あかりの日記

おっ あっ 生きてえなあ

夏の古仏巡礼③法隆寺⑴

 

★略史

538年に日本に仏教が伝来したのち、初めてわが国で建てられた寺は、蘇我氏飛鳥寺。その次に古い寺こそ、7世紀初頭に聖徳太子の建てた斑鳩寺、今の法隆寺の前身だ。

斑鳩寺は670年に大火で焼失し、直後に再建されたのが現在の法隆寺伽藍だ。(かつては非再建説もあったようだが、旧伽藍(若草伽藍)の発見により否定された。)それでも、現存する世界最古の木造建築である。

東西2つの広大な伽藍には、再建前からある飛鳥の古仏だけでなく、以降の各時代の仏像がたくさん残る。かつては博物館のような位置づけだったのだろうか。

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境内は広い。パート⑴では、まず西院伽藍のあたりを見ていく。例によって仏像の画像はお寺の公式サイト(https://www.horyuji.or.jp/garan/)を参照のこと。

 

金堂

釈迦三尊像

金堂

法隆寺の中心たる西院伽藍金堂(国宝)。670年再建のこの建物には、再建前の本尊、釈迦三尊像(国宝)が安置される。これこそわが国制作で完全な状態で残る最古の仏像であり、その作者は鞍首止利仏師である!太子の死後、623年に制作され、銘記によれば「尺寸王身」とのこと。「王」とは聖徳太子のこと。つまり太子とおんなじサイズで造ったということであり、太子信仰のシンボルとして受け継がれてきた。
まさしく我が国の仏像史の第一歩となる作品だが、素晴らしい完成度である。釈迦如来は杏仁形の目にアルカイックスマイルを浮かべ、二等辺三角形の中に納まる左右対称な形である。衣の模様も幾何学的だ。北魏頃の様式らしい。
ざっくりしたイメージだが、飛鳥(止利式)-北魏〜隋、白鳳-初唐、天平-盛唐、という感じかな*1
両脇侍像の衣は前でクロスしているが、莫高窟の魏窟の壁画にも同様の様式がみられるんだよな(北魏窟のこの写真などが分かりやすい→莫高窟第251窟-敦煌研究院)。

金堂のその他の仏像等

釈迦三尊の向かって右には薬師如来(国宝)がある。銘記によると607年作、これを信じれば釈迦三尊より古いが、研究によると堂宇の再建後、白鳳時代の作らしい。しかし像様は止利式を忠実に守っており、伝統へのリスペクトが感じられる。
釈迦三尊の向かって左には阿弥陀三尊像(重文)が置かれる。これは鎌倉前期、運慶の子の康勝が制作したらしい。顔は慶派らしく写実的だが、二等辺三角形を意識した対称形、光背や衣などは飛鳥様式を踏襲する。このように、各像が釈迦三尊の様式を守っている辺り、太子信仰の根強さが強く感じられる空間である。
堂の四隅には四天王像(国宝)が配置される。7世紀中ごろ制作の本邦最古の四天王である。静謐な表情であり、後世のような憤怒は見られない。踏んでいる邪気もちょっとコミカルである。
また、壁面には金堂壁画が描かれる。この壁画も再建時から残っていたきわめて貴重な作品だったが、1949年に失火で焼失。せっかく戦争を生き残ったのに…当時の関係者の痛恨の思いは想像するに余りあるが、仏像が無事でよかったよ。現在の壁画はその後模写されたもの。
金堂壁画については、東博法隆寺館の話をするときにもう一度触れるだろう。

 

五重塔

塔本塑像は階段の上の柵越しにしか見られない。ガチで観るなら単眼鏡があるとよい。

五重塔は、白鳳の再建時から残り、言わずと知れたわが国最古の木造建築物の一つだ(国宝)。

その1階心柱の四辺には、それぞれ経典のある場面を表現した塑像群、いわゆる塔本塑像(国宝)があるのだ!制作は奈良時代初期。東が維摩文殊の法論(維摩経)、南が弥勒の浄土、西が仏舎利の分配(大般涅槃経?)、北が釈尊入滅のシーン(大般涅槃経)。東と北は最初の制作時の形を良く残す。老獪なヴィマラキールティや慟哭する比丘らの表情が極めて精巧に描かれている。ほか2面は後世の補修が多いようだ。
このタイプの塑像群、唐代に中国でも多く造られたようなのだが、あまり現存するものがないらしい。(敦煌石窟にも「1つの龕に大量の塑像を並べてストーリーを表す」というのはあんまりなさそうだしな。)そういう意味で、この塔本塑像は東アジアの仏教美術史上も貴重な作例なのだそうだ。
…などという話を本で読んで、わくわくしながら観に行ったのだが、塔の外側からしか鑑賞できず、かつ内部に照明などもなく、正直あまりよく見えなかった。これを読んでいるぽまいらも見に行ってがっかりしないように。まあ、夕方で天候が曇っていたせいかもしれない。晴れた日の早い時間にリベンジしたいものだ。このように見づらいせいか、塔内をわざわざのぞいている観光客はほとんどいなかった。

中門・大講堂

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乳首が花柄じゃないね

中門(国宝)には奈良時代初期*2金剛力士(重文)がいる。4m弱の大塑像である。木じゃないんだと思ったが、この時代はまだ一木造だし、木でデカいのを作るのは無理か。奈良時代末に大改修され、さらに吽形は江戸時代に下半身が木で作り直されたらしい。最古の金剛力士像だが、憤怒の相を浮かべ、イメージ通りの像だ。ただ、オッパイは花の形じゃない。あの花乳首ってマジで何なんだろうな?

大講堂(国宝)は10世紀末に再建され、中にはその頃制作の薬師三尊(国宝)と四天王(重文)。いずれも木像。薬師は体格がよく古風だが、脇侍は柔らかい感じ。脇侍の宝冠、円筒にボツボツがついており特徴的だが、この頃近畿で流行った形らしい。

西円堂・上御堂

西円堂(国宝)は13世紀半ばの再建、中には8世紀制作の薬師如来(国宝)。この時代の仏像らしく脱活乾漆造。堂は常時公開のはずだが、4時45分を過ぎて観に行ったら閉扉されていた。口惜しや。時間には余裕を持って行動しようね。
上御堂(重文)には10世紀の釈迦三尊(国宝、木像)がいるが、公開期間でなくこちらも観られなかった。


まあ、また来ればいいか。次来るときの楽しみもあった方がよい。

 

 

*1:おそらくこの中国の仏像との対応関係の辺りに、美術史において「飛鳥」と「白鳳」を分ける実益があるんじゃなかろうか。あまり詳しくはわからんけど。

*2:711年。元号天平の前の作品を「天平仏」と言っていいか少し迷う。「天平」、非常に美しい名前ではあるんだけど、奈良時代の一期間の元号に過ぎないし、時代区分の名称として適切なんですかね?「白鳳」もそうだけどさ。