
先日奈良国宝展に来たときは仏像館を観る時間がなかったので、リベンジしてみた。
リンク→https://www.narahaku.go.jp/about/guide/butsuzo/
奈良博仏像館。当初は奈良国立博物館の本館として19世紀末に建立。片山東熊という人(建築界では有名なのかな。)の設計であり、昭和44年に重文に指定されている。まさに今年令和7年に、改装に当たり「仏像館」と改称したようである。

日本最大の仏像の展示施設であり、明治期の廃仏毀釈を逃れた仏像を保護したり、近年では高齢化により管理が難しくなった古社寺の文化財の寄託を受けたりして、展示数は年々増加しているようだ。
展示品の目録を貼っておく。写真も交えて見ていこう。
https://www.narahaku.go.jp/wordpress/wp-content/uploads/2025/06/0701_butsu.pdf
最初の部屋に、いわゆる清凉寺式の釈迦如来立像(写真なし)があった。13世紀、奈良長谷寺のもので、波立った衣紋やとぐろを巻いた螺髪だ。もとの清凉寺像自体は10世紀末くらいの請来だが、これを模した像が鎌倉中期以降に真言系の寺院を中心にブームになるんだよな。長谷寺ももちろん真言宗。
2つ目の部屋で目を引いたのが、額安寺虚空蔵菩薩像(重文、写真なし)だ。
奈良時代の木心乾漆造の作品で、わが国最古の虚空蔵菩薩像らしい。鎌倉期、西大寺の名僧叡尊により修復されたとされる(叡尊はいずれ詳しく取り上げることがあるだろう。)。もと、奈良の額安寺が所蔵したが、ウィキペディアによれば10年前に文化庁が買い取ったようだ。額安寺も由緒ある寺のようだが、文化財の管理は大変なのだろう。おそらく、この施設の所蔵品はこれからもどんどん増えていくのだろう。
五大明王の1尊、大威徳明王は牛に乗っている。12世紀、銅製であり、似た作例が同時期に集中しているらしい。

五胡十六国時代の如来坐像。中国請来だろうが、わが国に存在する仏像の中で一番古いんじゃないか?ガンダーラ風だが衣紋や印相は中国風が観られるらしい。どうやら個人から寄贈されたようだ。


奈良博所有の十一面観音立像(重文)はもと新薬師寺のもの。丸く優しい顔、なで肩、ぺらい胸板。平安後期の典型的な特徴だ。

中央の部屋には、冒頭のちらしで特別公開とされていた金峰山寺金剛力士像(重文)が展示されていた。14世紀、南北朝期の康成の作らしく、東大寺像に次ぐ巨像らしい。近年保存修理が行われ、それが完了したとしてここに展示されている。どこかのタイミングで山門に戻るのだろう。


奈良博所有の蔵王権現(12世紀、重文)。役行者が金峰山で開いた山岳信仰の主神。上記の金峰山寺も役行者が開いたとされる。蔵王権現といえばこのポーズだが、比較的穏やかな雰囲気に平安後期の作風がみられる。

この石彫の三尊像は、8世紀初頭制作、唐は長安の宝慶寺より伝来のもの。

この宝慶寺石仏群は、武周〜玄宗の頃作られ、仏塔の周りを飾っていたもののようだが、20世紀に流出し、大半が日本にあるらしい。
これは武則天の時代の作。中尊は胴が細く衣がピタッとしている(いわゆる曹衣出水というやつ。)。脇侍菩薩はくねっと腰を曲げる(三屈法というらしい。)。インド風を消化した初唐の様式を示すものらしい。
しなを作った菩薩像といえば、盛唐窟だけどこれが思い浮かぶな(莫高窟第45窟-敦煌研究院)。そういえば、本邦ではあんまりこういうフェミニン強めなやつは造られてない気がする(おれが無知なだけかもしれんが。)。女帝武則天の影響もあるのかな?(この頃は日本も女帝(持統天皇)だけど。)
こちらの十一面観音立像(重文)も宝慶寺石仏、8世紀前半作。右手には「滅罪」の文字の印章を持つ。武則天の礼賛のために造られたらしく、現世利益的性格が表れている。やはり女性的な雰囲気が感じられる。

この宝慶寺石仏だが、東博の東洋館にも何点か展示され、また何点かは今も西安の宝慶寺塔にはめ込まれて残っているようだ。そのいずれについても、おれはきっと近いうちに観に行くことになるだろう。
夏の古仏巡礼は以上。

