あかりの日記

おっ あっ 生きてえなあ

夏の古仏巡礼④法隆寺⑵

 

西院伽藍を見終わったので、聖霊院→大宝蔵院→夢殿→中宮寺とだんだん東進していこう。ついでに、500キロ東の東博法隆寺館の話もしておこう。

例によって仏像の画像はここhttps://www.horyuji.or.jp/garan/を参照。

聖霊

平安後期、聖徳太子の霊廟として建てられた聖霊院(国宝)には、同時期の聖徳太子や侍者像(いずれも国宝)が置かれる。公開期間でなく見られず。ふだん非公開であるがゆえ、いずれも状態よく残っているそうだ。

大宝蔵院

(エリア内撮影禁止)

平成10年開館の大宝蔵院は文字通り多くの寺宝が安置される。一部有名な奴だけ紹介する。

最初の部屋に入るといきなり現れるのが、有名な夢違観音(国宝)である。7世紀の作で、つるっとした若々しい面容や微笑は白鳳仏の典型作とされる。この像に祈ると悪夢が善夢に変わるとの伝説から、この名前がついたようだ。悪夢を見がちな女が、これに祈ったら夜うなされなくなったと言っていたから、効き目はあるようだ。俺はよくわからんかったが。

向かって右に六観音(重文)が並ぶ。7世紀クスノキ一木造り。微笑、ひょろくてなで肩、衣の形などもいかにも白鳳風。六観音なのに勢至、文殊うんぬんとはこれいかに。

向かって左のショーケースの仏像群には九面観音(国宝)がいる。7、8世紀、唐からの伝来で、9面の作例はこれが唯一だそうだ。ホンモノの白檀製の一木造。(日本では白檀が取れないから白檀っぽい別の木で再現してたんだよな。)極めて精巧な装身具や天衣などを纏うが、これもすべて一木から彫り出しているらしい。すげー技術だし、状態良く残っているのも奇跡的だ。

少し奥に地蔵菩薩像(国宝)が立つ。9世紀の一木造で、明治初期に移されたとされ、神像の可能性もあるとのこと。5月の国宝展でもお目にかかり、そのときも思ったが、面容や衣紋が神護寺薬師如来に似ている気がする。平安初期の作風ということかな。

最初の部屋の奥側に、有名な玉虫厨子(国宝)が展示されている。7世紀作、タマムシの翅が装飾に使われている(ちょっとグロい?)。台座には須弥山、仏伝やジャータカが描かれていた。ジャータカについてはいずれ詳しく取り上げたい。

次の部屋は百済観音堂といわれ、百済観音(国宝)が置かれていた。奈良国宝展でも観たので説明は省くが、堂内では少し高めに配置されており、我々衆生を見渡してくださっている。

3つ目の部屋には、橘夫人念持仏と呼ばれる厨子入りの阿弥陀三尊像(国宝)が展示される。7~8世紀、白鳳期の銅像であり、後屏も銅製、とても精巧に作られ、極楽浄土を表しているらしい。

金堂壁画の一部で、火災を生き残った飛天図(重文)も残る。このようなモチーフは敦煌壁画でも探してきたい。

東院伽藍

東西の伽藍の間にある東大門(国宝)

(エリア内撮影禁止)

東院伽藍は、かつては太子の住居があった斑鳩宮の跡地に、行信というお坊さんが天平時代に造営した堂宇であり、太子信仰の聖域である。

夢殿(国宝)は13世紀に改修され、その中央には国宝・救世観音がおられる。木像で、神秘的な微笑、魚のひれのような装飾性のある天衣などから飛鳥前半の作とされ、止利仏師の作品との説もある。最古級の仏像だが、金メッキがよく残っており、神々しさがある。江戸期に数百年秘仏で、布でぐるぐる巻きにされていたのをフェノロサ岡倉天心が御開帳した、という逸話が有名だ。

という経緯もあり、公開期間は限られており、おれは見られなかった。死ぬ前に一度は拝みたい仏像だ。

堂内には太子像(重文)のほか、行信、道詮の2比丘像があった(いずれも国宝)。行信像は奈良時代の脱活乾漆造、唐招提寺の鑑真に続き2番目に古い肖像彫刻だそうだ。乾漆像ってあんまないから見つけるとちょっとテンション上がるね。道詮は平安時代の塑像。

