一応1400万人の東京都民のうちの一人なので、都知事選の期日前投票に行った。
俺は引っ越しの多い人間なので、選挙のタイミングで投票権*1がないときも多いのだが、投票できる歳になってからというもの、国政選挙と首長選は欠かさず行っている。多分。
だが、それは、俺が、自分の一票に社会を変える力があると本気で思っているから、ではない。まあ全くないとは思わないし、もし聞かれたらそう答えようと思っているが、実際は俺はそんなに理想に燃えた人間ではない。俺が誰に入れようが入れまいが百合子か蓮舫だし、その二人ならぶっちゃけそんなに変わらん。そもそも俺は、今回に限らず、(具体的政策の話は諸事情によりしないが)世の中はゆっくり着実に改善するのがよいと思っていて、劇的に不連続に変わってほしいとあまり思わない。俺は、おそらく同年代の平均値よりは、相対的には、左右の別を措いて、伝統的なメディアと政党への強烈な不信感まではない方だ(あくまで相対的に、な。左右それぞれ多くの問題を抱えてはいるとは思う。)。それよりもいきなりぽっと出てきたものへの警戒感がある。つまり、俺の価値観はおそらく、所謂「選挙によく行く層」とさほど大きく変わらない。だもんで、「俺が行かないと」という意識はそんなに強くない。
そうではなくて、俺がいつも選挙に行くのは、選挙に行くのが「よいこと」とされているからだ。俺は、勉強をした方がよいとされているから多少は勉強したし、働いた方がよいとされているから一応就職したし、金を貯めた方がよいとのことなので貯め、投資した方がよいとのことなのでしてきた*2。俺はそういう人間だ。
主体性がない、埋没したサラリーマンだと、馬鹿にしてもらって構わないぜ。それは事実だ。だが、俺は、そのような世の中的に「よいこと」とされている行動ひとつひとつについて、いちおう自分なりに納得した(納得のし方は注に書いた。)上で、それらを行うことを自分に賦課すること、それも一つの主体性なんじゃないか、と思っているのだ。
まあ、そういうことで許してくれないか。いや、そんなんじゃ駄目か。浅い人間ですいません。あーあ、参った参った。
*1:不正投票を防ぐため、住民票移してから選挙人名簿の登録日まで3ヶ月経ってないと投票できない。
*2:ここで「するのがよい」と促す主体は、特定の人、例えば親とか先生とかを想定しているわけではない。俺の親はあれしろこれしろと全く言わないタイプだった。そうではなく、もうちょっと抽象的に、社会一般、あるいは、「世俗社会における論理」みたいなものを想定している。例えば選挙なら、自分にとって利益になる候補者を選んで、その人が当選したら、自分の利益になる政策を行ってくれる。だから、選挙に行くのは自分の利益になるので、合理的である。この「論理」それ自体が、行為を促しているといってよい。勉強にも就職にも全部この手の論理がある。そして、俺は、この論理それ自体が一応合理的だと思えば、本当にそのとおりになると信じてなくてもやってきた。「よいとされていることをやった」というのは、このような意味である。
だが、本当のことをいうと、俺が憧れるのは、究極的には、促す主体も論理も存在しない「純然たる行為」なのだ。論理には、現実の結果との齟齬があり、落胆があり、それらは行為を常に揺さぶる。目的をどんどん抽象化していって、最終的に目的が存在しなくなり、ただそこに行為があるだけ。俺は、本当は、そういう純粋な行為で自分の生活を満たしたいのだ。どうも、菩薩とは、般若波羅蜜とはそういうものらしい。まあそれはどこか遠い国で出家しないと無理だろう。