あかりの日記

おっ あっ 生きてえなあ

司馬遼太郎『世に棲む日日(1)』

 

★あらすじ

吉田寅次郎(松陰)は長州萩の杉家に生まれ、吉田家の養子として家学である山鹿流兵学を継ぐ。叔父の玉木文之進の立てた松下村塾にてスパルタ教育を受けた。

20歳で九州の平戸に留学。若者に甘い長州藩は、希望を出すとすんなり認めてくれた。徒歩の旅の道中、風土や人を具に観察して書き残し、学者を訪ねては教えを乞うた。学者の葉山佐内の他、肥後にて生涯の友人となる宮部鼎蔵と出会った。この頃から松陰は強烈な危機論者になる。

帰国するや今度は江戸に留学。様々の私塾に通うとともに、宮部鼎蔵をはじめとする多くの学友を得る。

あるとき松陰は、宮部や江幡五郎とともに、奥羽旅行を画策。しかし、藩の事務手続を一つ怠ってしまう。藩のルールより友人との約束を優先した松蔭はなんと旅行のために脱藩。雪の東北を歩き、江戸に帰ったのちは藩にて謹慎となった。

松陰は士籍を奪われ、浪人となった(もっとも、杉家の「育(はぐくみ)」として、サムライに準じる身分は残された。)。ほとぼりが覚めるまでまた江戸で遊学することに。江戸への途上、今度は大和にて、無頼の学者、森田節斎の教えを受けた。

江戸では佐久間象山の塾にて蘭学などの教えを受けた。そんな中、浦賀にペリーが来航する。浦賀に文字通り駆けつけた松蔭は、4隻の黒船に震撼して危機感を抱き、すぐさま藩主に改革の意見書を提出する。

次いで松陰は、長崎に来校したロシア船に乗ってロシアに行こうとしたが失敗。なおも異国を見たいと思う松陰。そんな中、ペリー艦隊が約束通り1年ぶりに江戸湾に現れた…

 

★感想

◯松陰。 天下国家について、強迫的ともいえる危機感を抱いている。自分の理想にどこまでもまっすぐだ。だが、周りが見えていない。

はっきりいって俺の苦手なタイプだ。俺はもうちょっとこう、体制におもねって安逸を楽しみ、スタティックな世の中が続くのを祈るタイプなので。

一方で、このタイプが世の中を動かしてきたという事実を俺は認める。こういった人たちに活躍してもらわなければならない。俺は一応「体制ガワ」の一人として、せめて、こういう人たちがのびのびと活躍することのジャマをしないようにしようと思っている。俺を踏み台にして登って行ってくれ。それが、いうなれば俺流の「超人思想」みたいなものだ。

 

◯歩くこと。松陰は本当によく歩く。松蔭は、歩くのが好きというより、色んなところに行くのが好きなんだろう。いろんな風土を見て、土地土地の人物に教えを乞う。

俺も歩きの旅はかなり好きだ。ひと月くらいの間、毎日歩き詰めたこともある。だが俺は、どちらかというと歩くこと自体が好きだ。ひたすら自分自身と無益な対話をしながら歩く。はっきり言っておれは周りの人間や世界のことにかなり関心が薄い。

松陰がいうには、

地を離れて人なく、人を離れて事なし。故に人事を論ぜんと欲せば、先ず地理を観よ(p306)

とのことだ。だとすれば、俺には天下国家について考え、議論する能力は甚だ欠けているのだろう。やれやれ。

 

◯攘夷。排外主義。明治維新というのは、扇動家たちが排外主義の熱量をうまいこと舵取りしたので成功したのだろう。

しかし、排外主義というのは、今も昔も、どの国でも熱狂的な支持を集めるものだ。なんでだろうね?

俺が思うに、排外主義というのは、近代国民国家においては、ある意味では、まさに「政治」そのものなのではないか。

ある国の公法学者は、政治とは敵味方を分けることだ、みたいなことを言ったらしい。敵がいるからこそ、人は政治的にまとまる。逆にいうと、政治的なまとまりを作るためには、常に敵が必要とされる。そういう側面もあるだろう。

そして、国民国家という政治体の内と外を分ける基準はまさに「国民」であるかどうかである。国民国家という政治体を形成して維持するためには、その敵としての「外国」や「外国人」が必要だ。これらを排除するという目的意識のためにこそ、国民国家は形成されるのだ。

おそらく、ナショナリズムや排外主義というのは、近代国民国家すなわち近代的な「政治」の形成・発展の段階においては、ある程度はなくてはならない、通過儀礼なんだろう。日本だけでなく、近代ドイツやロシアなんかも、ナポレオンへの抵抗から出発したところがあるし、植民地の独立とかだって、排外主義といえば排外主義だよね(一般的にはそういう言い方はしないだろうが。)。

しかるに、21世紀の成熟した先進国においては、排外主義は、どういう意味を持つのだろう。毒なのか薬なのか、俺にはまだわからん。この話をしようと思えばもっとできるが、松陰先生から逸れるのでこのくらいにしておく。