 

中宮寺

高松宮妃発願の本堂

中宮寺聖徳太子のカーチャン、穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后発願の尼寺。当初は斑鳩宮の東側にあったが、度重なる火災により東院伽藍の近くに移った。創建以来女性皇族と縁の深い寺のようで、現在の本堂は現高松宮妃の発願で昭和43年に建立したもの。格調高いがモダンな雰囲気も兼ねており、いとをかし。近年クラファンで改修したようで、シックな色合いもよい。

靴を脱いで畳の本堂に上がると、国宝の菩薩半跏像がおられた。飛鳥~白鳳の木彫像で、長い間燈明の油にさらされて黒光りしているらしい。お寺のパンフ曰く、スフィンクスモナリザと並んで「世界三大微笑像」と呼ばれているらしい。(まあそれは「世界三大美女」みたいな話だろうが、)そのくらい言っても言い過ぎではないかもしれない。この像も奈良国宝展でもお目にかかったが、やはり仏壇におわすと印象が違うものだ。単なる彫刻品ではなく、信仰の対象であることが改めて理解できる。ゲレンデ効果的な奴だ(おれはゲレンデ効果を感じたことはないが。)。

本堂には天寿国曼荼羅繍帳(国宝)のレプリカもあった。太子の死後、妃が供養のために造った、わが国最古の刺繍だそうだ。ホンモノは奈良博にある。

 

東京国立博物館法隆寺宝物館

法隆寺宝物館。特別展はいつ行っても混んでいるが、ここはガラガラだった。

ところかわって、上野は東京国立博物館。ここに法隆寺宝物館があり、法隆寺由来の宝が多数展示されている。

して、なぜここにあるのか。明治維新期、法隆寺廃仏毀釈の影響で困窮。寺は、寺宝を破壊から守るため、その一部を皇室に献納した。この献納宝物、もともと江戸時代に太子信仰を背景とする江戸出開帳に出していたものが中心だそうだ(江戸時代から国宝展みたいなもんがあったのね。木版の図録なんかもあったらしい。興味深い。)。

ここの宝物は撮影OKだったので、写真付きでみていこう。

まず、金銅仏。飛鳥時代の止利式のものや、朝鮮三国請来のものまである。献納宝物143号(6世紀末頃、重文。写真撮り忘れた。)は、百済請来の1つの光背に三尊を含む一光三尊像であり、善光寺の本尊阿弥陀三尊の形式(善光寺)と共通する。善光寺善光寺如来についてはいずれじっくり検討しよう。

その他にも銅像多数。豪族などが祈祷用に個人で所有していたものらしい。

献納宝物156号(重文)666年 制作年の銘記があり貴重

その他、型に銅板を押し当てて造る押出仏には、精巧で状態の良いものも残る。阿弥陀三尊+二比丘は敦煌石窟にもよくある配置だよな。

献納宝物198号(重文)7世紀後半

止利式とみられる摩耶夫人像も注目される。

献納宝物191号(重文)7世紀前半 なかなかいいポーズしてますな

伎楽面も展示されていた。

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その他、宝物館2階では、半年おきに、聖徳太子絵伝(国宝)と金堂壁画のデジタルビューアのどちらかを展示している。今やっているのは後者だ。

金堂壁画は、7世紀後半頃制作で、1949年の模写作業中の失火で焼失した。焼失前撮影のガラス原板(フィルムの前身みたいなもの)が残っている(重文、法隆寺蔵)。デジタルビューアのリンクを貼っておく。

horyuji-kondohekiga.jp

浄土図4面と菩薩図8面が描かれていた。6号壁の阿弥陀浄土図は状態がよく、初唐様式がよく残る。12号壁の十一面観音菩薩図は、薬師寺聖観音像と構図が全く一緒であり、共通の下絵があることがうかがわれる。莫高窟の壁画とも見比べてみたいものだ。

 

法隆寺。太子信仰の中心であるとともに、長い間古代美術を守り続けた博物館でもあったのだと感じた。聖徳太子という人物についてもう少し深堀りしてから、また来よう。