あかりの日記

おっ あっ 生きてえなあ

木村清孝『華厳経入門』

 

華厳経。西域で生まれ、中国で法華経と並んで大ブームになり、東アジア全域に伝播。日本にも伝来して、東大寺大仏が造立された。

その後の日本では、法華経・天台思想が流行り、そっちが鎌倉以降の仏教につながっていくけど、この華厳も重要であることには変わりない。ということでみていこう。

華厳経華厳経

成立

華厳経は、4世紀後半頃、西域のホータン周辺で、既存のいくつかの経典を集める形で編集されたらしい。原本はサンスクリットで書かれていた*1らしいが、部分的にしか残っていない。ただし、後でも触れる「十地品」や「入法界品」は、もとは独立経典であったようで、原典が残っている(入法界品のサンスクリット題は「ガンダ・ヴューハ」という。タイトルの話は後でも触れる。)。
漢訳版はいくつかの版があるが、以下では最も古い、ブッダバドラ訳(「六十華厳」というらしい。)に従う。

構成及び舞台

六十華厳には、34の章(品)がある。基本的には、ほかのお経と同じように、「ブッダがいて、説法が行われている」という体裁だ*2。だが、華厳経に特徴的なのが、場面がどんどん移動していく、というところだ。たしか、法華経でも、最初は霊鷲山で説法をしてたけど、如来寿量品に入るとき、空中に浮くんだよな。
しかし、華厳経はもっとダイナミックである。7つの場所を舞台として、8つのパートに分かれていて、七処八会といわれているらしい。場面と場所を少し詳しく見てみよう。
① 寂滅道場会(@ブッダガヤ):1、2章
② 普光法堂会(@普光法堂(光の家)):3~8章
③ 忉利天会(@忉利天(トラーヤストリンシャ天)):11~14章
④ 夜摩天宮会(@夜摩天宮(ヤマ天)):12~18章
⑤ 兜率天宮会(@兜率天宮(トシタ天)):19~21章
⑥ 他化天宮会(@他化天宮(パラニルミタヴァシャヴァルティン天)):22~32章
⑦ 普光法堂重会(@普光法堂(光の家)):33章
⑧ 重閣講堂会(@祇園精舎):34章
このように7か所を移動して説法が行われている。「光の家」はどこなのかよくわからんが、それ以外の場所はいずれも有名な地名なので、一応確認しておこう。
ブッダガヤはお釈迦様が悟りを開いた土地で、4大聖地のひとつ。祇園精舎は、コーサラ国の首都・舎衛城の近くで、お釈迦様が在家の信者に寄進してもらった修行場だ。いずれも由緒ある土地なので、説法の舞台に選ばれたのだろう。
この2か所はいずれも地上だ。おそらく「光の家」も地上とのことだ。
忉利天は須弥山の頂上にあり、帝釈天が住んでいるところである。夜摩天兜率天、他化天は、須弥山の上空の天界の第1、2、4層に当たる。地の底から他化天までは、世界全体を「三界」に分類したとき、一番下の欲界である。逆に言うと、他化天は欲界の中では一番上だ。位置関係や各概念の詳しい説明はこの日記(定方晟『須弥山と極楽』 - あかりの日記)を参照してくれ。手書きの絵も交えてまあまあ丁寧に説明しているぞ(笑)。
さて、ここまでの話から、このお経の場面展開は、地上→須弥山頂上→欲界の一番上、と、だんだん上がって行って、最後また地上に戻ってきて終わり、となっているとわかる。
この後も触れるが、「蓮華蔵世界」を説明した盧舎那仏品は2章(①寂滅道場会)、華厳教学で重要視された十地品は22章(⑥他化天宮会)、有名な入法界品は大トリの34章(⑧重閣講堂会)である。

盧舎那仏

華厳経におけるブッダ盧舎那仏(ヴァイローチャナ)である。

いや、だれですか。お釈迦様じゃないの。

もともと、実在するかはともかく、歴史上の人物としてのお釈迦様がいた。これに対して、大乗経典は色んなブッダ如来)を考え出した。これはおれの管見だが、大乗経典に出てくるいろんな如来とお釈迦様の関係についての、大乗側のロジックは、大きく分けて、①お釈迦様の前/後の時代の如来である(過去七仏弥勒仏等)、②お釈迦様とは別のパラレルワールド如来である(阿弥陀如来薬師如来等)、③まさにお釈迦様自身である(法華経如来等)、という3パターンがあるように思われる。

