あかりの日記

おっ あっ 生きてえなあ

山本勉『日本仏像史講義』①

 

関西の国宝展を見に行くので予習。

①は奈良時代まで。3パートくらいになりそうだ。

 

必要に応じてこちらの本も参照のこと。

 

飛鳥時代(前期)

仏教伝来から7世紀半ば、天智天皇の前くらいまで。

日本に仏教が伝来したのは538年*1とされている。時の欽明天皇は、百済王から贈られた仏像を見て、「仏像の顔きらぎらし」と述べた。仏像は伝来当初から美的鑑賞の対象だったのだ。

飛鳥時代の仏像の製法は、ブロンズ(金銅仏)か木彫りである。現存するもっとも古い金銅仏とされるのは、蘇我馬子の建てた飛鳥寺*2の釈迦如来坐像、通称飛鳥大仏である。作者は鞍作鳥、後述する止利仏師と同一人物とされるが、鎌倉時代に焼損し、補修甚大である。

聖徳太子斑鳩に建立した法隆寺は、670年に焼失して再建されたとされるが、中の仏像は7世紀前半のものもある。止利仏師作の金堂釈迦三尊像は、日本仏像史のへき頭を飾るブロンズ像だ。太子の病気平癒を祈って製作され、没後に完成した。面長の顔、杏仁形の目、アルカイックスマイルなどの顔貌や衣紋などの特徴は当時の仏像のスタンダードであり、止利仏師式ともいわれる。

同時代制作の木造仏として、止利仏師式の特徴をもつ法隆寺夢殿の救世観音のほか、金堂の四天王像などがある。また、同じく法隆寺百済観音は、止利仏師式とは様式が異なるが、この時代の制作という説が有力らしい(百済観音は色々と謎が多いようだ。)。この時代の木像の素材はクスノキである。建物にヒノキが使われていたことからすると、何らかの意味がありそうだが、そこは諸説あるらしい。

京都太秦広隆寺弥勒菩薩半跏像は、推古朝の頃に朝鮮から伝来したとされる。

 

白鳳時代飛鳥時代後期)

美術史では、天智天皇辺りから平城遷都までの飛鳥時代後半を、初唐の美術の影響を受けた時代として白鳳時代と呼ぶ。朝廷による律令制の整備とともに、寺院の建設や仏像の造立も進められた。

金銅仏と木造仏

この時代の代表的な金銅仏が興福寺仏頭である。飛鳥山田寺の本尊であったが、鎌倉期の興福寺復興(後述)の際に強奪され、現在は頭だけ残っている。悪夢に効用があるとされる法隆寺夢違観音や、昭和期に盗まれて右手しか現存しない新薬師寺香薬師等もこの時代の作とされる。現代まで残ってる仏像って貴重なんだね。

中宮寺弥勒菩薩半跏像はこの時代の木彫像の代表例である。伝統に従いクスノキを使いつつ、服装や面貌に止利式より進んだ造形がみられる。

新技法

この時代には、新たな技法として塑像や乾漆像が現れた。塑像とはつまり粘土像であり、技法としてはシンプルだが、日本にも初唐期の流行の影響が及んだ。壬申の乱の功臣・當麻真人国見建立の當麻寺金堂の弥勒仏坐像が代表的である。

乾漆造とは、粘土で原型を造り、その上に麻布を漆で貼り重ねて乾かし、中の粘土を書き出して、最後に表面に木屎漆を塗って整形する技法であり、脱活乾漆造ともいう。

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これとか見ると分かりやすいが、超めんどくさそうである。その上、漆という当時の高級品をふんだんに使うこともあり、時代が下るとあまり作られなくなる(現存する作例も少ない。)。当時の官寺たる百済大寺の本尊釈迦如来像が本邦最古の作例らしいが、残念ながら現存しない。現存する最古の乾漆仏は、當麻寺四天王立像(のうちの持国天)である。

 

奈良時代

平城京の時代、仏教は律令国家の要であり、仏像も南都七大寺(大安寺、薬師寺元興寺興福寺東大寺西大寺法隆寺唐招提寺)を中心に発展した。また、この時代には遣唐使が頻繁に派遣され、盛唐文化がダイレクトに輸入された。代表的な元号をとって天平時代ともいう。

