唯識の話をする。
去年は興福寺の世親・無著も観たし、西安の大雁塔にも行ったので、そろそろやっておかないといけない気がした。
例によって何回かに分けて検討することになると思われる。
この本のこと
中身に入る前に、本書自体について少し話す。本書は3章立てであり、1章が(唯識の専門家とおぼしき)服部教授、3章が(この分野の素人とおぼしき)上山教授の記述、2章が両者の対談、という構成になっている。
それで、これはごく個人的な感想なのだが、おれ的には、1章はエッセンスがまとまっていて、2章は少し肩の力を抜きつつも新情報があり、ともに非常によかったのだが、恐縮だが、3章がちょっと微妙だった。修行論がメインになっていて、唯識という世界観において特に説明すべきポイントがどこなのか、あんまりわかってないような気がした(最後の方は原稿が余ったのかヘーゲルとカントの話になってるし。)。アビダルマ→中観→唯識の関係が弁証法で捉えられるんじゃないか、というのは、おれもそう思うが、そういう話の前にまず唯識それ自体をもっと掘り下げてほしかった。
まあでもこれは上山教授が悪いのではないと思う。2章の対談の質問は「そうそうそれを聞いてほしかった!」って感じで的確にみえたし、人文学の素養はたいへん深そうだ。ただ唯識についてよく知らんかっただけなのだろう。彼自身、前書きで「唯識の峻険な山の麓をうろつくことに終始した」と言っているし、そうなった原因は
他の巻では、専門家による第一部の叙述が終わった上で、第三部を書きはじめる、といった段取りになっていたのだが、この巻のばあい、大学紛争の渦中で筆を進めなければならなかったために、すこし段取りにくるいが生じて、第一部の執筆過程で第三部にとりからねばならなかった(p16)
からだと言っている(本書の発売は昭和45年。)。つまりゲバボ持って暴れてた全共闘の連中が悪いわけだ。参った参った。
こんなしょうもない話が長くなってしまっているが、以上の次第なので、以下は主に1章の内容を中心にまとめさせてもらう。
具体的には、本書の中でおれが特にキーワードだと思った、①外界非実在論、②識の変化(パリナーマ)、③三種の存在形態、あたりを取っ掛かりにして、唯識の基本構造を理解する、という方針で書いていきたい。
(なお、一応言っておくと、おれは本書を読む前に佐々木閑教授のユーチューブで予習しており、いきおい以下の話はこのユーチューブに寄っていく可能性が高い。本の感想ブログでいうのもあれだが、唯識を理解したいならこの本を読むよりまずこのユーチューブ観る方がよほどわかりやすい(笑)。もちろんかなり簡素化された説明だと思われるが。)
佐々木閑 仏教講義 11「唯識 その1」(「仏教哲学の世界観」第14シリーズ)
唯識思想の系譜
しかしここで、またすぐ①に入らず、まず唯識の思想史を概観しよう。中身を知ってても、有名な本とそれを書いた坊主の名前を覚えてないとイキれないからな(これは結構文系の学問全般に言えることだと思う。おれはあまり暗記は嫌いではない。)。
(毎回同じ話から始めているが、)仏教は約2600年前にお釈迦さまが始め、死後に教えが阿含経として編纂された。当初素朴だった教えは、有部等の部派によるアビダルマの整備により抽象的で煩瑣な哲学体系となる。
アートマンの否定から出発したお釈迦さまの思想に対し、アビダルマは実在論的な性格が強く(アビダルマにも言い分はあるわけだが)、このことへの批判から生まれたのが空思想だ。1世紀ころ、般若系の大乗経典や竜樹の「中論」などから始まった。以降、空思想を研究した坊主の集団を中観派と呼ぶ。空思想については前に何度か取り上げている。「歩く人は歩かない」ってやつね。
その後で唯識が出てくる。現在華厳経の一部となっている「十地経」なども唯識に近い思想を説くとされるが、3世紀ころの最初期の経典として「解深密経」がある。そして、マイトレーヤ(弥勒)という人物が、解深密教の解説書である「瑜伽師地論」などの諸作をしたためてアーラヤ識などを説き、これが唯識説の始まりとされている。
マイトレーヤってあのじょうゆ弥勒菩薩ですか、という感じだが、そうだという伝説もある。兜率天から降りてきた弥勒がアサンガに教えを授けたうんぬん。他方、マイトレーヤは実在しないとか、1人の人物ではないとか、いろんな説がある。とまれ、この「伝マイトレーヤ」の論書群は、思想はいまだ素朴だが、ひとつ極めて重要なエッセンスをもっているようだ。このことはだいぶ後の方で述べる。
で、このマイトレーヤから教えを授かったアサンガ(無著)が、唯識思想を体系化した「摂大乗論」を記述する。さらに彼は、有部で出家した弟のヴァスバンドゥ(世親)に唯識を叩き込んだ。ヴァスバンドゥは倶舎論を書いたことでも有名だが、彼については、5世紀に中国に渡ったパラマールタ(真諦)という僧の伝記があり、いずれ掘り下げる機会があるだろう。
唯識分野では、ヴァスバンドゥは、「二十論」や「三十頌」などを記述し、識のパリナーマ(これから取り上げる。)などの概念を生んだ。この2人の天才をもって、唯識思想の体系は一応の確立をみたとされる。

その後は唯識が中観と並ぶ大乗の哲学科目として研究される時代が来るが、①西インドのヴァラビーでのスティラマティの系統と、②ナーランダー僧院におけるディグナーガの系統の2つに分かれるらしい。この2系統の違いは、かなり唯識の核心に迫るトピックに思われるため、中身をひととおり検討したあとに戻って考察しよう。
さて、7世紀、はるばる唐からシルクロードを渡って玄奘がやってきて、唯識系の経典や論書をたくさん中国に持ち帰った。ナーランダーで学んだ彼が重視したのは、②の系統のダルマパーラの「成唯識論」という本だった。玄奘はこの成唯識論を中心に研究する学派として法相宗を立ち上げた。ようは中国・日本で伝統的に研究された唯識は主として②系統なのである。このことは後でもう一度触れることにする。

その後、遣唐使によって法相宗が日本にもたらされた。法相宗は南都六宗の最大勢力となり、本拠地の興福寺は藤原氏の支援を受け、日本史を通して強力な自社勢力の一つであった。天皇になろうとしたり、金にものを言わせて運慶らに仏像を造らせまくったり、寺全体で武装して強訴したり、もうやりたい放題だ。煩悩の権化、有漏の種子まみれといった感じである。日本の唯識はこんなだぞとヴァスバンドゥや三蔵法師に聞かせたら、さぞやびっくりするであろう。

中身に全く入れなかったが、長くなってきたのでとりあえず今日はここまでにする。次回はまず①外界非実在論を消化したい。