で、華厳経盧舎那仏は、この中だと、どうも③に近いようである。経典の中で、お釈迦様と盧舎那仏を同一視するような記述があるようだ。

ところで、「ヴァイローチャナ」というサンスクリット語は、「太陽の輝き」的な意味らしい。いうなれば、盧舎那仏とは、お釈迦様に太陽信仰を結び付けて神格化した存在、という感じなのだろう。

この盧舎那仏は、のちに密教経典の大日経でも採用され、密教の教主たる大日如来へと発展していくことになる。華厳経って、本家のインドだとあんまり研究されなかったように見えるけど、密教の最重要キャラを生み出したという点では、インド仏教の展開にも大きな影響をもったというべきなのだろう。

華厳教学

六十華厳は、中国に伝来すると、重要経典として研究され、6世紀ころに華厳宗が立宗し、初唐の賢首大法蔵によって大成することとなる。その教学の内容はここでは詳しく触れない(この本でもあんまり深く取り上げられていなかった。)。

一点、教相判釈の話をしておく。法蔵の教判によれば、仏教は5教に分けられ、華厳経が最高位の完全な教え(円教)とされたようである。

これに対して、天台宗の天台大師智顗の教判だと、華厳経は、円教である法華経より一つ劣る「別教」に位置付けられたようだ(立川武蔵『最澄と空海』① - あかりの日記等でも少し触れた。)。どうも、大乗の菩薩の教えを、そのほかの教え(声聞・縁覚とか小乗とかいわれるやつだ)よりも優れているという点を強調するのが別教で、そのほかの教えをも包摂するという視点を強調するのが円教であって、後者の方が優れている、というような見方らしい。*3

中国仏教はその後、禅宗一強の様相を呈していくが、華厳宗の思想や儀礼はその中で重要な役割を果たすことになる。

また、華厳教学は朝鮮にも伝わり、新羅、高麗の時代に大いに研究された。現在の韓国には、禅宗系の系統が残っているが、華厳思想の影響が大きいらしい。

このように、大陸の仏教には華厳教学の影響がかなり色濃く残ったようである。このことが、平安朝以降法華経の影響が強くなる我が国の状況と対比的に語られることもあるらしい。この図式は覚えておくとするか*4

華厳と日本

華厳経天平年間に日本に伝来した。時の聖武天皇は病気や広嗣の乱などにおびえて都を奈良からあちこちに移し、移転先で大仏造立を命じる。国が混乱してるときに税金で遷都を繰り返し、あげく大仏を作るとか、現代人の感覚からするととんでもない失政だが、まあそれはいい。大仏は華厳の世界観を表すものとして作られ、華厳僧で東大寺を作った良弁なども造立にかかわり、開眼供養はインド僧ボーディセーナにより行われた。

その後、都が平安京に移ると華厳宗はじわじわ衰退。その後の仏教の中ではあんまり顧みられなかったが、何人かの僧により再興され、東大寺を中心に、現代まで研究されている。

華厳経の教え

「ケゴン」というタイトル

というわけで、中身をかいつまんでみていく。

まずタイトルから。華厳経。いかにもカッコいい名前だが、どういう意味なのか。

漢訳版の正確なタイトルは「大方広仏華厳経」。これは、前述の「入法界品」のサンスクリット版のタイトルである「マハー・ヴァイプルヤ・ブッダガンダヴューハ・スートラ」を漢訳したものらしい。原題の訳は、「偉大な仏のガンダヴューハの経」という感じらしい。

漢訳版は、この「ガンダヴューハ」を、「雑華厳飾」(いろんな花で飾り立てる)と訳して、縮めて「華厳」とした。後述する入法界品のストーリー等の内容面からみても、まあしっくりくるように思われる。

もっとも、「ガンダヴューハ」を「雑華厳飾」と訳すのは誤りの可能性が高いらしい。長くなるのでここでは触れないが、詳しい議論は各自文献を読んでくれ。

蓮華蔵世界

華厳教は、ブッダガヤでブッダと沢山の菩薩が集まる場面から始まり、第2章「盧舎那仏品」では、盧舎那仏仏国土である蓮華蔵世界が説明される(「仏国土」という概念については定方晟『須弥山と極楽』 - あかりの日記参照)。前述のとおり、盧舎那仏はこの世界の如来であるお釈迦様と同一人物なので、いきおい、蓮華蔵世界とは、この世界のことだ。この章では、世界の真の姿が説明されている、ということだ。

