.カー『危機の二十年−理想と現実』

びっくりするほどユートピア!

 

学生の頃、世間的にもほんの少しだけ名の知れた学者の先生の国際政治の授業を受けていたことがある*1。その教授は授業でいろんな本の話をしていた。『大地のノモス』、『革命について』、クラウゼヴィッツベンサム、カント・・・。虚栄心を満たすためでいいから、読めと、そんな感じのことを言っていた気がする。

僕はその教授について、率直に言って、なんて教養に満ちた、素敵なおっさんなんだろうと思った。何よりもさ、顔がかっこいいんだ。顔がいい人間の言うことってのは、3割増しでありがたく聞こえるものだぜ。だから、その教授のことは何年も経っても覚えているのだが、しかるに、そこで名前が出た本は、ペラペラの『永遠平和のために』を除いて、ほとんど読まなかった。もっと時間があるうちに、いろんな本を読んでおけばよかったなあ。

それで、これも、その頃に読まなかったことを後悔しているもののうちの一つなのだが。一つ一つ、罪悪感を消していく作業なのだが。

 

全体的な感想

僕は、学術的専門的な知識は皆無だが、世界史の授業とか、大学の国際政治の講義とかはまあ人並みには聞いていた方だと思う。それもあってか、第一印象としては、教科書で読んだことあるな、と思った*2。リアリズムと理想主義(リベラリズム?この著者はユートピアニズムという言い方をしているけど、ちょっと侮蔑的なニュアンスだよな。)という2つの極による検討、権力の分析、国内政治のアナロジーとしての国際政治の分析、制度化の話。

おそらく、この本は現代の国際政治学の原点であって、全ての国際政治学者はこの本を一つの出発点としている、というような、そういう位置付けの著作なんだろう*3

 

あともう1点、カーという人は、代表的なリアリストと言われたり、ヒトラーのファンだった黒歴史がある、と言われたりしていたこともあり、本書もアナキーというか修羅道というか、そんな内容を想像していたのだが、思っていたよりはずっと、彼自身が「ユートピアン」寄りの思想だなと感じた。確かに、戦間期の国際政治の「ユートピアニズム」がかなり嫌いだったことはうかがわれるが、道義を権力と少なくとも同等には重要なものと位置付けているし、支配国家が一定の自己犠牲を厭わないことによる国際的道義の実現を信じている。

ミリタリー関連が好きな人が、リアリズムを理論武装したいという関心からこれを読んだら、割と説教臭くて面食らうと思うぜ。

 

 

まじめな本なので、一応、内容を軽く要約してみるぞ。

 

ユートピアは詭弁だぜ

本書はものすごくざっくりいうと、「⑴戦間期外交はなぜ失敗したのか、というテーマから、国際政治のありかたを分析して、⑵これからどうすればいいのかを考える」という構成になっている。

あらゆる学問の出発点は、自然科学も含めて、事実の分析ではなく、何かをしたい、とか、どうあるべきか、というような目的意識であり、次第に事実分析が目的から分化していく。

もっとも、政治学*4は自然科学とは違い、どこまで発展しても、事実の分析・研究と、「(事実がこうだから)このようにあるべきだ」という目的は完全に分離することはできない。ただ、主として目的の方にだけ注目する議論(ユートピアニズム)が先行し、これに対して、事実分析を中心とする議論(リアリズム)が批判を加える、という構図はよく生じる。

国内政治・社会を分析する学問領域におけるユートピアニズムは19世紀の自由主義*5である。これは、異なる利益をもつ国内の諸主体に対して、全体の利益は、最も恵まれないものにとっても利益になる*6、という理屈(利益調和説)により自己を正当化する。

これに対してリアリズムが批判を加える。利益の対立という現実を見よ。利益調和説は事実の基礎を欠く理論であり、持てる者が持たざる者に対して現状維持を行うための詭弁である。カーのこの文脈では、国内政治におけるリアリズムの具体例とは社会主義とか労働運動とかである。

戦間期に発展した国際政治学も、このアナロジーとしてのユートピアニズム色が極めて強かった。諸国家間の利益は調和するものであり、「国際政治における利益」は、持たざる側の国(カーの議論では、途上国とか第三世界というよりも、第1次大戦の敗戦国、特にドイツを中心として想定しているようにみえる。)にとっても利益であるから従うべきだ。

これに対して、カーの述べる、国際政治におけるリアリズムは次のとおり。戦間期外交は国家の権力の要素を排除した事実の基礎を欠くものであり、利益の調和の理論は、戦勝国英米仏)が、懲罰的な戦後処理によって全てを奪われたドイツとの力関係において現状維持を行うための詭弁である。

 

もっともカーは、国内政治でも国際政治でも、政治は権力の要素だけでは不十分だという。政治は「権力」と「道義」のバランスの上に立っている。国際秩序はリアリズムとユートピアニズムのバランスの取れたところにしか実現しない。

 

