あかりの日記

おっ あっ 生きてえなあ

清水俊史『ブッダという男』

 

 

この本、ずっと気になってたんだけど近くの本屋に置いてなくて、ようやく入手できた。重版になっていたんだな。

内容としては、①近代仏教学におけるブッダの解釈を否定し、②主として当時の他の思想との比較から、著者の考える仏教思想の独自性を捉える、というものだ。

読んでみた感想としては、正直僕はちょっと読むのが早かったかな、と思った。もう少し知識がついてから読むとよかったかも。

 

①については、近代仏教学においては、ブッダは平和主義者だとか男女平等主義者だとか近代思想に寄せて解釈されてきたが、そんなことはないよ、ということが述べられている。とくに、②との関係では、業と輪廻という形而上学的概念を否定したわけではない、ということが主張される。

ブッダが女嫌いなんだなというのは、(著者の批判する中村元の訳でも)スッタニパータとか大パリニッバーナ経とかを読めば分かる。あと、著者の批判する某氏の法華経の現代語訳を読んだら、提婆達多品の龍女のエピソードについて、色々理由をつけて、女人も平等に成仏できるということを説いたんだ、という説明が付されていたが、それを読んだときには、いやまあ普通に読んだら成仏の可否において男女に差異を設けているじゃないかと、そこは無理しないで一応は認めたほうがいいんじゃないかと思った覚えがある。そういう意味では、この著者の主張は、散文資料を重視する解釈手法が文献学的に正しいかどうかは素人には正直よくわからないが、感覚的にはまあ近現代の人間は近現代の色眼鏡をとおしてブッダを見ているんだろうと、そう思う。

②について。上記のようにブッダは業と輪廻という世界観を認めつつ、ジャイナ教のように苦行によって業を断ち切って輪廻から解脱するのではなく、業を活性化させる燃料である煩悩を、悟りによって断ち切ることによって、業が活性化しないようにし、輪廻から解脱することを説いた。悟りとはこの世界に対する正しい知恵を得ることであり、その知恵の内容としては、無我(恒常不変の自己原理アートマンは存在しない)とか縁起(煩悩が色々あって業を作り、業が輪廻を作っている、というような因果関係の流れ)とかが説かれた。というようなことらしい。とりあえず、この著者の意見としてはそうだ、ということで受け取っておこうと思う。

 

なお、この本、ネットでは、本文というよりもあとがきの内容で界隈で若干物議を醸していたが、はっきり言ってそういうアカデミズムのゴタゴタは心底くだらないと思う。宗派どうしの間もそんな感じっぽいイメージがあるが。前にも言った気がするけど、僕は仏教の思想には大変興味があるが、今の仏教界にはあんま魅力を感じないんだよな。