ちなみに、語り手は普賢菩薩だ。華厳経をとおして、盧舎那仏自身はほとんど喋らず、ただそこにいて、たまに光るだけだ。菩薩などが語り手を務めるのだが、明らかに普賢菩薩の出番が多い。このお経は普賢菩薩を特別視しているらしいことがわかる。

華厳経によると、この世界は蓮の花の形をしているらしい(ちなみに、宇宙は薔薇の形をしていると言っている奴もいたな。*5)。蓮の形をしているから蓮華蔵世界ということだ。

具体的にいうと、風輪と大地がミルフィーユ状に層になっていて(これが須弥山である。)、その一番上に海があり、そこにでかい蓮の花が浮かんでいる。俺たちは蓮の花の花托(真ん中の丸くなってるところ)にいるらしい。

なお、華厳経を発展させた梵網経によると、この蓮の花の上に盧舎那仏がいるらしい。これを模して作ったのが東大寺大仏というわけだ。

こんな感じだ。

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菩薩の教え

その後のパートでは場所を移しながら様々な教えが説かれる。教えの内容は、菩薩の行いとか心構えとかが多い*6

須弥山頂上に場面を移し、忉利天会の第12章「梵行品」では、10の菩薩の修行の実践が説かれる(この章に限らず、華厳経では10個列挙するということが頻繁に行われる。)。この章の最後に、東アジアにおいて特に好まれた一節がある。

初めて発心する時、便ち正覚を成ず(初発心時、便成正覚)。一切の法の真実の性を知り、慧身を具足するに、他に由りて悟らず。(p138)

悟りの心を発したまさにそのときに悟りに至る。華厳教は菩薩の業として「発心」を重視している。これは、「始めが肝心」的なニュアンスで解するべきものであろうが、著者によると、東アジアでは、ともすると、これらの文句をよりどころに修行の段階を軽視するような傾向もなくはなかったらしい。華厳経全体を通してみると、「菩薩の実践」みたいな教えが多い気がするんだけど、階梯を経るという要素はあんまり顧みられなかったのかね。

 

さて、華厳経の中でもよく参照されるのが、他化天宮会における第23章「十地品」だ。前述のとおりサンスクリット版が現存し、もとは独立の経典だったとされる。

ここでは、金剛蔵菩薩によって、菩薩の悟りに至る階梯の10段階が説かれる。①歓びの境地(歓喜地)、②汚れを離れた境地(離垢地)、③光を発する境地(明地)、④ほのおの境地(焔地)、⑤超えがたい境地(難勝地)、⑥智慧実現の境地(現前地)、⑦進んだ境地(遠行地)、⑧不動の境地(不動地)、⑨深い智慧の境地(善慧地)、⑩法の雲の境地(法雲地)である。名前を列挙した後、それぞれがどういう境地なのかの説明がある。

正直いうとよく理解できていないが、修行が進んでいくごとにステージが進んでいく、ということなのだろう。大きく2段階に分かれるらしく、①~⑥までの修行を経て、⑦以上の真の菩薩のステージに入るらしい。

このうち、⑥の教説の中に、大変有名なフレーズが出てくる。

3つの世界は仮に現れている空虚なものであって、ただ心が作り出しているにすぎない(三界虚妄、唯是心作)(p178)

これは縮めて「唯心」の思想とも言われ、十地品の教えのエッセンスであると解されてきた傾向があるようだ。この記述が世親の唯識思想のよりどころにもなったらしい*7

東アジア世界においては、「心」が何か実体的な、世界創造の本体のように考えられ、さらにその心の真偽とそれによって作りあげられる世界(三界)の虚妄性との関係がかまびすしく議論されるにいたりました。(p178)

だが、著者によれば、十地品や華厳経をこのような観点からのみ検討するのは誤っているらしい。

「三界虚妄、唯是心作」は、サンスクリット版の訳だと、「この3つの〔迷いの〕世界に属するのは、この心のみなるものである」(p181)というような意味であって、瞑想において直感的に捉えられる心と現実世界との一体性をストレートに述べているだけらしい。漢訳で「虚妄」とか「作」とかの訳語を当てちゃったがゆえに、心を実体と視るような解釈が進んだが、それは本来の仏教の教えとは外れていたようだ。

