あかりの日記

おっ あっ 生きてえなあ

席を譲るのこと

おまえらは電車の中で席とか譲るタイプだろうか。

正直言って俺はあまり譲らないタイプだ。

座ったら寝たふりとかしちゃうタイプ。

や、これまでも全く譲らなかったわけではない。

妊婦さん。小さい子を抱えたお母さん。お年寄り。

どうぞどうぞと譲ると、ほとんど必ずされる反応がある。

「いや、いや、いいですいいです。」

いや、なんやそれ。こっちが勇気出して声かけてるんだから、ありがとうと微笑んで、阿吽の呼吸でスッと座ってくれればいいのに。

だが、このやりとりがほぼ確実に発生する。僕が思うに、こういう反応になってしまうのは、普段譲られ慣れてないからなのだ。向こうが悪いんじゃない。あるいは、こっちの譲り方がいかにもたどたどしい感じなのも原因だろう。譲り譲られるというのはかくもイレギュラーなイベントなのだ。

ともかくも、このやりとりが非っ常にめんどくさい。

さらに、これが発生すると、その後の車両にもなんだかいたたまれなくなる。

降りるフリをして隣の車両に逃げるというのもやってみた。だが、やはりこう、そういう余計なプロセスが加われば加わるほど、心理的ハードルが上がり、日常的にサラッとできる、というところからは遠ざかっていく。

それであんまり譲らなくなってしまったわけだ。

完全に相手のせいにしてますな。他責思考だ。俺は弱い人間だ。

 

だが、少し前に、突然ふと、これはまずいな、と焦ったわけだ。

ユーチューブかなんかで、日本以外の人はみんな譲るというのを見たのだ。

こりゃ情けない、恥ずかしいわと。

俺は心底反省した。

俺は影響されやすい人間だ。

 

しかして、俺は、この問題について考察を加え、状況ごとにいかなる行動が最適かを場合分けして区区に検討した。

俺が思うに、この問題の本質は、俺を含む日本人が冷たいことではなく(だと信じたいが)、一体どういう行動が最適なのかのコンセンサスがないことなのだ。赤信号で止まる、出社したら挨拶する、職場に電話がきたら取る。そういう「このときはこうする」という共通認識があれば、みんなやるのだろうが、それがなぜか欠落している。「譲ろうね」という抽象的な標語はあっても、どういうとき、誰と誰と誰に、どうやって、というのが具体化されていない。だもんで、「何もしない」というところでみんなの行動が均衡してしまっている。

電話を取らずに逡巡している新入社員をみんなで延々とやっているのだ。

 

俺は考察した。

俺はこの問題について、真に驚くべき解決策を見つけた。

だが、このブログはそれを書くには狭すぎる。

 

…嘘だ。そんな解決策などない。だが、俺のような小心者が、無理なく、かつ、自分一人で実践できる程度の方法がある。はずなのだ。最近試してみているところなのだ。今書くのはめんどいので、やる気があるときに文字に起こそうと思う。