だんだん空気がヌルくなってきたなあ。
と、思っていたら、急にまた寒くなった。
よかったよかった、春はまだまだ遠いみたいだ。
でも油断しちゃダメだ、日は長くなってきているし、それに、伊豆の方じゃもうとっくに桜が咲いてるって噂だ。
春が嫌いなんだ僕は。
それは、桜の木の下に死体が埋まってる、とか、「ピンクは血の色」みたいな、詩情あふれる理由からじゃない。いや、じゃあそういうことにしとくか。
…そうじゃなくて、あんまり言いたくないんだけど、学校で学年が上がって、クラス替えがあったり、誰かと出会ったり、はじめまして、みたいな、そういうのが苦手だったんだ。昔から。
ああ、それなのに僕は、「クラス替え」のなんとまあ、多い職に就いてしまったことか。もう疲れた。僕は愚かだ。人生の大事な選択をことごとく間違ってるんじゃないかって気がする。
まあ、それはどうでもいいんだ(会話下手)、『隣りの女』はどのように生きているか、って話だったっけ*1?
うーん。今から40年前くらいの、昭和の女のひとの人生というのは。
「自由と独立…」
「女はそういうことば、好きだね」
「持っていないからよ、女は。結婚したら二つとも無くなってしまうもの。人を好きになってはいけないのよ。
彼女たちの、人生の操縦桿は、家族に、ダンナに、世間様に、がっちり握られている。今もある意味ではそういうものかもしれないけど*2。
男達もまた、色々と、雁字搦めで生きている。その中で、時にはどっか逃げ出したくもなる。
でも、前を向いて、終わりなき日常を生きている。たまにヤになって逸脱して、谷川岳なんかに登っちゃったりしても、おおむね、また戻ってくる。「戻る方が勇気がいる」らしいよ。
ほどほどに手を抜いて、でもまあまあ真剣に、しあわせを探している。結構なことじゃないですか*3。
あなたのこと好きになって--一生に一度でいい、恋っての、してみたかったの
しあわせなあ。
僕にはどうにも、春ってのは来ないし、むしろ来ないでくれ、なんて、戦々恐々な訳だが。
うちにはやっと春がめぐってきたのだ。
(中略)うち中みんなにやって来たのだ。
なまぬるい風が吹く。
「十人並みの」花も咲く。
呪いのことばも祈りに変わる。
路地の間を、
地下鉄のホームを、
胡桃の中の使わない部屋を。
引きこもりのおっさんの、開かずの間だって通り抜けて、春は来るんだぜ。
「さようなら!」
自分でもびっくりするくらい大きな声だった。
今年の春は、さっぱりといきてえけどなあ、僕もなあ。
*1:ちなみに、僕のアパートの隣は中国人の兄ちゃんだ。
*2:ただね、今の人より、お金と心の余裕はもっている、多分
*3:誤解のないように言うけど、僕は決して声を上げるなと言っているんじゃない。むしろ、政治的には、もっと強く、それこそ僕のような奴がウンザリするくらい、権利を主張した方がいいと思ってる。我が国の少数派はまだまだ大人しすぎると思う(よそは知らん)。
ただ、そういう余裕がなく、半径何メートルかの世界のことで手一杯で、日常を受け入れ、流されるまま生きて死んでいくというのも、それはそれでいいんじゃないか、という話だ。
だけど、もしかするとこれは詭弁で、この2つは両立しないのかもしれない。「誤解」なんてどこにもないのかもしれない。ごめん。僕が悪かった