昔検討した、「初期仏教は基底(ダルミン)を否定したが、中国仏教はダルミンの存在を認めてるんじゃないか」という、あの辺の話ですかね。と思って昔の日記を読み返したら、立川武蔵『空の思想史』⑤ - あかりの日記の「華厳仏教」のところで、ほとんど同じ話題に触れていた。このトピックは学界では割と共通認識なんすかね。なんか有名な論考とかがあんのかな。知らんけど。

入法界品

その後も他化天での教えが続き、光の家の戻って説法が行われる。これも語り手は普賢菩薩である。

そして、最終章として、第34章「入法界品」に入る。この章は原典が現存し、もとは独立経典だったことはすでに述べた。

場所は祇園精舎。仏が多数の菩薩に囲まれている場面から始まる。仏は大悲の心から、「獅子奮迅三昧」という瞑想に入る。すると、講堂が突然広がり、美しく飾られ、全世界から無数の菩薩が集まる。

ところが、この場には舎利弗須菩提といった有名な比丘(大乗経典でいうところの「声聞」の代表格)もいたのだが、彼らは衆生を悟りに向かわせようとしなかったために、仏の自在の働きを見ることもきこともできず、思い描くことさえできなかったらしい。

うーん、この小乗に対する冷たさ。法華経とはだいぶアプローチが違っていることがわかるだろう。法華経もだいぶ偉そうではあるけど(笑)、声聞乗を正面から否定してはいねーからな。上に述べた「別教」というレッテルは、この辺りに由来していることがうかがえるな。

閑話休題、そして、諸菩薩が仏の讃歌を歌ったり、仏がそれに応えてピカっと光ったりした後、文殊菩薩が南方へと説法の旅に出る(展開に脈絡がないとか言ってはいけない。)。

文殊菩薩は、まず舎利弗ら声聞の比丘らを菩薩行に導いた後、南方に旅を続け、覚城という町で説法を行うが、そこに善財童子という人物が現れる。文殊菩薩は、童子の過去の優れた行いを見抜き、教えを授けようとする。童子が切実に教えを請うと、文殊菩薩童子に対し、善知識を訪ねて教えを請う旅に出ることを促す(さっきまで自分で教えを説こうとしてたのになんで?とか言ってはいけない。)。童子は涙ながらに別れを惜しみつつ旅に出る(ついさっき会ったばっかの人じゃん、とか言ってはいけない。)。

童子は都合53人(くらい。人数は諸説ある。)の善知識を訪ねることになる。善知識とは、直訳すると「よき友」という意味らしいが、ここでは師匠のことである。童子に教えを授ける善知識は菩薩や比丘に限らず、実にさまざまである。教えの内容も結構トリッキーである。この本で取り上げられた善知識について、少しだけ触れておこう。

童子が5番目に訪れたメーガ比丘は医者だが、カーストの最下層の者である。彼は童子の師でありながら、童子を礼拝したとされ、この描写は当時の差別意識と無関係ではないだろう。もっとも、もうちょっと抽象的に見れば、「悟りへの意思を起こした者は師にさえ敬われるだろう」という含意にとれなくもないようだ。

10番目の善知識の方便命バラモンは苦行の実践者で、童子に刀の山に登り、火の海に飛び込むことを勧める。童子は疑念を抱くが、天の声を受けてそれを振り払って苦行を行い、悟りに近づいたとされる。苦行の否定というのはお釈迦様以来の仏教のテーマでもあり、童子の疑問はもっともにも思われるが…まあ、師に従うことの重要性を説いたと言えなくもないようだ。

18番目の善知識、満足王は、自身の治める国の法を枉げた者に大変厳しい罰を与えていた。童子はやっぱり疑問を抱くが、天の声を受けてそれを払しょくし、菩薩の教えを請うに至る。まあ、これも、一瞬ひっかかるけど、罪に対応する報いであるならば、それは当然である(このことは現代の刑事法においても当然の原則だ。)。それと悟りがどう関係するのかはよくわからんが。

26番目の善知識のヴァミストラ―は遊女である。ちょっと脱線するけど、水商売系の人って宗教の説話に意外とよく出てくるよな。マグダラのマリアとか、仏伝のアンバパーリーとか。女性蔑視の社会であればあるほど、「この教えはこんな卑しい女すら包摂してんだぞ」という謳い文句の効き目が強かった、ってことですかね。あるいは…いや、なんでもない。

