あかりの日記

おっ あっ 生きてえなあ

夏の古仏巡礼②薬師寺

 

★略史

7世紀後半、壬申の乱に勝利した天武天皇は、飛鳥浄御原に都し、薬師寺を発願。次の持統天皇のときに完成(いわゆる本薬師寺)。その後、710年に都が平城京に移ると、伽藍も現在の場所に移る。現薬師寺の伽藍配置(中門、講堂を回廊でつなぎ、その中に東西塔と金堂を配置する)は薬師寺といわれるが、元薬師寺の配置を忠実に再現したらしい。南都の大寺として繁栄した薬師寺は、その後も各方面の後ろ盾を得て火災のたびに復興がされ、現代に至った。

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国宝仏のいます東院堂と金堂、天平時代の姿をとどめる東塔を中心に話をしていく。

仏像の画像はここで見るのこと。→薬師寺の伽藍、仏様 - 奈良薬師寺 公式サイト|Yakushiji Temple Official Web Site

 

東院堂と聖観音

8世紀前半創建の東院堂は、13世紀後半に再建された時の姿を残す(国宝)。

本尊、聖観音菩薩立像白鳳時代の金銅仏。言わずもがなの国宝である。装飾品や指先の動きまで妥協なく作りこまれており、素晴らしい美しさだ。グプタ王朝の仏像の様式がみられるとのこと。

2月前の大阪以来の対面であったが、やはり仏壇の上でみると別格である。モトドリの装飾が取れてしまっているのが惜しい。観音のこの部分には通常、阿弥陀をかたどった化仏がついているんだよな。

ところで、この聖観音の着衣や装飾、ポーズは、法隆寺金堂壁画(後述する。)のそれとほぼ完全に一致するようだ。共通の下絵から作られたことはほぼ確実視されているらしい。興味深い。

周りを囲む四天王立像(重文)は13世紀末(鎌倉後期)の作品。慶派制作の東大寺大仏殿四天王に倣っているらしい。

凍れる音楽

東塔

東塔が建ったのは天平2(730)年。それからずっとここにある。薬師寺で唯一天平時代のまま残る建造物であり、「凍れる音楽」とも評される。三重塔だが、各階の下に「裳階」といわれるひさしみたいなものが付いており6重に見える。

かつては本薬師寺からの移築説もあったようだが、現在は否定されている。

2009年から全面解体修理を行い、2021年に竣工した。心柱の腐朽の補修などのほか、構造についての研究もおこなわれ、各部が健全であれば構造的な強さは維持できるとの結果が分かったようだ。古代人の建築技術の粋が詰まっている。

修理の際、塔の上部の水煙が取り換えられた。もともと付いていたのがこれである。

大阪国宝展で撮ったもともとの水煙

薬師三尊

像様

金堂(金堂自体については後述する。)の内部には、国宝薬師三尊像がいる。当時最高格とされたブロンズ像であり、当初金メッキを塗布されていたが、その後の火災で溶け出した。黒光りする像様はいかにも神秘的で美しい。様式は初唐のもので、東アジアの古代美術を代表する作品ともいえるらしい。

本尊の左手と左足(どちらも参拝者の立ち位置からでは見えない。)には、千輻輪相というインド以来の文様が刻まれる。月光菩薩は肩から斜めの飾り(瓔珞ようらく)は本体とは別に作って張り付けられたものらしい。敦煌の仏像にも同じ模様がみられる(莫高窟第259窟-敦煌研究院の一番下の写真参照)。

制作年代

前にも少し述べたが、白鳳仏説と天平仏説の対立がある*1。白鳳仏説だと688年頃、天平仏説だと718年頃の制作ということになるらしい。

様式という観点でみると、白鳳の基準作たる興福寺仏頭との比較が役に立つ*2薬師寺像は肉付きが豊かで、細かい抑揚のついた顔つきをしており、興福寺像よりかなり作風が進んでいるようにみえる。中国の仏像との比較でも、興福寺像は隋代、薬師寺像は初唐の様式に近いようだ。また、成分鑑定の結果でも、薬師寺像のほうが純度の高い銅を用いているようである(それが成立年代とどれくらい関わるのかわからんが。)。そうすると、現時点では奈良時代制作説が優勢、ということになるか。これだけ古い時代における30年くらいの違いがどれくらい大きいのか、おれにはまだよく分らんが、仏像好きの間では好んで語られるテーマなのだろう。

台座

この像の国際性を端的に表すのが台座だ。食堂にレプリカがあったので撮影してきた。

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宣字型といわれ、上框の上にはギリシアの葡萄唐草模様、その下にはペルシアの蓮華模様。腰部にはインド由来の鬼神。下框上段には中国の四神(玄武、白虎、朱雀、青龍)が描かれる。国際色豊かな唐文化がさらに我が国に入ってきたということだ。

大講堂

大講堂には天平時代の金銅仏・弥勒三尊像(重文)が置かれる。さらに、ここには日本最古の仏足跡が残る(国宝)。753年作、石に彫られたもので、その周りに彫られた銘文を見ると、インドの鹿野園の仏足跡を唐の役人が写し取り、それを遣唐使が写し取り、さらにそれを写したものであるという。コピーのコピーのコピーということだ。いずれにしろ貴重なものである。

昭和の金堂再建

金堂

さて、世界に冠たる名宝・薬師三尊像を安置する金堂だが、なんと1976年まで仮堂だった。

1528年の火災で金堂が焼失した後、ちゃんとした仮堂ができたのは1600年だ。三尊が野ざらしだった期間もそれなりにあるのだろう。なんと悲しいことだ。

それも仮堂である。和辻哲郎が「古寺巡礼」した頃も、しょぼい仮堂しかなかったのだ。1967年、当時の管主は悲願たる金堂の復興に着手。しかしその方法が、写経の納経料1000円を100万人から集めて金策する、というものだった。

この写経は8年間で100万に達し、金堂再建は76年に成った。同年に西塔も復興され、次いで中門、講堂も立派に再建された。興福寺を見て思ったが、やはり天平伽藍が存在すること自体の意義が非常に大きい。

 

今回の旅行では時間の関係で見られなかった施設もあるので、また来ることにしよう。

 

*1:マジでどうでもいいが、うちの母ちゃんの卒論のテーマらしい。

*2:興福寺仏頭も多分薬師如来なんだよね。そういう意味でも比較にいいのかもな。夏の古仏巡礼①興福寺 - あかりの日記参照。