権力と道義

そこで、国際社会における権力と道義をそれぞれ分析する。

「権力」というと軍事力を想起するが、産業が発展し、メディアの影響が大きくなった現代では、経済力と宣伝力(意見を支配する力)も権力の源泉である*7。この3つの要素は独立しているのではなく、相互に関連しあっている。

国際社会における「道義」を考える上で、理論的前提として、まず①道義的な権利義務の主体たる集団人格としての国家の想定を認める必要がある。これはあの野蛮なナショナリズムを喚起する国家の実在の想定とはレベルの異なる話である。次に②国家が義務の客体になることを認める必要がある。「国家は人倫の最高形態」とか言った人もいる*8が、国際政治における道義を議論する上では、国家もより高次の規範による道義的義務を負うと想定しないと話が進まないな。

 

カー流の国際秩序の実現プラン

で、じゃあひとまず、国家を「「権力」を持っているけど「道義」の主体・客体になりうるもの」として設定するとして、どうやって秩序を実現するのか。

秩序維持の前提として、秩序が維持されるためには、というところから話が始まる。カーがいうには、秩序維持は「利益調和説」ではダメなのだ。これは持てる者の既得権を維持し、これに対する挑戦は常に違法・不当とする議論にしかならない。「利益の変更を実力によらずに行う」ことを織り込んだ仕組みが存在するとき、秩序が維持されるのである。では、その仕組みをどう作るか。

①まず、極めて伝統的な考え方として、国際法によるべきだ、という考え方がある。もっとも、国際法というのは(この時代は特に)もっぱら慣習法であり、また、国内法とは違って、国際社会には慣習法以外の法を新たに作り、司法と執行を行う機関はない。法の基盤になる「政治」がないところで、法だけが独り秩序を維持することは不可能である。

②それじゃあ裁判所を作ればいいじゃない。もっとも、国際紛争を司法に委ねて解決するのには深刻な問題がある。もちろん裁判を執行する権力がないという問題もあるのだが、それ以上に、司法機関は当事者間の権力関係を捨象して、純粋に法的な権利義務について判断する機関なので、利益の変更を目的とする多くの国際紛争を解決するのにはそもそも適していない、ということなのだ。

③そうすると、やっぱ権力の要素を考慮した問題解決をする政治機関といえば立法府ってことか。カーは、国際紛争を実効的に解決するための機関としては立法府が適している、と述べる。しかしながら、結局立法機関を作るだけの国際政治の基盤はないよね、という話に落ち着く。

④ではもうどうしようもないか。もちろん俺らは抵抗するで?拳で。…ではなく、カーは、国内政治においても、政治無くして、実力行使によらずに利益変更を行う方法はある、と述べる。それは労使間の交渉である。ああいうのは国際政治の場面でもできるんじゃね、とカーは述べる(僕のまとめ方は雑すぎるが、ここら辺はあんまり具体的な議論はない。)。

そういった仕組みを実践し、「持てる者」が一定の譲歩、自己犠牲を少しずつ積み重ねていくことで、国家間の共通理解を少しずつ広げていき、より硬い③とか②とかの制度を作る基盤がじわじわできていったらいいよね。というような、極めて「ユートピアン」的な話で、本書は締め括られる。

 

 

 

 

 

 

終盤かなりテキトウになったけど、一応最後までまとめたから、自己満足だぜ。これできっと僕の罪悪感は一つ成仏しただろう。大変結構。

 

 

 

 

 

 

*1:その教授が近年たまに話題になるのは、もっぱら、ある人物の師匠である、という点に関することであるが、それはもしかするとその教授にとってそれほど名誉なことではないかもしれないので、あまり触れないでおきたい。

*2:これは、けして退屈に感じたということではなく、むしろその逆なんだ。世の中の頭のいい人というのは、分かりきったことを聞いたりするのは退屈らしいんだが、僕は愚鈍なので、「自分では分かっていると思っていること」を誰かが改めて言葉にしているのを読んだり聞いたりするのが結構好きなんだよな。

*3:全然違うかもしれないが、そもそも国際政治に詳しい人間が僕の便所の落書きを見ることはまずないだろうから、無問題である

*4:個人的には、法学とかも含めて社会科学は全てそうだと思うが

*5:政治思想としては夜警国家的なやつであり、経済思想としては神の見えざる手とか自由貿易とか。

*6:しかして、こういう話も、20世紀の終わりくらいからまたよく言われるようになって、今ではすっかりグローバル・スタンダードに返り咲いたよな。

*7:カーはいろんな事例をあげているが、この3つがそれぞれ重要な力の要素であることは、昨今の世界で一番話題になっている国際紛争を見ても極めて明らかである。

*8:その考え方は、国家の上(キリスト教)とか下(国内の団体)とかにも権力主体がいる中で、ひとまず国家という箱に権力を集中させる必要があった国民国家の形成の時代には、確かに重要な役割を果たしたんだろう。