で、善財童子は、ヴァミストラ―から教えを受ける。

若し天、我を見ば、我、天女と為る。若し人、我を見ば、我、人女となる。(略)形体は殊妙にして光明あり、色像は殊勝にして無比なり。若し衆生の欲に纏わるる者有りて我が所に来詣せば、其れが為に説法して皆悉欲を離れしめ、無著境界三昧を得しめん。若し我を見ること有らば、歓喜三昧を得ん。(略)若し衆生有りて我を阿梨宜(アリギ)する者は、摂一切衆生三昧を得ん。若し衆生有りて我と阿衆鞞(アシュベイ)する者は、諸功徳密蔵三昧を得ん。(p254)

ということで、教えの内容はかなり官能的である。アリギとかアシュベイとかなんだよという感じだが、阿梨宜がハグのことで、阿衆鞞がキスのことである。うーん、やっぱこれさ…いや、なんでもない。まあ、愛欲をそのまま肯定しながら、悟りに至れれば、それに超したことはないよね。このあたり、後の密教につながったりするのだろうか。この後善財童子はヴァミストラ―から教えを授かる。すなわち、ヴァミストラ―とアリギしたりアシュベイしたりする。よかったね。

善財童子は、52番目の善知識である弥勒菩薩の教えを受け、様々な神力を体験する。そして、最後の善知識は、やはり華厳経の主役といってもよい普賢菩薩である。普賢菩薩の謳う讃歌によって、華厳経は幕を閉じる。

 

経典全体を通して、在家信者に寄り添いつつも、菩薩としての修行の階梯を踏むことの重要性を相当に説いているようにみえた。これとの関係での著者のコメントを挙げておく。

ところが、悔やまれることですが、東アジアにおいては、この点があまり真剣に受け止められず、「清らかな実践の章」に示される「初めてさとりへの心を発すときに、たちまち仏の悟りを完成する」といった本質論だけが歓迎されてきた傾きがあります。けれども、よく考えていただければわかるように、「発心から仏のさとりへ」という着実な修行の積み重ねと、「発心が仏のさとりである」という実践の本質は、一つの事実の裏と表です。(p260-261)

著者はどうも、東アジアにおける華厳経の受容の中で、①抽象的な上に本質から乖離した字句解釈が重視されたことと、②プロセス重視の姿勢が失われたことの2点を問題視しているようである。①については、東アジアにおける「教義」の変容として、②については、東アジア(殊に日本)における「実践」の変容として、それぞれ広がりをもつテーマであると思われる。色々読みながら少しずつ検討していくことにしよう。

なお、最後に一点、こんなところに書いても仕方ないのだが、262頁の注1に「同数」、「別数」とあるが、「同教」、「別教」の誤植ではないかと思われる。誰か、出版社に連絡しといてくれや。

 

 

*1:アーガマの原典はパーリ語だけど、大乗経典はサンスクリットが多いんだよな。

*2:厳密には、このお経のブッダ盧舎那仏)はほぼ喋らないので、説法というよりは菩薩や修行者のゼミみたいなイメージかな。

*3:この話題に触れるときいつも思うのだが、法華経もそれを研究する学問も、一方では法華経の「他の教えやその信者の包摂」という側面を強調しつつ、他方において、法華経の他の教えに対する優位性・絶対性をめっちゃ前面に押し出しているよな。これと比べて華厳宗のアプローチがどうなのか、という点はまた考えてみたい。

*4:もっとも、おれがネットサーフィンをしていて得た適当な感想だが、この「大陸=華厳、日本=法華」と対比する見方は、往々にして、日本がほかのアジアとは違う、という前提に立ったうえで、その原因を法華経に求めるような議論に援用されがちなような気がする。それもあって、あんまり単純に図式化するのもどうなのかなという気もする。

*5:帰宅 - あかりの日記

*6:法華経に比べると、「教え」的な内容を多く含んでいるような印象を受ける。法華経は、讃仏パートは多いけど、「こういうことやんなさい」という内容があんまなかった気がする。うろ覚えだが。

*7:このように、華厳はどちらかというと唯識と関係が深かったようにみえる。このことと、中国の天台に至って法華経が中観思想と結び付けられたことが対比されることもあるようだ。中観=法華に対して、唯識=華厳。そんなに単純な話でもないと思うが、まあどっかで出てくるかもしれないので、少し頭においておくとするか。