7日目 西安市内観光
青龍寺

空海が入唐し、恵果阿闍梨に学んだ青龍寺。おれは四国88か所を歩いたことがある。ここはゼロ番札所だ。ぜひ一度は来てみたかった。

入場は無料であり、地元の人が体操などをするのどかな公園であった。


恵果は空海に両部の伝法灌頂を行い、日本での伝道に努めよやと遺言を残し、直後に亡くなる。
四国とかかわりが深く、四国からの支援で建てられたものがいくつかある。



全国のお遍路経験者は一度は来なければいけない場所だ。
大慈恩寺・大雁塔
天竺から帰った玄奘が、訳経事業のために高宗から賜った大慈恩寺。これらの経典の保存のために建てられたのが大雁塔だ。ともに西安のシンボルである。



1人60元払って大雁塔に登ってみるが、正直あまり見どころはなかった。

大雁塔の奥には、玄奘をまつる施設がいくつかある。



西安博物院
西安博物院へ移動。タクシーの中で、運転手のお兄さんがなんかくれた。

噛んでみると甘くてスース―するが、なんだか顔が熱くなってくる。後で調べるとビンロウというもので、日本では発がん性があるとして流通していないものらしい。ヒエッ

西安博物院は展示室がそれほど広くなく、1時間ほどで観られる(展示替えをしているのか?)。1階は仏像、2階は玉石であった。
仏像については、素晴らしい収穫があったが、旅行記の中に入れ込むとやや横道にそれるので、稿を改めてじっくり検討したい。ごく一部の写真だけ載せておく。




玉製品については、漢代の多くの出土品が残り、どれも精巧だ。我が国ではまだ弥生時代だったのに。

博物院の敷地内には、海路で天竺入りした義浄が訳経を行った薦福寺や、経典を安置した小雁塔がある。


宝慶寺塔
奈良博で宝慶寺石仏を観てから、宝慶寺塔に行きたかった。
西安城壁の南門の内側、書院門の近くに建つこの塔は、建物は明の時代のものだが、はめ込まれた仏像は武則天や玄宗の時代のものが残る。
と、聞いていたが、このように木々に覆われ、その上部の仏像もよく見えなかった。まあここに行ったという事実が重要か。



西安碑林博物館
そこから書院門を通り、少し東に進むと、西安碑林博物館がある。
8世紀初頭、睿宗の真筆を残す景雲鐘。

5世紀前半、五胡十六国の1つ、赫連勃勃の大夏の時代の石像。この時代の遺品は非常に貴重らしい。赫連勃勃は匈奴族。遊牧民らしく、立派な馬の像だ。
さて、碑林とはなにか。中国では後漢の頃に紙が発明されていたが(蔡倫ね)、紙は焼失の危険があり、重要文書は石碑で残す文化が続いていた。11世紀の宋代に、唐時代の石碑を残すためにこの地区に石碑を集積し始め(開成石経)、そのときから、ここが石碑を集約する碑林となっていったのである。
碑林の入口には、玄宗時代の「孝経」をはじめとする開成石経が並び、そこから石碑がズラッと並ぶ。






帰国してから気付いたが、有名な「大秦景教流行中国碑」を見落としてしまった!展示されてなかったのだろうか?いやそんなことはないか。これは悔しい。
それから、石の彫刻芸術の博物館もある。




碑林博物館にも、大量の石仏が安置されていた!こちらについても、真に素晴らしい発見がいくつもあったが、稿を改めてじっくり検討したいので、一部写真を載せるだけにしておく。




城壁・永寧門
そこから、南門(永寧門)近くの城壁に登る。


自転車で回ることもできるが、そこまでの元気はなかったので、南の永寧門から西の安定門まで歩く。
城壁ランナーがいた。入場は60元なので決して安くはないが、地上は運転が荒い車が多くて危険なので、散歩やランニングを楽しもうと思ったら城壁の上しかないのか。
永興坊
西門で下りて、反対側の東門にぐるりと回り、屋台街・永興坊に行き、屋台で食べ歩き。




その後、鐘楼付近に行き、回民街(イスラム街)でお土産を購入。

お土産屋のおばちゃんに、「3000元の商品券が当たった」と言われ、3000元以上する高い宝石を買わされそうになった。一瞬本気で喜んだのがかなり恥ずかしい。
中国は歴史と文化の国だが、急速に発展中でもある。きっと5年後、10年後に西安に行ったら、今とはかなり違う景色になっているのだろう。
それと同時に、こっちが外国人だと分かっていてもガンガン中国語で話しかけてくるあの感じや、西側的なもの(スマホアプリやお店など)の少なさなど、グローバル化(という名のアメリカ化)に媚びずに独自の文明圏を築こうとする気概が感じられた。
中国のスケールの大きさを垣間見ることができる旅行であり、なかなか良い体験だった。でも、言葉が分かったらもっと楽しいかなー。
以上