マルクスはシェイクスピアを暗誦していたというから、ひょっとすると「ホレーショよ」なんてやるかもしれない。(略)いや「ホレーショよ」じゃなくて「エンゲルスよ」かな、それとも「ジェンニィよ」かな(『さよなら怪傑黒頭巾』p16)
昔の人は教養を大切にしていたらしいが、現代はそうでもない。例えば毛主席語録を覚えたって、金にならないし、同志の女の子にもてたりしない。だけど、「馬鹿馬鹿しさの真っ只中で犬死しない」ためには、そういうのも多少は必要かな。俺はそう思うんだ。
【あらすじ】
デンマークの王子ハムレットは、王であった父が死に、叔父クローディアスが即位したこと、そして何より、母親ガートルードがクローディアスに寝取られたことに病んでいる。
母の再婚の式典の夜、ハムレットは友達のホレイショーらと共に、城外で、亡き父の幽霊に遭遇する。
ホレイショー、この天地の間には、人間の学問などの夢にも思いおよばぬことが、いくらでもあるのだ。(p77)
ハムレットは、幽霊から、「自分はクローディアスに毒を盛られて謀殺された。仇を討ってくれ」と頼まれ、敵討ちを決意する。
世の中の関節は外れてしまった。ああ、なんと呪われた因果か、それを直すために生れついたとは!(p79)
敵討ちの機会を窺うため、ハムレットは発狂したふりをする。彼は、恋人オフィーリアにフラれたことで狂ったように装う(もっとも、どこまでが演技で、どこからが本音なのかは観客側にはイマイチよくわからない。)。彼はオフィーリアに色々酷いことを言って突き放す。ほんとひで。
生きるか、死ぬか、それが問題だ。(p142)
尼寺へゆけ。罪人を生み増やす必要がどこにある?(p147)
ハムレットは、ロンドンから来た劇団に、幽霊が語った顛末に似た劇をやらせて、それに対するクローディアスの反応から、クローディアスが父を殺したのだという確信を得る。
終幕後、ハムレットは宮殿に行き、神に対して一人罪を懺悔するクローディアスを目撃する。今なら殺れる。…だがハムレットは何やらごちゃごちゃ言い訳をして、実行に移さない。なんで?
ハムレットは、そのまま、母ガートルードの部屋に行き、母を、父を裏切った売女だと面罵しまくる。彼は、衝立の後ろで誰かが聞き耳を立てているのに気づき、クローディアスだと思って剣を突き立てると、それは大臣ポローニアス(オフィーリアの父)だった。この件を皮切りに、ドミノ倒しのように人が死に始める。
父の死を知ったオフィーリアは発狂し、そのまま川に飛び込んで溺死する。オフィーリアの兄レアティーズは復讐に燃え、身の危険を感じたクローディアスと協力して、ハムレットを殺すことにする。クローディアスは、ハムレットをイギリスに行かせ、そこで殺そうとするが、失敗する。そこで、一計を案じる。
具体的な作戦としては、①レアティーズがハムレットに決闘を挑む。剣先に毒を盛る。②次善策として、ハムレットの飲み物のワインに毒を盛る。
友ホレイショーと共に帰国したハムレットは、オフィーリアの死を知るとともに、決闘の誘いを受ける。彼はもはやクローディアスらの意図を知っているが、なお決闘に赴く。
来るべきものは、いま来れば、あとには来ないーあとで来ないなら、今来るー今来なければ、いつか来るー覚悟がすべてだ。(p306)
ハムレットとレアティーズの決闘が始まる。激しい戦いの中で、お互いの剣が入れ替わり、双方が毒を受ける。ガートルードは毒入りのワインをそれと知らずに飲む。ハムレットは、それをクローディアスにも飲ませる。そうして、みんな死んでしまった。遺されたホレイショーは顛末を語る。おしまい。
【感想】
ハムレットの母親への感情。これはフロイト以降は、エディプスコンプレックスであると解釈されているようだ。俺はそもそもこの精神分析的な議論それ自体に若干懐疑的だが、特にこの話については、その文脈で見るのはどうなのか?という気もする。
訳者の解説によれば、ハムレットがクローディアスをなかなか殺さなかったのは、クローディアス殺しの先には母との近親相姦という禁忌があったから、だそうだ。
ハムレットの場合、”父親殺し”はすでにクローディアスによって果たされている。(略)ハムレットはつとにもう一人の”クローディアス”であったわけだ。そして、この「叔父なる父」を殺し復讐を遂げれば、彼はいやでも母との近親相姦という問題に直面せざるを得ない。が、それは絶対の禁忌だ。(略)彼の復讐が遅延せざるを得ない所以がそこにある。(p394)
うーん、そうなのかな?ハムレットがクローディアス殺しを躊躇った理由は、はっきり書いていないので、想像するしかない。これはこれで個人の感想としてはいいと思う。だけど、俺個人としては、ちょっとフロイトに引っ張られすぎじゃないか?と思う。フロイトの話は、なんていうか、真面目なとりすました顔をして刺激的な話ができるから、みんな好んで引用したがる(茶化しているようだが、俺は割と本気で、フロイトがよく引用される理由はこれなんじゃないかと思う)けど、いうほど人間心理によく当てはまっているか?書いていないことは書いていないのでわからない。それでよくね?それを想像で補う必要があるのか。そういうのに消極的なのは、俺がどちらかというと文学じゃなくて法律畑の人間だからなのかね。
ハムレットは、方便としての狂気を免罪符にして、とにかく周り(特に彼女と母ちゃん)に当たり散らす*1。それでいて、その独白や長広舌の中には何かすごく含蓄がありそうなメッセージが含まれている。彼が何を考えていたのか、とか、彼の発言にはどんな意味があるのか、とかに、広い解釈の余地があるし、解釈したくなる。ハムレットだけでなく、他の登場人物もみんなそうだ。それで、みんなやたら二次創作したがるわけだ。
つまりシェイクスピアのすごさというのは、『ハムレット』を見ると、どうしても「おふえりあ遺文」とか「ポローニアスの日記」を初め、ホレーショからレアーチーズから墓掘り人足に至るまでみんな手記でも書いてみたくなるところにあるのだから。(『赤ずきんちゃん気をつけて』p119)
うんうん。薫くんの言うとおりだ。やっぱ薫くんは凄いなあ。