まず俺は学生の頃に日本史をやってなかったので、奈良時代前後の日本史を軽くさらって、人物関係を確認しよう。
7世紀後半、大化の改新の後に即位した天智天皇が崩御すると、その子大友皇子と、弟大海人皇子との間で、皇位継承争い(壬申の乱)が起こり、大海人皇子が勝利して、天武天皇として即位し、奈良時代には天武系の天皇が即位するようになる。本作に出てくる大津皇子は天武天皇の子である。
710年に平城京への遷都が行われる。聖武天皇の時代、藤原不比等、その子4兄弟(藤原四家)が力を握る。本作の南家郎女は藤原南家の娘である。
4兄弟が疫病で相次いで亡くなると、藤原氏に対抗する橘諸兄が実権を握り、玄昉、吉備真備を重用し、藤原氏の反乱を鎮圧する。この辺りで聖武帝が鎮護国家のために奈良の大仏を造り始め、娘の孝謙天皇の時代に完成する。
孝謙天皇の時代、光明皇太后と結んだ藤原仲麻呂が勢力を伸ばし、藤原家が復活した。彼は、諸兄の子である奈良麻呂を滅ぼし、新天皇を即位させ、恵美押勝の名を賜る。本作で出てくる大伴家持は押勝に対抗する反藤原勢力の一人で、後に押勝に対して謀反を画策して失敗し、左遷される。
もっとも、光明皇太后の死後に孝謙太上天皇が道鏡を重用し始め、押勝・天皇と対立し、押勝を滅ぼす(恵美押勝の乱)。孝謙太上天皇が称徳天皇として再び即位する。
我が世の春を謳歌する道鏡。称徳天皇は宇佐八幡で「道鏡に皇位を譲れ」という神託を受けるが、和気清麻呂により失敗し、道鏡は失脚する。その後、勢力を取り戻した藤原氏によって天智系の光仁天皇が即位し、ついでその子桓武天皇が即位した。こうして、皇統は天武系から天智系に移り、都も平安京に移転して、奈良時代は終わった。
やや脱線すると、作中でも言及されているが、玄昉や道鏡はいずれも法相宗で、渡来系の義淵の弟子である。奈良時代前後の勢力図は、ざっくり言うと、藤原氏vsそれ以外の豪族+お坊さん、であって、それぞれ天皇を神輿にして権力争いをした、ということだろう。そして、このドロドロの争いを嫌った桓武帝は、都を移し、藤原氏も、法相宗を中心とする旧来の仏教勢力も遠ざけ、新しい仏教として最澄を重用していくこととなる。
この物語は時代としては、恵美押勝の爛熟期である、760年前後ということになるだろうか。
さて、奈良は當麻寺に、當麻曼荼羅という曼荼羅がある。現在は損傷が激しく公開されていないらしいが、蓮糸で織られた曼荼羅で、中将姫という女性が織ったという伝説が残っている。本作は、その伝説に、大津皇子の復活を添えて描かれた。
物語は大津皇子が復活するところから始まる。
彼の人の眠りは、徐かに覚めて行つた。まつ黒い夜の中に、更に冷え圧するものの澱んでゐるなかに、目のあいて来るのを、覚えたのである。(p9)
南家郎女は、当時の貴族の娘として、家に閉じ込められて暮らしていたが、学問に造詣が深く、仏に憧れ、称讃浄土仏摂受経の千部写経を開始する。
天竺のみ仏は、をなごは、助からぬものぢや、と説かれ説かれして来たがえ、其果てに、女でも救ふ道が開かれた。其を説いたのが、法華経ぢやと言ふげな。(p94)
つひに一度、ものを考へた事もないのが、此国のあて人の娘であった。磨かれぬ智慧を抱いたまま、何も知らず思はずに、過ぎて行つた幾百年、幾万の貴い女性の間に、蓮の花がぽつちりと、莟を擡げたやうに、物を考へることを知り初めた郎女であつた。(p95)
千部目を写し終えたとき、郎女は突然、謎の焦燥にかられ、屋敷を飛び出して、土砂降りの中、當麻寺にかけていく。
脱走を咎められた彼女は寺に留まることとされるが、そこに例の皇子の亡霊が現れる。つと つと つと。
青馬の 耳面刀自。
刀自もがも。女弟もがも。
その子の はらからの子の
処女子の 一人
一人だに わが配偶来よ(p106)
郎女はこれを阿弥陀仏であると思い込む。
帷帳を摑んだ片手の白く光る指。
郎女は、現れた仏の姿が、薄着で寒そうだ、と思うんだよな。それで、蓮糸で衣を縫うことを思い立つ。
完成した蓮の布に、郎女が一尊の仏を描くと、郎女は、光のかすみに包まれて、どこかに消えた。その後、絵の中に数千の、地涌の菩薩が湧き出てきたのであった。おしまい。
なも、阿弥陀ほとけ。あなたふと、阿弥陀ほとけ。阿弥陀への篤い信仰から、最後は浄土に召された郎女は、大拙がいうところの「妙好人」だろうか。著者のあとがきによれば、この物語は、當麻曼荼羅というより、ある山越の阿弥陀像の絵に着想を得たものらしい。古代人の、良い意味で、ボンヤリした思惟。民俗学者である著者は、仏教以前から我が国に存在するその思惟に光を当てようとしたのだろう。