法隆寺

五重塔塔本塑像が有名である。仏伝や維摩経などのエピソードを塑像群で表現している。隋唐期の中国に多い作例らしいが、本場には現存するものはあまりないらしく、法隆寺の塑像は東アジア美術の観点からも重要なようだ。

薬師寺

天武天皇が建てた薬師寺(現在の本薬師寺)が奈良に移転した。

金堂にある本尊の薬師三尊像は東アジア古代彫刻の最高峰とのこと。史料等から白鳳時代制作説も有力らしいが、技法としてはかなり進んだもののようで、未決着らしい。台座にはインドやペルシャの神々も描かれ、国際色豊かである。

東院堂の聖観音も、技法、作風ともに薬師三尊像に匹敵するレベルである。

ともに金銅仏。

興福寺

興福寺は、大化の改新以来の重臣藤原氏の氏寺であり、強大な勢力を誇った。中世には武装して大名みたいになる。 古代・中世を通じて重要な仏教美術展開の場となった。

創建時に造られた脱活乾漆仏のうち、現存するのが、八部衆立像十大弟子立像である。八部衆は、有名な阿修羅像をはじめとして全て現存する。十大弟子で現存するのは6体。唐風の造形の中に日本的な親しみやすさがミックスされているらしい。

東大寺の乾漆像・塑像

聖武天皇国分寺建立の詔で設立された東大寺。初代別当の良弁が、その前身の寺に安置したのが、法華堂の不空羂索観音(乾漆像)と執金剛神像(塑像)である。

不空羂索観音像は、いわゆる雑密*3に属する尊格である。ポーズや衣が複雑だが、よくまとまっており、写実的である。

その周りを、梵天帝釈天、四天王、金剛力士の合計8体の脱活乾漆像が護衛している。そして、不空羂索観音の後ろの厨子内にいるのが、塑像の執金剛神像である。

これらの現在法華堂内にいる10体は全て国宝である。

また、かつて法華堂にいた、伝日光・月光菩薩(現在は東大寺ミュージアム)及び四天王立像(現在は戒壇院)(いずれも塑像)も、すべて国宝である。なんてこった。

当初は不空羂索観音と塑像群がおり、乾漆像群は少し後に作られたらしい。像群の典拠は金光明最勝王経にあるという。

東大寺の大仏

聖武天皇の詔によって造立された金銅仏こそ東大寺大仏である。華厳経・梵網経の盧舎那仏と蓮華蔵世界(木村清孝『華厳経入門』 - あかりの日記参照)をモチーフに造られた。2回の兵火で焼失し、そのたび作り直しているので、本体は当時の面影をほぼ残していないようだが、台座は造立当時のままである。蓮弁には蓮華蔵世界図が描かれている。

唐招提寺西大寺

戒律復興のために中国から請来した鑑真によって建てられた唐招提寺

本尊の盧舎那仏坐像は脱活乾漆造で、鑑真在世中の制作。堂々とした体躯や厳しい表情は東大寺の諸像とは異なる作風である。鑑真和上坐像も乾漆仏。8世紀後半の作で、日本の肖像彫刻の始まりとなる作品である。

西大寺孝謙天皇仲麻呂の乱の鎮圧を祈願して建立し、金銅四天王像を安置したようだが、残念なことに現存しない。

奈良時代の木彫像

奈良時代前半にはあんまり作られなかった木彫像だが、鑑真が来た辺りからまた作られ始めた。そのため、この時代の木彫像は唐招提寺に多い。木彫の進歩に従って、ほかの製法にも、木心塑像や木心乾漆像といった発展がみられた。

唐招提寺の木造梵天帝釈天・四天王立像等は国宝。その他に、木造薬師如来立像を含む数体が、令和元年に国宝に指定されているのだが、上記の『カラー版 日本仏像史』では「重文」と表記されている。

この本は平成13年の出版であり、改定して情報をアップデートしてほしいようにも思える。もっとも、どうも国宝というのは毎年何かしら指定されているようであるから、常に最新の情報を反映する、というのはなかなか難しいのかもしれないな。

 

*1:ないし552年

*2:日本最古の伽藍があったとされる。

*3:密教の話はいつかちゃんとしたいと思っている。