だるまという男がいた。
https://archive.md/2016.09.29-165755/http://daruma0724.web.fc2.com/
彼は嫌儲のコテハンだったが、自分の人生をネットに遺して死んだ。それはすぐに消えたが、有志により、魚拓が残された。ケンモメンの心に、刺さるものがあったのだろう。
俺はこの頃から嫌儲を見ていたはずだが、彼の自殺配信をリアルタイムで見たわけではない。チンネキ、ヘアプア、タケヨシキ、全角岩手、変なコテハンが色々いたが、この人は見覚えがない。だけど、今日が命日、とかいうスレが毎日のように立っていたので、いつしか知ったのだ。
そのころの俺は、おおよそ高校生(※巨乳卓球少女のポーズ)だったのだ。俺はその頃からもてなかったし、休み時間は、嫌儲とか麻原彰晃掲示板(アサケー)をひたすら眺めていた。暗い高校生活だった。その先もずっと暗い。
まあいいじゃんそういうの。意味のない回想だよ。
閑話休題、彼の記録を、俺は、なぜか、何度も何度も読んだ。彼の記録は、少年期が非常に詳細であり、小学校高学年くらいからどんどん雑になっていく。俺は自分のガキの頃のことをあのように鮮明には覚えていない。覚えているってことは、思い出が更新されていないってことだ。彼の人生は少年期で止まっているのだ。そのことが文章から分かるので、たまらなく切ないのだ。
一応断っておくが、俺は別に彼に共感しているわけではない。俺の両親は愛情をもって丁寧に育ててくれたし、自分は(中身はともかく)外面だけ見れば独り立ちしていると思ってるし、親にも社会にも特に不満はない。
だけど俺は、彼のような奴らが、今この瞬間も、この世の中のどこかでうめき声をあげているってことを、ときどき思い出す。なぜか、思い出さなきゃいけないんじゃないかって思う。
なぜだろう?しんさん、どうして?
多分それは、俺だって、あの平屋に生まれれば、彼とそう変わらない人生を送っていたに違いない、と思うからだ。俺のように弱っちくて生きていく力に乏しい人間が、それなりにディセントな生活を送れているとしたら、それはもう生まれたときからずっと、数えきれない幸運に助けられてきたってだけなのだ。各種ガチャのアタリを引き続けて、ほっそい綱を渡り続けて、たまたま今、なんとかなっているだけなのだ。明日には全てが崩壊するかもしれない。これはちょっと、3秒くらい考えればわかることだ。
俺は、そのことを忘れてはならない。最近は命日スレもめっきり見なくなった。それでも、俺は、ふとした時に、彼を思い出す。
俺は生きねばならない。こんな人生に、負けるわけにはいかない。毎日がどんなに虚無でも、駆けて駆け、駆け抜けねばならない。そして、もしできるのならば、彼のような人々を、救わなきゃいけない。できない理由を、考えるのではなく。